抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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「三度目の殺人」は誰が誰を殺したのか?

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 大作揃いの9/9公開作品群の1つ目、「三度目の殺人」の感想です。どうでも良い偶然ですが、二作連続GAGAの配給ですね。

三度目の殺人

 

Filmarks4.3点

WATCHA4.5点

 

1.役所広司の怪演

 本作は、役所広司さん演じる殺人犯三隅を死刑から救うために、福山雅治さん演じる弁護士重盛が事件、そして三隅の本質に迫っていく、という法廷サスペンスのような作品となっています。といっても、木村拓哉さんのHEROのような法廷で解決するミステリーというよりも、法廷に至るまでの過程での人間ドラマが主軸です。

 とにかく光ったのは、三隅を演じる役所広司さんの怪演です。三隅と接見を重ねるたびに、重盛は三隅に影響されていきます。大きなきっかけは、三隅とガラス越しに手を合わせて、「娘さんは幾つになりましたか?」と問われて動揺したあたりでしょうか。それまでの重盛は弁護士にとって必要なのは依頼人にとって有利な事実を選択することであって、真実はわからない。弁護士が依頼人を理解・共感する必要は無い、と満島真之介さん演じる同僚弁護士川島に諭していました。ところが、映画後半、三隅が否認に転じると、依頼人が言っているんだから否定しよう、と法廷戦略を否定し、終盤では三隅には本当のことを話してくれと、真実にこだわる姿勢を見せるようになっています。

 2人の接見の描写も徐々に変わっていきます。当初、三隅の一挙手一投足から目を離さないように注視していた重盛が、徐々に視線をずらしたり、あるいはガラスが無いかのように描かれたり、最後にはガラスに反射した2人が重なって見えるようになっていました。

 重盛の姿勢の転換は、三隅が会うたびに供述を転々とさせていくなかで起ったものです。後述の理由もありますが、この三隅の本心の見えないままに重盛を翻弄していく様は、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士を想起させました。それだけの演技をした役所広司さんは素晴らしかったと思います。

2.それでも内包される是枝監督らしい家族性

 是枝監督といえば、家族をテーマにして数々の傑作を生み出しています。法廷心理劇のような本作にもそのエッセンスは注ぎ込まれています。三隅と娘、被害者遺族である美津江・咲江親娘及び父である被害者、重盛と娘。様々の親子の形を表していました。

 共通して言えたのは、概して子の方が大人びていて、大人の方が子供じみたところがある、というところでしょうか。特に広瀬すず演じる咲江は父に性的虐待を受け、それを母が見て見ぬふりをするという最悪の家庭環境で育ちながらも、精神的に自立した成長を見せていました。

3.問われる司法

 今作のもう一つのテーマとして司法への批判のようなものが挙げられると思います。

 吉田鋼太郎演じる摂津及び当初の重盛のスタンスは、これまで描かれてきたある種利己的な弁護士の典型のように描かれていました。また、法廷で三隅が否認に転じた際には、裁判長、弁護側、検察側それぞれが訴訟経済の名の下に裁判続行を決断していました。若き弁護士川島と市川実日子演じる検事篠原が異論を唱えますが、摂津及び検事の上司の目配せ、耳打ちで反論を引っ込めることになります。その後摂津は、裁判官も件数をこなすことが大事、などと川島に語っていますが、こうした結論ありきの司法に対して、何らかのメッセージを伝えたかったのではないでしょうか。

4.誰が誰を殺したのか

 さて、タイトルの「三度目の殺人」ですがこれはどの殺人を指すのでしょうか。

 一度目は三隅が留萌で犯した強盗殺人。二度目は本作の法廷で扱われる事件。

 では三度目は?

 これは、三隅が急激に殺人の事実すら否認しだしたことと関係があると考えます。重盛は、娘代わりに思っていた咲江が裁判の場でセカンドレイプの被害に遭わないために否認しだしたのではないのか、と考えていました。

 しかし、私の考えは違います。本作でのキーワードになっているのは、死と十字架、裁き、生まれてこない方が良い人間とそうでない人間、このあたりでしょう。

 三隅の犯行動機、及び初めに美津江に殺人を委託されたと嘘をついたのは重盛の推測通り裁きを下すため、だと仮定します。そして三隅は「自分のことを生まれてこなければ良かった」あるいは妻や両親が死んで自分が生きているのは理不尽、とも語っていました。これらから考えるに三隅は自分に裁きを下すべきと考えていたのではないか。だから、裁判の途中で否認に転じることで死刑になるように仕向けたのではないでしょうか。何せ、三隅の否認はかなり無理があります。殺す前に財布を盗み取ったなら、何故ガソリンが付着しているのか。奪った金を娘に送ったなら、その送金記録は?調べればいくらでも反証がでてくる脆弱な主張です。当然、三隅は織り込み済みなのでしょう。咲江も言っていました。「あの人の言うとおり、ここではみんな嘘を言う」と。真実に勘づいている咲江にとって、三隅の主張もまた嘘として写っていたのでしょう。

 疑問としては、描写されなかったので分かりませんが、あれほど聡明だった重盛はその程度の事には気づかないものでしょうか…?あと、現実でも斉藤由貴にあれほど群がるのに週刊誌に載っていたのに、美津江にマスコミが寄りつかなすぎかな、とは思いました。

 とはいえ、是枝監督がこれまで描いてきた家族、そして社会的メッセージ、法廷心理と盛りだくさんの傑作だったのではないでしょうか。