どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回は大渋滞6/27公開のアニメ映画第2弾でございます。
WATCHA3.0点
Filmarks3.0点
(以下ネタバレ有)
『次元大介の墓標』『血煙の石川五ェ門』『峰不二子の嘘』そして『銭形と2人のルパン』と続けてきたLUPIN THE ⅢRDシリーズ。小池監督によるルパンの集大成を、ルパン三世としては30年ぶりの劇場アニメーションとして届ける。よく考えたら山崎貴が白組で作ってたな、と思い出して30年ぶりでもなんでもねぇじゃねえかと思ったけど、HPをよく見たら2Dの劇場版が30年ぶりと書いてあっただった。ものは言いようである。
小池ルパンの特徴は間違いなく、そのバイオレンス、ハードボイルドさであろう。ハードボイルドの定義が何であるかはなかなかに難しいところがあるが、少なくともこの小池ルパンにおいては、ルパン三世本編と比較して硝煙と血の匂いが決して絶えることなく、ルパンのギャグもコメディというよりペーソスが持ち味になっていく。ふ〜じこちゃ〜んではない。そう思うとそっちの路線も出てくるテレビシリーズとかを並走もさせながらハードボイルドルパンも仕上げてくる栗田貫一は本職声優ではないのに大したものである。
そんな各作品で描かれてきた刺客たちはどうやら1人の黒幕からルパン一味に仕掛けられたらしい、世界を裏で操ろうとする奴がいるぞ、と世界地図に載っていない島を目指すルパン一味ということになるのだが、ここがまず緩い。ただの怪盗一味であることが大事なのに、ご挨拶目的に感じる。一応不二子を呼ぶ理由のためにお宝があるに決まってる、的な導入はあるんだけどそれだとすごく弱い。その上で、描かれるのはハードボイルドとはかけ離れたものだ。何度倒しても蘇るムオム、これまで倒してきた相手の再登場、ルパンたちを弱体化せつつ、タイムサスペンスにしたいと思われる空気毒の設定。全てがハードボイルドから程遠く思え、端的に言ってロックの氷が溶けてなる音が聞こえない。次元も五ェ門も銭形もムオムにはちっとも歯が立たずにヤエルだけなんかおいしいとこ持っていく構成も意味わからん。実は、島自体がムオムであったのだ!みたいな展開も別に新規性のある驚きでもないし、ルパン自体にそういうおっきいサプライズは求めていない。コイツがコイツの変装だったとかそういうのでいい。
LUPIN THE ⅢRDとルパン三世を接続させる要素としてマモーを登場させてvs複製人間の前日譚となるように当初から設計されていたことは確かに分かる。今回を経てマモーの得た結論が肉体の不死性と唯一性の排除である、ということはバイオレンスに肉体の欠損を描き続けてきたこのシリーズのゴールがそこに設定されていたことは間違いない。でも、そうなるとこのシリーズ自体がそこ複製人間ありきになってしまって、1stガンダムありきすぎたようなGQuuuuuuXに近い違和感を持つ。
複製人間とカリオストロの城はルパンの中でもかなり異色の作品であり、ルパンってなんなの?っていうのはすごく難しい問いだ。ゴジラ並みにオタクとしてめんどくさい問いの立つ領域であり、まあカリオストロのルパンが特殊であることは分かりつつも、Part2がいいだの、漫画版こそだの色々ある。そもそも出自がアルセーヌ・ルパンの孫の時点でだいぶふんわりしてる。そこにマージナルな存在として小池ルパンを置くことで複製人間にもブリッジをかけてあげよう、という趣旨ならば賛同はするが、しかしルパン三世というコンテンツは既にそれをPart5という最もルパン三世とは、ルパンと一味それぞれの関係はどういうものなのかを問い直し続けた大傑作でやってしまっているのだ。ルパンは本編最後に自身に、あるいは先祖に関しているのかもしれない書物を沈める。そして言うのさ、所詮はフィクション、信じちゃダメなものの4つ目であると。それそっちが言うの開き直りすぎではない?アルセーヌから続くルパンの系図、あるいはあらゆる複製とも言えるルパン三世、それらの記録を消しながら、とりあえず目の前にいるコイツがルパン三世、なんでもありなんだぜ、はPart5の後には足りなすぎるブリッジである。もうPart5でカリオストロの城まで含めての全作品ルパンなんだぜはやってる。あんまり良くできたとは言えないPart6にもルパンをぶっ壊そうとした押井守をゲスト脚本で呼んでくるぐらいの気概を既に見せている。翻って小池ルパンはルパンの何を拡大したのか?再定義したのか?後進に道を広げたのか?これまでの単話が良かったからこそ、非常に不満の残る劇場版となってしまった。不死身の血族とはルパンのことだった?ばーか、Part5の最終話のタイトルを見てこい