抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

さながら日本の地獄めぐり「楽園」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は吉田修一さん原作の瀬々敬久監督最新作「楽園」の感想です。犯人が誰、とかそういうミステリ的視点より人間関係、ドラマ中心だと思っていった方がいいかもしれません。原作は未読です。っていうか吉田修一作品は手を出してない…。

 試写会で拝見したんですけど、会場が早稲田大学なので大学構内を彷徨うったらなかったです。18号館では分からん...。ブログに感想は残してませんが、瀬々さんは「64-ロクヨン-」で横山秀夫の持つカッコよさを後編でボロボロにした前科があるので不信感MAXで見てしまったのは反省です。写真はいただいたプレスシート!右が瀬々監督、左の金文字が美術監督の磯見俊裕さんのサインです。f:id:tea_rwB:20191002000707j:image

WATCHA4.0点

Filmarks3.8点

(以下ネタバレ有り)

 1.罪と罰と人

 本作は3部構成。元々吉田修一さんの犯罪小説集の「青田のY字路」と「万屋善次郎」の2本から構成され、前者が第1章、後者が第2章、そしてそこに1本線を通して種明かしをするのが3章という感じ。

 そのため、語り手、というかメインの主人公が章ごとに異なり、1幕目は綾野剛さん演じる豪士、2幕目は佐藤浩市さん演じる善次郎、3幕目は1幕目の事件の関係者でもある杉咲花さん演じる紡がメインです。

 章立て的には、序破急のような3段論法でもなく、各章についた罪・罰・人というのはそれぞれの話のテーマというよりはその3つが共通して作品の骨となるテーマ、という印象でした。

 んで、話的にはこのメイン3人の演技が素晴らしい。綾野剛さんの豪士は7歳から日本に来たという設定なので饒舌に喋ることもなく表情も割と変わらない。その中で感情が大きく動いて絶命を迎える瞬間は素晴らしいものがありました。佐藤浩市さんは、本当に見ていて辛いキャラクターで妻を亡くした善人がどんどん追い詰められて壊れてしまう、土を食べる、凶行に走る。この壊れっぷりは素晴らしかったですね。ちなみに、この両者にはモデルの事件が実際にあったようで...。特に佐藤浩市さんの方の事件は2013年ということで、後述する事件に至る過程を考えると、もっと昔の話だと思っていたので愕然としました。コレ、日本これから直面するぞ…。

 杉咲花さんの演技も決して悪いことないのですが、事件に関わってしまったので暗い少女、という点で綾野剛と同じく口数が少なく少しそこが被ったかな、と。なんだったら、彼女にモーションかけてくる精神年齢何歳だよっていう村上虹郎さんが良かったですね。

犯罪小説集 (角川文庫)

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2.楽土は僕らの中にある

 さて、今回の映画で事件を起こした2人はどちらも楽園を探して、そしてそれが見つからない絶望やねじれが事件を起こしてしまった、そんな意味で「楽園」というタイトルを付けたと監督がお話してくれました。

 豪士は日本に来る前に、「日本は楽園だ」と母に言われているし、善次郎はこの村をもっと良くしようと努力していました。

 じゃあ、それに対しての住民側がどう反応していたのか。果たして日本は楽園だったのか。

 前半の豪士のパートでは、豪士の母親含めて非常に差別的に扱われ、家に石を投げ込まれ窓ガラスを割られるなどの描写もありました。地域の中で、完全に攻撃していい対象、いじめていい対象として認識されていることがよくわかります。最初の事件から12年後、また別の女の子が失踪した時、勝手な思い込みで住民たちは豪士の家に鍵を破壊して勝手に乗り込み、追い込まれた彼は焼身自殺を遂げる。彼が犯人かどうかは、そこでは明かされないものの、明らかに行き過ぎた私人逮捕、いや私刑を実行しようとした結果です。この時、別の怪しい奴と言われていたのも移住してきた外国人たちでした。

 後半の善次郎のパートは更に地獄。Uターンで限界集落の村に帰ってきて、養蜂で収益を得ると共に、万屋として草刈りやら風呂修理やら何でもしてくれる。その上、互いに同意なく、老人どもの勝手で未亡人となった女性とくっつけられそうになる。そんな彼が村の為を思って、養蜂を使った村おこしで予算を確保すると、地区の寄り合いにも話を通していたのに反対され挫折。飼い犬のレオが住民を噛んだことで村八分になり、亡き妻との思いから庭に樹木を移植しようとすると市役所から用地区分の変更がなされていないと強制代執行で撤去される。彼は悪いことを何もしていないのにどんどん壊れていって、彼を潰した連中に復讐する訳です。

 紡も東京に出てきているのに、人手が足りないからと無理やり祭りに呼び出されたり、何か勘違いをしている村上虹郎にクソみたいな好意の寄せられ方をする。見ていて本当に気分が悪い。地獄ですよ。

 こうした限界集落あるある、実は私も非常に身に覚えがあって。祖父や父の生まれが長崎の島の村落で、完全に限界集落。そこでは、市の文化財にしていされているような菩提寺の和尚が生活できないと夜逃げしてしまい、その後釜に来た新しい住職や彼に協力した親戚の一部が完全にコミュニティから疎外されてしまいました。所詮、余所者の私にはどうすることもできないのですが、悲しいかな、彼らはそれを誇らしげに酒を飲むのです。

 こういった経験を踏まえると、「楽園」というタイトルは豪士や善次郎の頭の中にあった理想の場所、というだけでなく、現在暮らしている人たちが守りたい、変化させたくない、既得権益の楽園から余所者を追い出す、そんな話だったともとれる気がしてきます。

3.現在の日本は楽園か

 限界集落地獄めぐりを見せつけてくる本作。どう考えても、ミステリというよりもこうした日本の地方の現状を訴えてくる胸糞映画なのは間違いありません。

 でも、翻って考えるべきは果たして限界集落だけの話なのだろうか、ということ。豪士のエピソードで見られた外国人(場合によっては国籍は日本なのに)対する差別、ヘイトスピーチは根深いものがありますし、日本という規模で考えると既得権益を乱す人を追い出して守ったぜ、やった!なんて現象はざらです。

 勿論、こうしたことは日本に限らずアメリカやら中国やらでも当てはまるでしょう。でも、限界集落が舞台な分、世界から見て地理的に島国で、高度経済成長のような成長は望めず、人口減の未来が確実な日本自体の縮図がこの村になっていないでしょうか。超高齢化社会を迎えるにあたって、SNSも含めてムラ社会化はますます進んでいる印象が拭えません。ちゃんとこの映画を見て、こうならないように頑張らないといけないと思います。