抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

北の国から「ノースマン 導かれし復讐者」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はロバート・エガースの最新作。2022年に試写会で見て書いていた年を越した手紙です。

The Northman: A Call to the Gods

WATCHA4.0点

Filmarks3.9点

(以下ネタバレ有)

1.悲劇の源流

 本作は、シェイクスピアの四大悲劇『ハムレット』のもとになった実話をベースとした物語。予習としてローレンス・オリヴィエが監督脚本主演の欲張りバージョンを見ておいたんですが、びっくりするほどよく似ている。特に導入。国王が弟に殺されて政権を奪われる。王子がそれを知るも、母も叔父の妃となり復讐を誓う、という導入は見事にそのままハムレット…って主人公の名前アムレートやんけ!まあまあのハムレットそのまま!わーお!で、まあ先に言っちゃいますけども途中途中復讐をしていきながら、最後はちゃんと本丸、今回で言うとフィヨルニルですね、彼を決闘の末に殺害することに成功するんですが、自らの命もまた失われる、というオチも同じ。

 ただ、あくまで源流っていうところなのでね、完全に同じでは無いですし、っていうか同じなら作る意味も無い。印象としては、やはり重要どころとしてビョークを起用したことも含めて、宗教的、と言っていいのかな、北欧神話のモチーフをぶちこみまくっていることですかね。ビョークはロシアの地ですっかり復讐してないアムレートに復讐を思い出させる役割なんですが、そもそも王の云々を決めさせるへんちくりんな儀式とかを序盤に持ってきていたり、フィヨルニルの信じる神フレイとアムレートの信じる神オーディンの信仰バトルみたいなとこもありますし、何といってもこの時代のヴァイキング独自の感覚、戦士として死ねばヴァルハラにいけるよねっていう死生観がガンガン出てくる。完全にMCUの概念になってる言葉ですが、ヴァルハラに連れて行ってくれるヴァルキリーが完全に映像化されているのでそこも注目。ちなむと、ハムレット以上にこういうヴァイキングの描写に関しては1月から第2期が始まるために予習していたアニメ『ヴィンランド・サガ』がすっごくいい補助線になりました。豪胆にして粗暴、愛とはなにかも理解できなかったアシェラッドの部下たちのことを思えば、彼らの単純信仰も良く分かるし、っていうか『ヴィンランド・サガ』も導入はアムレートベースの復讐譚なのでは…???なんかちなむと続きであれですが、最後のヘラの門での決闘はいざいざ!!ってなったら突然上裸になってて完全に『進撃の巨人』でした。日本アニメが好き、というより世界中の創作物がこのアムレートの復讐譚にインスパイアされてるっていう方が正しいのかな。

2.男臭いが地続き

 今回、先も述べましたが突如上裸になる最終決戦も含めてやたら裸になっている気がする本作。奴隷状態の時はまあ奴隷だからな~だし、ヴァイキングとしてはヴァイキングだからな~で済ませられて合法的に筋骨隆々の男たちが、みたいな見方をすることも出来るとは思うんですが、これって結構ロバート・エガースっていう監督の作家性と地続きの部分があると思うんですよね(アニャも素っ裸だったことは忘れる)。基本的には、今回はあの静かすぎる監督ロバート・エガースがスペクタクルに近いアクションを!?っていう驚きをもって迎えられると思うんですよ。で、思ったよりちゃんとアクションしているし、あと意外と音がなるんでびっくりするかもしれない。

 でも、こういう肉体性、ヴァイキングって、あんまり好きになれないホモソーシャル的なコミュニケーションの連中な訳ですよ。前作『ライトハウス』で描いた有害な男性性の敗北、みたいな話をしてた人がルンルン気分で楽しい復讐譚アクションとして撮る訳が無いんですよね。結局、『ハムレット』との差別化でもあるところなんですけど、アムレートはお母さんを助け出す!を復讐と並ぶ目標として生きてきたわけなんですけど、尊敬しまくっていたお父さんが実は奴隷に手を付けて王妃に仕立て上げたクソ人間であり、お母さんが殺すように叔父さんに頼んでましたっていう、ミニどんでん返しがある。女性は助けられる存在だろっていう価値観の逆転であると同時に、これによってそれでも復讐に身を投じる男たちの醜さを示すことにも成功している。この辺、何度も登場するヴァルキリーなんかとも相性のいい主題設定ですね。

 無論、前項で述べていたようなヴァイキングの死生観、神バトルの話も『ウィッチ』からも引っ張ってこれるお話であり、同時に製作されると言われている『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク作にも通じそうな気配のするテーマです。