抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

混ざりあわない目線の先へ「ちょっと思い出しただけ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は、東京国際映画祭で観客賞を受賞した松居大悟監督の最新作。永瀬正敏とか、河合優実とか、市川実和子とか、いちいち脇の人に感嘆していました。

 前作「くれなずめ」を新年から拝見したんですが、号泣しました。去年ちゃんと見ておけば良かったな。

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WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

 

1.言葉にしないと分かんない

 タクシー運転手伊藤沙莉とダンサーだったが、足を怪我してダンサー生命が立たれてしまった男を池松壮亮が演じます本作。現在視点、既に破局している両者の様子をたっぷりと見せてから、7月26日を1年ずつ遡っていく。1年ずつ遡っていることを明示してはいないが、ちゃんと思い出すかのようにそっと暗転する編集、丁寧に同じカメラの動かし方で始まる時計からの池松壮亮の部屋、という流れでタイムループものを見ているかのように教えてくれます。また、時制が観客と同じところから始まるので、伊藤沙莉の運転するタクシーはTOKYO2020のロゴが入り、マスクをして、前列と後列を分けるシートも装着。完全にコロナに突入しているので、遡るとそうした装置が無くなる、っていうコロナを上手く取り入れた作品になっていたと思います。とはいえ、未来時制に進んだかな?とか、1年ずつじゃなくてもっと飛んだ?とかの可能性を否定できずに序盤の方を見ていたので、もっかい前半を見たい気持ちでいっぱいです。

 さて、このカップルの何気ない、本当にただの日常、但し誕生日なので若干の特殊性がある、ぐらいの日々をずーっと見ていくんですが、この2人の職業がすっごくいい。これは監督が終了後のQ&Aでも言ってたことなので、我が意を得たり。池松壮亮はダンサー。非言語表現をする人なんだけど、その道が絶たれてしまったんだけど、照明の仕事に従事するんで、その非言語表現を更に非言語表現でサポートするっていう道を歩むわけです。一方で、伊藤沙莉演じるタクシー運転手は2つの側面を持っていると思っていて。劇中でも言及されているような、どこかに行きたいけど、その行き先を誰かに決めてもらうっていうちょっと特殊な感じと、客との会話をするっていう言語的なコミュニケーションっていう側面。で、これが2人の言い合いで「言葉にしないと分からない」「言葉にしなくても分かるじゃん」みたいな、それぞれの生きてきた感じとマッチしてぶつかってて、ああ人生背負っているぞ、って感じて凄く好きでした。松居監督って、過去作までは同性同士のコミュニケーションの良きも悪きも分かってて、そこを描写している印象だったんですけど、いやいや異性になっても、あるいは性別関係なく、という言い方がいいかしら、コミュニケーションの描写は相変わらずうまかったように思えます。

 伊藤沙莉さんが大好きなので、どうしてもタクシー運転手側に心が寄ってしまうんですけど、タクシー運転手ってすっごい人生の交差点に存在するじゃないですか。浮気相手と家庭のどちらもに電話をかける会社員、離婚されたばかりの酔っ払い、塾に行くのが嫌な子ども。色んな人を乗せるんだけど、その人たちにとってはちょっと透明な存在でもある。ある意味でパーソナル・スペースで、誰かの人生におけるちょっとした余白でもある。でも、そんなタクシー運転手の彼女が主人公でもあることで、そんな「誰か」だって、ちゃんと人間なんですよ!みたいな感じもある。実際、このカップルの告白の時はタクシー運転手が存在しないかのように扱われて、それがギャグになってましたし。

 っていう一連のタクシー運転手がらみって、やっぱり「オッドタクシー」のことを思い出さずにはいられませんよね。折角アニメ見てるんだからそこに言及してあげないとね。っていうか、タクシー運転手っていう時点で、色んな人を乗せるっていうので色んな作品の題材になってるんですけどね。火サスにもタクシー運転手が主人公なのあった気がするし。話が逸れましたが、アニメ「オッドタクシー」の主題歌の「ODDTAXI」の歌詞って結構そんままこの映画にも刺さるんじゃねぇかな、って感じました。掛け違えた記憶。

2.私もちょっと思い出す

 こうね、なんとなく、ふとしたアイテム、空間、匂い、なんかのきっかけでそんなこともあったのかな、って思い出しただけ、っていうテーマな訳ですよ。そういう過去があったけど、でもそれを黒歴史にしないで、そういうことがあったから今があるよねっていう。ふわっと言えばそういう話だと思うんですけど、ただ、結果的にオミクロンの感染が拡大している状況だと、結構訴えてくるものがあるよなっていう。

 序盤がコロナの始まった後の時期なので、今見ると共時性がすっごく高い作品になる訳ですが、逆に収束した後に見てしまっても、その時期を「ちょっと思い出す」だけになって、その過去を肯定して、っていう作品自体の持つ雰囲気に合致するんですよね。ちょっと思い出す主体があの2人だけじゃなくて、いつの時代の観客にも入ってくるっていう作りは心にちょっと来るものがあります。

 誰かにとって私も、何かのタイミングで「ちょっと思い出して」くれる人生だといいな、と思います。などと少し神妙になって本記事を締めたいと思います。