抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

湯浅政明かしら「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 A24の思わぬ拾い物、かと思いきや気付けばアカデミー賞の大本命、2023年を代表する作品になることは間違いないと思われる領域に来た作品。

 多分タイトルを訳すると「(お前の考えてることは!)全部まるっとするっとごりっとお見通しだ!」なんじゃないすかね。出典TRICK

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WATCHA4.5点

Filmarks4.3点

(以下ネタバレ有)

1.本当のマッドネスを見せてやろう!!

 マルチバース。この概念が映画に導入されてまだ間もない気がします。スパイダーバース、スパイダーマンNWH、ドクター・ストレンジMoM。そしてこの後はザ・フラッシュ。勿論、これまでもシリーズの中で別世界です、とかスピンオフです、とかよくやってるものはありましたし、並行世界や時間改変を扱った作品もあります。とはいえ、ここまでSFの話が一般教養レベルで映画ファンの間に根付き、こうした作品が作られていることをまずは寿ぎたい、そう思いますよ、ええ。

 そのうえで、本作はもう非常に濃い味付けにしました。濃い。まっっっったくマルチバースの概念が分からない状態のミシェル・ヨーにその概念を仕込みつつ、マルチバースを用いてあり得たかもしれない世界の可能性を見せてその能力を引き出して戦う、という不思議カンフーアクション。カンフーの達人を引き出しつつ、料理人やらなんやらを重ねがけする気合の凄さで、しかもそれぞれが2001年宇宙の旅だの、マトリックスだの、花様年華だの、レミーのおいしいレストランだの、色んな映画のパロディとして成立している始末。いや濃度がすごいわ。あと犬が可哀想だわ。

 そのうえで、終盤のマルチバース展開では、エヴリンとジョイが吊るされた人形になって動けなかったり、生物が誕生しない世界での石になったり、アニメになったり、ほんとこの後のマルチバース映画っていったいどうすんだろうね、っていうぐらいやりましたね。もう元素になってるとか、音波になっているとか、そういうのぐらいしかないんじゃないですか?

 そうそう、地味に笑ったのはマルチバース概念の導入としてこの世界との距離的な表現だったり、泡として表現されたりでちょっと僕愛&君愛に近いところがあったとこ。やっぱアレSF的には悪くないんだよな、映画として致命的なだけで。

2.本質的にはクレヨンしんちゃん

 本作のヴィランは、ナンチャラ・ナンチャラとかいうマルチバース中に精神を拡散している存在で、それがジョイに乗っかってる訳ですが、彼女の目的が自己破壊。こんなクソみたいな存在の私は全部ぶっ壊すベーグルに取り込まれてしまうぜ!に対して娘を救う!っていう話。冷笑に対するカウンターとして、現在非常に有効なテーマ!そこに、マルチバースによって生じたあらゆる可能性を秘めた自分が存在していようと、今ここにある限りあるものを愛そうよっていうスタンス、そして夫のウェイモンドだって彼なりの戦い方、愛するっていう方法で戦っていたじゃないかっていうすっごいハートフルに包み込んでシンプルな愛の形の話になっていく。まあこれだけ力強く殴られてしまってから抱き締められると、脳はノックダウンされてこの映画は好きか嫌いかで言えば大好きです、と言わざるを得なくなるというもの。敵ひとりひとりを最後に愛していくバトルは見ごたえがあるうえに多幸感のあるものでした。

 設定が複雑な分、話、というか現実ベースでは国税庁に行って帰るだけの話になっていて、大規模バトルも基本国税庁の中か別バース。それでいて、その設定はあくまで設定で最大限のメッセージはカオスの中の家族愛で酷めな下ネタもかましておく。そう、これって実は劇場版のクレヨンしんちゃんなのではなかろうか…?少なくとも、現状存在するどの映画よりもクレヨンしんちゃんみが強い。監督を務めたダニエルズ的にも『マインド・ゲーム』『パプリカ』あたりの名前を出しているようですし、クレヨンしんちゃんと掛わせると出てくる名前は湯浅政明、とでもいうのだろうか

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 ちなみに試写会の会場では、色んな所に石にくっついていた目玉がくっついていたのがとっても遊び心があって好きでした