抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

侵入「ノーバディーズ・ヒーロー」「ミゼリコルディア」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 特集上映が大渋滞しています。リバイバルの流れもあって、日本でこれまで上映されていなかった作品の上映が東京ではよく行われるようになりましたが、レギュレーション的にネンベスに入れていいのか悪いのか。今回のはともかく、テレンス・マリックどかどっちなんだろう。劇場は初公開だったと聞いているが。

 というわけで、今回はフランスから。ヨーロッパで地位を確立し始めているが、全裸の男性が映るのにモザイクを嫌うので日本公開は無理と言われていたらしい、アラン・ギロディ監督特集。3本まとめて公開されたうちの2本。『湖の見知らぬ男』は見に行ければ追記しますが、ラウラ・シタレラ監督特集とか、マヌエル・ド・オリヴェイラ監督特集あたりにも手を出したいので時間が確保できそうもないです。だからといってGWは家にこもりたい。祝日に都会行きたくない。

 

1.ノーバディーズ・ヒーロー

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WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

 

 面白い…のか?面白くないのか?良く分かんないまま、しかし間違いなく謎の画面を維持する力を持っている作品だった。

 コメディ、と呼んでいいはずだ。いきなり街中でランニング中に娼婦に売春は嫌いだからプライベートとして無料で抱かせろ、と言い張る男メデリックで幕を開ける物語は、ずーっとなんかおかしい。この男は娼婦イザドラに懸想し、イザドラはモラハラかつ暴力も振るう夫に抑えられ、メデリックは業務上の仲間の情勢に言い寄られる。と思うと、アラブ系ホームレスのセリムを家に向かい入れることになるし、そんでもってこの男二人の矢印もまた、という人間関係の矢印がごっちゃごちゃになりなりながら、フランスの中都市で起きたテロをめぐる差別と武力をめぐる寓話と、性欲を母体に生きる人間の話が両輪駆動しているような、していないようなバランスで動き続ける。結局最後までヤれないメデリック、みたいなギャグ要素は間違いなくあり、何度も何度も行為に至ろうとするたびに鳴るインターホンはもはや芸術の域でもあった。メデリックの中年男性であり、トレードマークともいえるランニングする際のジャージ姿でありながら、性欲(本当に会いたいのかもしれないが、やりたくて仕方ないようにしか見えない)に突き動かされている残念さが滑稽でもあるし、愛らしくもある。絶妙にダメな奴なんだけど、ホームレスを見かねて家に入れちゃう無防備さと人の好さ、でもちょっと怖くて警察に通報しちゃう小物っぷりが本当に絶妙なバランスで愛せる小物になっている。

 オリンピックを前に群発していたフランス・パリでの同時多発テロあたりから着想を得ている気もするのだが、ミカエル・アースが題材にしたら喪失の話になるのに、今回は性欲と振りかざす武力の本質的な差別と偏見の話をオフビートで進めることになるの、これが…作家性!と自分の中にある種の気づきも生まれた。

2. ミゼリコルディア
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WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

 いやー『ノーバディーズ・ヒーロー』は変な映画だなーと思ったけど、それを超えて変で面白い映画だった。不思議な快感。

 フランスの農村のパン屋が死んだ。彼の死によって、10年ぶりに元従業員っぽい感じのジェレミーくんが葬儀に訪れる。亡くなったパン屋の妻マルティーヌ、息子でジェレミーともかつて仲の良かったヴァンサンとその妻アニー・息子キリアン、同じく友人のワルター、そして神父と警察。ほぼこれだけのメンバーで進む。

 葬儀は終わったはいいもののの、ジェレミーがマルティーヌの家に暫く逗留することで、ジェレミーがマルティーヌを狙ってんじゃないかとヴァンサンはいぶかしむ。でもジェレミーワルターが好きだし、マルティーヌの方こそちょっとジェレミーを特別扱いして層にも見えるし、神父もまたジェレミーが好きだし、ぐっちゃぐちゃの何角関係っていう感じである。

 そんな中でジェレミーがヴァンサンを口論の末にうっかり殺してしまい森へ死体遺棄。その事件を隠してるんだか、隠していないんだかという不思議な空気で映画は進んでいく。

 とにかく移動と睡眠の映画である。マルティーヌの家、司祭館、ワルターの家、森。とにかくジェレミーはこの間を動き続け、留まれない。トゥルーズからやってきた彼は、確かにここで働いていたのかもしれないが、ここには彼の居場所はもうない。だから彼は彷徨い続ける。安息地を探す。でも一応の家であるマルティーヌの家でも彼は眠れない。枕元のデジタル時計が常に時刻を指し示す。4:00にヴァンサンが様子を仕事前に見に来ていた、でもそのヴァンサンが死んだのに全然安眠できない。どんどん寝られなくなっていき、深夜に家を出るようになる。耳元には警察が無意識の自白を求めて尋問にやってくる。本当に警察が来ているのかどうか、それは中々信用できないのだが、とにかくそこまで追い込まれていく状態になって遂に身投げを企んでも、でも死ねなかった。解放されたい、限界なんだけど彼を想う人たちによって解放させてもらえない。印象的なのは告解のシーンで、神父に告解しに行ったら、神父から犯人を知ってて隠していると逆に告解を受けるシーン。これによって彼にとって神すらも赦しを与えてもらえなくなったのだ。ようやく、それでもようやく彼はマルティーヌと同じベッドに入る。さあ一体どうなるんだ!で映画が終わる。なんだと!?と思うのだが、しかしてこれが不思議な快感のある時間だったなと思う。トゥルーズでもなんかやらかしていそうであるし、殺した相手の親の家なのにふてぶてしく居座るでもなく、ふわっと居続ける、絶妙な主体性の無さなのよな。人物造形が見たことない。カイユ・デュ・シネマで誰もが上位に投票したというだけのことはある。

 しっかし、キノコ。森にやってくる理由が大概キノコなのだが、露骨にこの時期にこのキノコなんですか、珍しいですねぇなんて警察が言ってくる訳で、死体の栄養で生えてるんだろうなぁと。その収穫されたキノコの料理を死体が埋まっているのを知ってるジェレミーだけしんどそうに食っているのがこれまた面白い。食卓、雁首揃えて帰宅を待つ場所として捉えられている。なーんて思ってたら、終盤、真っ裸で神父の陰部が映ることでちょっと笑えるんだから面白い。性行為、あるいは裸体について全く躊躇なく描く監督であり、フランス人の男が全員そうなのかと思うぐらい全裸で就寝しているのだが、そういう文脈で散々男の裸を見てきたあとにテレビに映る大相撲もまた興味深い。ジェレミーはキノコのように、他者の養分を吸い取って生きていくのだろうか…