抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

これほど原作に手を出したくなったのは久方ぶり「真夜中乙女戦争」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は「コーダ/あいのうた」に引き続いて、2021年のうちに試写会で拝見できた作品。そのため、もうこの記事が出ている頃には映画のことを忘れているかもしれません!嘘です。多分、1月の公開作の記事に全部書いてるぐらいの勢いだとは思いますけど、1月は大渋滞が過ぎるんですよね。この21日公開作品では、邦画はさがす、洋画でもシルクロード.comにブラックボックスと個人的な好みの作品が目白押し。そうそう、マッツ・ミケルセンの作品も来ていたはず。→シルクロード.com以外は試写会で鑑賞できました。ありがたや。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有)

1.めっちゃファイトクラブです。

 真夜中を愛する者は乙女であり、真夜中を憎む者もまた乙女である。乙女に男も女もない、みたいな文言を象徴的な東京タワーを天地を逆さまにして訥々と述べられる。ああどうやら普通じゃない映画が始まったぞ、と誰もが思うだろう。

 この作品は、永瀬廉演じる冴えない、というかはっきり拗らせている大学の新入生が、灰色の大学生活を送っている中で、ある男に出会ったことでなんか輝く青春っぽいことが始まり、そして、こいつらが目指すのがクリスマスの夜、東京を爆破する、という計画だった…というもの。

 序盤は永瀬廉の演じる私が、いかに拗れていて、いかに大学生活で時間的・精神的・経済的に余裕がないか、いかに灰色の生活なのか、どれだけ奉仕部に入る前の八幡っぽいんだ、という話が続く。ここの語りは、ほとんど永瀬さんの一人語りな上に、めっちゃ文字で小説に書かれたんだろうな、っていうものなので、はっきりここでついてこれる人を選んでしまうだろう。個人的には、「砕け散るところを見せてあげる」に近い印象だ。

 ここで彼が出会う黒服は、多分早稲田だったように思えたが、大学構内の喫煙所を次々と爆破している人物で、彼を中心に集まったメンバーが`常連`として計画に携わっていくことになる。柄本佑の演技が素晴らしい。というか、永瀬廉は華を消すことには成功したが、大声を出すと台無しだし、池田エライザは佇んでいるだけなら最高の大学4年生の先輩だが、はっきり言って喋った瞬間にダメだな、と思ってしまったので、柄本さんは浮いちゃっているとすら言える。

 で、私が先輩に思い焦がれた結果、東京爆破から逃がそうとして常連に監視され始めて、みたいな話。ラストは黒服と2人で並んで遺構として残すことを決められた東京タワー以外大爆破を特等席で見ることになる、という完全に、完全に「ファイト・クラブ」案件。うん、ってことは黒服は多分存在しなくて、あれも私なんでしょうね。一応明確にはされてませんが、逃げ出した私に対しての常連からの電話とか、結構私と黒服の主体が曖昧にされているシーンがありましたから、まず間違いないでしょう。ん、いやちょっと待て、エライザと佑って同時に映ってたけ。

 と同時に、映画終了後に実施されたティーチ・インで「ファイト・クラブ」のことを聞いたら、当然のように肯定されましたし、永瀬廉にもまずこれを見ろ、エドワード・ノートンを見ろ!なんておっしゃったようで。99年のアメリカ映画としてのファイト・クラブに対して2022年に日本で公開された真夜中乙女戦争、っていうアンサーとして準備したみたいです。その試みが上手くいっているかと言われると、資本主義批判とか結構薄いような気もしましたが。

 それよりも、いわゆるファイト・クラブ的な大ネタ仕掛けをやった結果生まれている、視線による見る・見られる関係の逆転とか共有、みたいなものが凄く印象的。終盤のラブホでの先輩と私の問答も急に画面の中になったり、っていうか、私が黒服の爆破犯行現場を見ているだけで見事にドラマが生まれるし。ということで、こちらも自分が監督に「見る」ことについての認識をうかがってみたところ、いわゆるシュレディンガーの猫的な、観測されていないことに関しては可能性が無限に開かれている、みたいな認識である、ということでした。監督の過去作、特に多分見事に関わってそうな「チワワちゃん」とか「疑惑とダンス」あたりを見ていないので申し訳ないですが、今後それを軸に二宮監督作を見たいと思います。

moviewalker.jp

2.2022年のコロナを経た大学生活

 劇中、黒服と私が二人で見る映画が「ノスフェラトゥ」。1922年の吸血鬼映画、調べずに書いていますが、確かドイツ表現主義の流れを組む作品だったと思います。元来、吸血鬼はゾンビ映画の原型であり、それは伝染病をモチーフにしたもの。同時に劇中で名前だけ出る作品で言えば、感染映画「アウトブレイク」がかなり目立ちますし、ポストアポカリプス映画「マッドマックス」も名前を見ることが出来ました。

 そして一瞬だけ語られる、東京が爆破されることのなかった世界線、それは冒頭に黒服が茎わかめきっかけで話しかけられるシーンをやり直した訳ですが、そこではマスクをみんながつけている=今の我々の世界線。常に揺らぐ世界の中で、自我の混乱と苦境の表現だと思います。そして、それを補強するように動くのがカメラ。縦回転も横回転も上にパンも横滑りも回り込みも手持ちも、なんなら自撮り棒チックなのも、本当にいろんなカメラで、ぐらぐらの世界を表現していました。同時にうるさいぐらいの音楽も。今回は音楽の方が撮影を兼ねた、ということなので、そこに相乗効果感があったのは納得。変わらず言いますが、それが上手くいったとは思っていませんが。でも、嫌いにはなれない、っていうのも事実。

 とにかくですね、コロナで撮影が1年延期して脚本を更地にし直して作った、ってことでコロナを踏まえた文脈の作品として明確に作られた訳ですが、そうなるとめっちゃ気になるのが原作。大ネタは多分変わらないと思うんですが、それをどこまで匂わせて、どれぐらいオミットしたのか。こんなに原作を読みたくなるのは久しぶりです。