抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

あいを、ありがとう。「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 いよいよ勝負の9月18日。イオンシネマのワンデーパスポートを活用してテネットもヴァイオレットも見て参りましたよ。本来は土日祝に更新しない主義ではありますが、4連休になっちゃうし、せっかくの大作ですからね、この2本分は土日でやっちゃうか、って感じです。

 まずはヴァイオレット。注目としては、果たして少佐は生きているのか!?あるいは死んでいるのか!?キャスト欄の2番目が浪川さんなのに死んでいるというサプライズはあるのか!?えー、タイトルでふざける気にならなかったので、ここでふざけました。マジで私の言語能力と映画理解力では魅力を伝えきれない気しかしないので、テネットともう1本、これをぜひ。

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WATCHA5.0点

Filmarks5.0点

(以下ネタバレとか知るか泣くぞこのやろう)

 

1.すべてが美しい

 いやもうね、分かってはいたことだし、もう京アニの作品にこんなこというの無粋なレベルですけどね、それでも言わせてください。すべての作画が恐ろしいレベルでした。美しい。そして、スタッフロールには、決して忘れることのできない事件の被害者となってしまった方の名前もお見受けしました。最高の仕事がこれからも受け継がれることを願いつつ、この作品を送り出してくれたことに感謝しかありません。

 さて、具体的に語っていきましょう。始まってすぐ、テレビ放送版を見ている我々にとっては馴染みのある、懐かしい家。まずここで一発であの落涙必至の第10話を持ってきたことを理解させる美術。この段階で驚嘆します。

 更には、少し経ってようやく視点がヴァイオレットに戻ってきてから。ライデンの市長に挨拶し、決めセリフ「お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」。ここでの挨拶の動作の流麗かつ美しい息をのむ様相。それでいて、市長たち、そして一緒に来ていたホッチンスやアイリスたちとも少し距離があり、まだ若干の孤独を抱えていることが分かる立ち位置。この場面だけで、この物語がヴァイオレットのためのものであり、そのヴァイオレットのおかれた状況まで説明してしまえる力を持っているのです。ちなみに、この時距離をぶっ壊してくれるのがアイリスであり、それは後のエピソードでも実際の距離をぶっ壊してくれることを予見させます。

 続いて、こんなヴァオイレット見たことない!の連続となる島のシーン。まずは、少佐が会ってくれない、となって落ちてくる雨。冒頭のころと比較して如実に暗い空、そして落ちてくる雨が重く、痛く、寒々しい。勿論これはヴァイオレットの心情描写な訳ですが、その雨粒一つ一つに魂が宿っている。流れた水がいったん二股になっているのも、少佐とヴァイオレットが一旦距離をとる決断をすることを反映していたのでしょうか。

 そして遂に会うシーンですよ。ヴァイオレットからの手紙を読み、兄からの言葉を受けてヴァイオレットと、自分の過去と向き合い素直になった少佐。その場面では赤く輝いていた夕日が、駆け出すにつれて夜になり、そして船から飛び降りたヴァイオレットと向かい合う。両者は感情を発露させながら、少佐が近づいていく。その時のね、月が綺麗なんですよ。月が綺麗、その背景だけでこの2人には確かに「愛してる」があることが明白になる。なんだったらそのあと全部蛇足ぐらいの話ですよ。大感動ポイントでした。

2.未来の物語

 さて、美術や背景、演出面をまずは取り上げましたが、物語的にも素晴らしい作品といって問題ないと思います。流石、最も信頼できる人類の一人、吉田玲子。

 まずしっかり10話のアンの孫を語り役に据えたパートでヴァイオレットたちの生きていた時代の先を描いたことで、いつかやってくる死(それは肉体的にもだが、文化的にも)を意識させつつ、すっかり作中無敵な気がするヴァイオレットだって死ぬんだ、なんていう生身さも感じさせてくれる。ってか、アン出された時点でこっちはもう泣きかけてるんですが。

 そこから舞台は先述の通り、ヴァイオレットたちの生きる時代に移っていく訳ですが、別にこっから凄く話が進むわけじゃないんですよね。150分近くあるのに、少佐の母の墓参りからの大佐と仲良くなって意外にいいやつじゃんエピソードとユリス少年との代筆、そして島にて、しかない。それなのに完全に心をつかんで離さない。

 まあ間違いなく見た人は全員言うとは思いますが、出色はユリス少年の手紙。それこそ劇中で言及のあるように、10話と依頼の構造自体は同じですよ。同じなんですけど、ブーゲンビリア兄弟の話を受けて、兄弟っていうのはこういうものなのかな、とユリスの心中を察して見せるヴァイオレット、そしてそれが届くのは彼の死んだ日。

 その日は唐突でした。ヴァイオレットがウッキウキで島に行ってる間に危篤に。少佐にも会えず、まさに嵐のごとくのヴァイオレットにその連絡が電報で。嵐の中でも、指切りした約束を果たしに行こうとするヴァイオレット。連絡を受けて病院に向かうアイリスとベネディクト。そこでの友人リュカとの通話と、家族に宛てた手紙はもう映画館で訳わからんくらいズビズビいって泣いてました。隣もズビズビ言ってたからセーフだと主張します。

 このエピソードが単なる10話の焼き直しでないのが凄いな、と思うところで、このエピソードは手紙というメディアの死と、ヴァイオレットが過去・未来をどう考えるのかにリンクしているのです。

 いざ、ユリスの死期にあって、タイプライターを持って馳せ参じたアイリスに自動手記人形として出来ることは皆無だったんですよ。手紙は、届くのにも、作るのにも労力がいる、だからこそ想いのこもるメディアです。でもそれは、新たに発達してきた電話というメディアに勝てなかった。最後に想いを直接伝えるのには電話があの時は勝ったのです。そもそも、ヴァオイレットが危篤を知ったのさえ、手紙より速報性のある電報です。だから、この物語は新たに電波塔が完成したことを祝福して終わるのです。

 そしてこれはヴァイオレットが未来志向になっていくのに合わせて進化していく。過去に囚われ、少佐少佐言って命令を待っていたテレビシリーズの頃は手紙さえ書けず、そして本作に突入したタイミングでは、まだ自動手記人形として様々な感情を知ったものの、まだ少佐を忘れられない。でも少佐に会えず、距離をとる、それが少佐にとって最善と判断するのが手紙メディアの死を象徴したあの晩なのです。そしてヴァイオレットは手紙を書いて想いを代弁していた側から、手紙を託す側に変わります。ヴァイオレットから、送る。それはヴァイオレットから少佐に送る言葉がまとまり、少佐に囚われなくなったわけですよ。

 ええと、もう魅力の1%も伝えられている気がしませんが、書きながら思い出してマックでギャン泣きしてるのでこの辺で締めたいと思います。受け取ったこの「愛してる」、全力で返していくからな。