どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
今回は劇場では初鑑賞ですかね。クレヨンしんちゃんの最新作になります。オトナ帝国とかは見てますよ、さすがに。
WATCHA4.0点
Filmarks3.9点
(以下ネタバレ有り)
1.クレしんならではの虚構
まずなんといっても、ラクガキを題材にしたこともあって、画面の中がいい意味でカオス。本来のクレしんの登場人物たちに、ぶりぶりざえもんといった名物キャラ、そして多種多様なラクガキのテイストに、鷹の爪にいただろ、みたいなデザインの敵含め、これだけ多くの要素が渋滞しながらも混然一体となって物語を構成することに成功しているのはクレヨンしんちゃんの持つブランド力のおかげではないでしょうか。
本作を動かす大きな動機は、カスカベを救う、みたいなお題目ではなく、ナナコさんと晩御飯を食べる日常に戻ること。ただ、普通ならそこに嫌らしさ、性の視点が入るのにこのシリーズはその点では幼稚性を堅持しており、せいぜい明太子を食べるんだ!ぐらいの煩悩でしかないので、しんのすけに違和感を覚えることはない。
また、クライマックスとなる一番の泣かせどころでも、よく考えれば2日目のブリーフを引っ張っているだけ。それであれだけ感動するテンションに持っていけるのはさすがといったところではないでしょうか。
本来ならノイズになりそうな、カスカベから紙飛行機飛ばして相模湖まで飛ぶのか、みたいな雑な疑問から、水でラクガキングダムのメンバーが消えてしまうという設定も、終盤にお涙頂戴の為に引っ張りすぎて、もっと生かせた気がするとか、そもそも救うのにクレヨンいるんだから無駄遣いしすぎだろうとか、そういう要素もクレしんだから、のカオスさで多少目をつぶれるのも作品の力だと思います。
ただ、そうはいっても、流石にりんごちゃんの武田鉄矢モノマネのところは長すぎる気がしました。オトナ帝国のコロッケさん登場も結構冷めたので、そこは現実持ち込まないでほしいんですよね。
2.現代への痛切なメッセージとそれを内面化しているしんのすけ
カスカベに帰還後、大人たちを助けてから多くの大人たちは、かなり悪く描かれています。クレヨンの紛失、使い切りを責め、何かする前に逃げる。口だけの批判ばっか、まあ明らかに現在の大人たちに対する糾弾であり、子どもたちへの願いであり、結果的にコロナ禍での現状批判になりますよね。そしてその批判は、国の為に本来自由であるべきラクガキを強制させた防衛大臣とかにも当てはまる。どんなに社会的メッセージを込めようとも、それが想定しているメイン観客層である子どもたちに伝わらなければ意味がないですが、寝る間を惜しんで描くことを強制する、それだけで悪いこと、ってちゃんとわかりますからね。そこの描き方もうまかったと思います。
そのうえで、着目したいのは決してしんのすけだって無敵のヒーローじゃなかったということ。彼はマジカルクレヨンで勇者を生み出していますが、ヒーローと怠け部分を司ったぶりぶりざえもん、行動力の面を司ったニセななこ、そしてブリーフ。ブリーフは常に自覚を持て!勇者らしく行動しろ!カスカベを救え!なんて言うくせに、水に濡れそうな崖を登るときには真っ先に諦めています。しんのすけから生み出されたものの中に、明らかに作中の大人と諦念を象徴する部分があるのです。
3.自由意志の問題
設定上、どうしても気になったのが自由意志の判定とラクガキの定義ですね。細かいことだとは思うんですが、ラクガキングダムを支えるエネルギーは自由にラクガキするエネルギーとのこと。それなのに、ラクガキさせればいいと防衛大臣たちは事件を起こすわけですが、終盤カスカベを救うためにみんなでするラクガキは果たして自由なラクガキだったのか。
それとラクガキとアートの境目ですよね。まさおくんの漫画の模倣の絵をこんなものいらない!と怒っている描写がありましたが、じゃあ終盤見せられたピクシブっぽいサイトの絵はどうなるのか。あるいは、アート的価値の非常に強いラクガキである代表例バンクシーは?ラクガキとアートの判定ができないからこそ、ラクガキそのものではなくそれを書こうとする自由な発想をエネルギー源に設定したのだと思いますが、そのあたりがフワフワしていたのは否めないと思います。