抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

第三の場所「かがみの孤城」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 新年1発目の映画館にいってきました。2022年の宿題の回収です。2,3週間も映画館に行っていなかったですからね、映画を見て感想を書くのも勘が鈍りきっているので今回はリハビリですね。

かがみの孤城

WATHCA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレあり)

 

1.とてもやさしい

 基本的にはとても分かりやすい話で、学校に行けない安西こころの家の鏡が光って鏡の向こうの世界の城に。そこには全部で7人の子どもたちがいて、鍵を手に入れて願いを叶えようね、っていうそれだけの話。ここではないどこかで少女が過ごす、という点では、あまりにも酷かった原恵一監督の前作『バースデー・ワンダーランド』と似たような入り口でもあります。

 ただ、そこと比較していくと、すごくここではないどこか、っていう必要のある物語で、彼女は、自分の通う中学校に登校できない状態で、どうやらそこに集められた7人の子どもたちはみんなそんな感じの訳アリっぽい感じ。それゆえに、かがみの孤城での空間、時間は彼らにとって学校に代わるオルタナティブな場所、新しい居場所になっていて彼らはその時間が必要だし、大切になるっていう説得力がある。この状況に対して、大人たちはタッチしている訳ではなくて、それぞれの家庭として不登校に向き合うんだけど、こころのお母さんの最初の不登校に対する態度はすごくハラハラするものだけど、一方で序盤にフリースクールを頼っているなど、決して登校一辺倒の強硬派でもないことが凄く今の時代の微妙なラインのお母さんだな、と思わせてくれる。だから、こころの置かれた状況をついに聞けてからの学校との対決姿勢も心強くなる。世界は言う程敵だらけじゃないし、今は敵の人に無理やり戦いを挑まなくても逃げてもきっと居場所はある。そういう優しさに満ちた映画だったように思えます。

 また、そもそもお母さんにこの状況を話せる環境に無かった状態から対話できるようになるのも、かがみの孤城での個々の触れ合いを通して自己開示がなされたことが結果に繋がっており、ここも納得感が非常に強い。ある種のグループセラピーになっているというか、そこでこの子たちに開示できるんだったら、お母さんにも開示できるよね、のラインであり、かつでも姿も出ていないお父さんとは無理そうですよね、のラインでもあり、同時にフリースクールの喜多嶋先生がお父さんとも話したという事実を聴いた瞬間だけで、お父さんとの対話可能性も閉ざされてはいないのね、の絶妙に希望も残っているライン。この家族の描かれ方は凄く良かったと思うし、他の家族を掘りすぎずにここを注力したのは好きでした。

 さて、一応本作の大きなどんでん返し要素としては、集められた子どもたちの時代が違う、というところ。まあ正直結構早い段階でわかったのは事実ですが、マサムネが言及するゲームの映画化云々のくだりとか、アキの恰好で同じ中学と分かる瞬間にルーズソックス気味だな、みたいないいヒントの出し方をしていました。オオカミ様の正体に関しては分かるか!って感じですが、一人だけ(に思えただけでしたが)苗字を提出した嬉野の件から、スクールカウンセラーが優しすぎる件も説明付きそうな気がしたし。まあ願いが違反を無かったことにするんじゃなくて、記憶保持でいくんだと思ってましたが。

 さて、基本的には好きな作品でしたが、声優面は正直うーぬ、難しい。主演が當麻あみさん、新進気鋭の女優さんで年代的には当事者ぐらい。そこに横溝菜帆さん(2008年生まれ!)、吉柳咲良さん(2004年生まれ!)という若手に北村匠海と板垣李光人、と割と見る機会のある俳優さん方に高山みなみ梶裕貴というバッチバチの声優。この6人だとどうしてもズレが生まれますよね。そのままの生っぽさが実在感に繋がっている若手組に対して、真実はいつも一つとかほざくクソガキや梶さんのアニメっぽさはちょっとあってないかな、と思いました。キャラクター的になりすぎてるというか。芦田愛菜さんのオオカミ様は逆に異物感が必要なのでこっちに声優さんでメンバーは俳優さんで固める、とかでも良かったのかな、と思いました。

 とにかく、今ここが苦しいひとにやさしい映画でした。我々にとってのかがみの孤城は、スクリーンの向こうやSNSの向こう、活字の海の中にあるのかもしれませんね、ときっと何人もが書いたであろう決めセリフで〆とします。