抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

直視できないから武装する「成れの果て」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 ようこそmixi、ようこそアルベル監督。そうです、時期はストーブリーグ。サッカーファンはダンスを踊り出して脚が筋肉痛になる時期です。なんならシーズン中より忙しいかもしれません。あ、どうでもいいですね、そうですよね。ということで、今回は萩原みのり主演映画「成れの果て」の感想です。

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WATCHA4.5点

Filmarks4.4点

(以下ネタバレ有)

 

1.圧倒的存在感。これこそ主演。

 とにかく強烈なのは、主演の萩原みのりさんの存在感ですよ。ポスターでも彼女の横顔一発勝負だったりするわけで、制作側もその魅力を存分に理解しているようであります。このポスター、光の当て方も含めて本当に惹きつけるものを感じます。

 さて、じゃあどう存在感が凄いか、といえば、そりゃあもう設定の時点でえげつなくて、かつて自分をレイプした相手と自分の姉が結婚する、という衝撃ですよ。実際問題それが起こりうるのか、リアリティがある設定なのか、と言われるとちょっと分からない気もしますが、それを納得させるのが舞台となる田舎のコミュニティの狭さ感。まずは小夜がいない段階での、彼らのコミュニケーションで田舎の人間関係をビシッと見せておく、それと同時に渦中の男を見せておく訳ですが、ちっとも悪そうじゃないんですよ。いわゆるワルっぽい感じが更生した、とかそういう雰囲気でもない。

 そこに結婚の報告を受けて帰ってきた小夜は、もうさっそく言葉だけで空気を支配する。ヘアメイクを担当している友人(ヘテロではないので、小夜を襲わないように設定してあるのは、『ハルチカ』シリーズと一緒かな、と思ってました)を連れてきている辺り、完全にかましにきているし、彼を連れてきていることが、作品における化粧=武装、もう一つの顔、みたいなテーマも際立たせる。

 そこからは、完全に水に石が投げられて起きる波紋のごとく、円滑に見えた人間関係がぎくしゃくしはじめる。ひとりひとりとぶつかっては、萩原みのりが完全に『お嬢ちゃん』を思い出させるバーサーカーモードで、全部言語化するウーマンと化して襲い掛かる。萩原さんの作品をもっと見ておくべきだと改めて痛感した訳ですが、少なくとも『街の上で』みたいな役よりも、本作や『お嬢ちゃん』みたいな強いけど怖い、みたいなタイプの役の方が私には魅力的に感じられます。っていうか、これってもしかして私がそういう女性が好みなのかしら…?

 で、結局場を支配しつくしてるのは完全に小夜なので、彼女が怒っていたり、用事があったりで、家を空けていても、結局話題は彼女がいることによって彼女のことになってしまう。私とあなたの話が、あなたと彼女の話になってしまう。そういう空間の支配の仕方が、最終的にはお姉ちゃんはそこから抜け出したかった、という慟哭に繋がる。勿論、ここの演技も素晴らしいものがあったと思いますが、そもそもそれに説得力を持たせる萩原みのりの存在感が凄いな、とつくづく思います。完全に東京に帰ってからのシーンなのに、それでも小夜の姉、としか生きられない訳ですからね。

2.全員悪人?

 本作を形容するにあたっては、「全員悪人」という言い方も出来るけど、小夜を悪人にして良いのか、というのは悩みどころ。

 それはやっぱり最後の決闘裁判の一連の議論とかの影響なんだと思う。小夜があんなにも攻撃的なのも、自分が身を守らないと、まーくんが言ってたような風説に耐えられなくなる、あるいは自分でそれを潰さなきゃいけなかったからだと思うし。ということは、もしかしたらあの姉妹は元来おとなしかったのに、あの事件から被害者とその姉、という属性に縛られてしまったのでは。加害者もまた、呪いとしては同じで、山野さん、その彼女、居候、出てくる連中で同心円的に遠い連中ほどそれに無自覚な感じを受ける。この辺の無自覚さが罪として描かれちゃうから全員悪人っぽさが増す。

 特に強烈なのは、カメラを止めるな!でお馴染みの秋山ゆずきで、あれって売れない自己満アマチュア作家だから痛く見えるし、去り際の動き方含めて凄く痛いキャラとして見せてる。でも、それって実話ベース、それこそ『最後の決闘裁判』のような作品を見ている時の僕らじゃん、っていう。週刊誌的な興味とかでそれをエンタメ消費しつつ、エンタメと分かってない奴を断罪したのが『最後の決闘裁判』でしたけど、そこに対して「あれは俺たちを批判しているんだ」みたいなことを言って、分かった気になっている私みたいな正義の言い訳をしている奴の実写化ですからね、もういたたまれないです、はい。