抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

海外アニメーションの新たな表現技法「新しい街 ヴィル・ヌーヴ」「マロナの幻想的な物語り」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 テネットに備えてまだ見てなかったメメントをシネクイントで見たり、早稲田松竹に朝7時半に並びに行って今敏の作品を見に行ったりと、旧作ばっか映画館で見ていてブログ更新に至りませんでしたが、無事に新作を。

 「ゴッホ~最期の手紙~」とかを思い出す、日本のアニメの文法からは完全に外れている作品群です。語弊を恐れずに言えば、ストーリーのある「ポプテピピック」かもしれません。

 

1.新しい街 ヴィル・ヌーヴ

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WATCHA3.0点

Filmarks3.1点

ⅰ.まさに「新しい」。全編水墨画な世界

 さて、本作の物語の舞台となるのはカナダにおいても特別な場所、ケベック

 ケベックがどう特別か知らない方は調べていただくとして、少なくともここでは劇中で紹介されているように、独立の住民投票が2度行われている、ということを示しておきましょう。また、ケベックが舞台のため、カナダの作品ですが、当然フランス語になります。

 そんななか、作品の物語よりもどう頑張っても目を引くのはそのアニメーション。全編が水墨画のように濃淡のある白黒で描かれます。数年前、全編をゴッホの油絵で表現した「ゴッホ~最期の手紙~」という作品がありましたが、それに印象は近いものを感じました。カラーには1回もならないので、濃淡で表現するところとしないところがあり、ずーっと血眼で画面を見ることになり、まあこれが疲れる。情報量が少ないようで、透過する感じで人物を重ねたり、鏡とかガラス越しでもその存在がわからなかったりと、かなり能動的な鑑賞を求められる作品です。

ⅱ.未来は変わる…?

 さて、物語に話を進めると、アル中のダメ男が浜辺に家を借り、そこに別れた元妻を呼び寄せて新生活を再開しようとするものの、うまくいかない。その流れと、1980年の住民投票で否決されたケベック独立から15年、再度の独立投票で賛成多数となったケベックの盛り上がりが重なる、というもの。(勿論、現実では1995年の住民投票でも独立派は敗北している。)

 まあわかりますよ、過去にとらわれて何をしてもうまくいかない夫と、その対極にある妻を独立賛成・反対の構図によせて、最後に夫が頑張ったことで、ケベック独立の未来すら変えてしまう。過去にとらわれずに一歩足を踏み出すことの大事さを伝える作品です。それはわかるんですが。まあ全編水墨画なんでしょうがないんですけど、基本画面が暗い!黒いんですよね。そしてそこに重なるフランス語。仏語と書くだけあってお経みたいに聞こえるもんで疲れる!いやこれは完全に相性だとは思うんですが。結果として話がすごくミニマムで絵の動きもダイナミズムとは違う方向の引き算、それで画面の鮮やかさもないので地味な印象が拭えず。新海誠さんとかみたいなとにかく足し算のアニメに文句も出ますが、個人的には引き算ならいいってわけじゃないな、と思いました。少なくとも「天気の子」のほうが好きです。

 あとは、「ゴッホ」でも思ったんですが、表現技法としては凄いが、その表現技法で描く必然性を感じないというか。特殊な表現をするんであれば、ストーリーに多少の還元が欲しいと思っちゃうんですよね。

2.マロナの幻想的な物語り

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WATCHA4.5点

Filmarks4.6点

ⅰ.独創的でワンダーの溢れる画面

 こちらの作品もやっぱり特徴的なのは画面の作り方。アニメーションの表現として抜群にオリジナリティにあふれているというか。主人公である犬のナイン(=アナ、サラ、マロナ。以下マロナ)から描かれる世界は、一度すべての物質を文脈から切り離して描きなおされた世界。マロナにとってそれがとてつもなく高いものであれば宇宙にも届かんとする勢いで描かれるし、棒人間にもゴム人間にもなる。そのため、3Dと2Dが入り交じり、様々な画法が混在する画面なのに情報量が過多になることはなく、むしろその表現の多様さがマロナの感受性の豊かさに感じられて楽しい。その技法で描かれる必然もそこにはあったので、個人的にはヴィル・ヌーヴの難しさを再確認しました。

 お気に入りは、まだアナだったころのマノーレとの曲芸シーン。ようやく家と呼べる場所にたどり着いたマロナが、マノーレと共に自在に跳ねて、狭い部屋なのにとても広い世界を実感している、それがとてつもなく愛おしく、マロナもその時間とマノーレを心から好んでいることが分かって素晴らしい時間でした。

 そうそう、吹替で見たのですが、のんさんの声が合っていたのか、マロナがイシュトヴァンの焼いた肉を舌なめずりしたり、ソランジュのおじいちゃんに敬礼するところなんかは、擬人化が行き過ぎていて本来はノイズになるところなんですが、それも感じずに鑑賞できましたね。むしろ愛嬌があっていい、ぐらいの感じ方。

ⅱ.幸せは目の前に

 マロナは捨てられたりなんだりで何度も名前を変えられ、家も変わっていく。それでも犬として、自分の幸せはこれだ、と目の前の飼い主を全力で追いかけて愛している。その主人の寝顔を見守ることを幸せに感じられる。これってとっても大事なことで。幸せを探しに行くと身近にあった、なんてのは青い鳥以来の鉄板ですけど、身近の幸せに気づくっていうのも才能だな、と思うのでね。ちゃんとその瞬間に幸せを見つけられる、それでいてそれに浸るんじゃなくて、悪意とかは見抜いて警戒できる。そういう物語なのはとても好みでした。

 とにかく犬に限らず、ペットを飼っている方はイシュトヴァン妻みたいになってないか、胸に手を当ててほしいですね。私ですか?カブトムシしか飼ったことがございません。