抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

夏の本命を探して「裸足で鳴らしてみせろ」「とら男」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はこの夏最も見たかった映画の感想。それにしても、8月の映画のブログの数がすっくないですな!

 そうです、お察しの通り、なんだかブログの書き方を忘れかけているというか、言語化能力が低下しているというか、意欲が減衰しているというか。8月はぐぬぬ、って感じでした。あ、ご安心召されよ。9月、10月分の映画でもう見たやつはちゃんと書いてます。5本分ぐらいは書き終わってます。

 

1.裸足で鳴らせてみせろ

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WATCHA4.0点

FIlmakrs4.2点

 槙が盲目の義母から託された世界一周の夢。だが、200万あると言われた通帳にはそんな額は無かった。槙と義母を助けた直己は、自身のコミュニティの解体に伴って、槙が世界を見せることに協力する。

 直己の仕事は廃品回収。故に扱われるメディアは極めてオールドでアナログだ。レコード、レコーダー。そして世界一周に出れない槙は姿を隠して直己と近所で世界に聞こえる音を集める。『ラヂオの時間』のおひょいさんバリの何でも音響。青の洞窟、サハラ砂漠、プレーリー、オーロラ。目の見えない風吹ジュンにとって、彼らの録音してくる「世界」そのものが世界であって、彼らはメディアとしてまさしく存立している。面白いのは、槙はそこにいても、風吹ジュンは気づかない、っていう映画的な見せ方。日常的な風景をどう読み替えれば、世界に繋がるのか、そしてだからこそ本物の世界への渇望がそこには溢れている。

 そしてこの渇望、衝動がこの作品の後半を支配していく。槙と直己は時折、ケンカではないじゃれ方をする。殴り合いでもない、絡み合いというか、取っ組み合いというか。互いを傷つけるような、首にすぐ手を回してしまうようなコミュニケーションしかできない。ほぼあれはセックスだったと思うが、しかしセックスの中でも強姦とか青姦とか、アブノーマルだ。彼らは本当はちゃんと世界一周をして風吹ジュンにその世界を届けたいのに、それができない。直己は父に縛られ、そして風吹ジュンは死に焦燥感が加速する。ここではないどこかを求める二人の愛し合いは、決して幸せに終わることはない。

 息子の金を盗む父、認知症の顧客の金庫をこじ開けて金を盗む直己。あんなに嫌だった父親と同じ「借りてきた」と話す直己の顔は、焦燥に支配されつくしてしまっている。

 刑期を終え、街に出た直己。だが、そこに槙はいない。直己は冒頭でカナダへいった女性と再会し、浜辺では開通しなかったトンネルが遂に開通する瞬間を迎える。彼は、更生というルートを経て、彼は家庭という世界に収まる。そんな彼の走らせる車の横を走るのは、槙の乗る、そしてかつて直己が乗った廃品回収の車。あの頃録音したいくつもの音が脳裏をよぎる中、少し併走したのち、彼らの道はまさに分岐していく。それぞれにあの日々を抱えて。

 始まりは『君の鳥はうたえる』みたいな映画かと思ったのに。でも「出れない」という焦燥感は函館3部作に通じるところを感じる。そんな青春映画でした。

2.とら男

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WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

 『堕ちる』の村山和也監督最新作。待ちに待った、と言っていいでしょう。というか、映画に関心を持ち始めた時期だったのに、よく『堕ちる』をキャッチしたな…。グッジョブ、過去の自分。

 

tea-rwb.hatenablog.com

 

 これは、本当に映画なのだろうか…。途中までその思いを拭えないまま進んでいくのがこの映画だ。題材は実際に時効を迎えた未解決事件、金沢でのスイミングコーチ殺害事件。これを現在視点で再調査する、という映画なのだが、異色なのは主人公。主人公の西村虎男を演じるのは西村虎男。そう本人。しかも、映画内でも現実でも、この事件の捜査を担当した元刑事。そこで発生するのは演技なのか、それとも実際の自分の捜査における心残りなのか…みたいな感じを期待するじゃあないですか。ところが、この虎男さん、なんか全然やる気ないんですよね。地理学の卒論を書くために金沢にやってきて偶然虎男と知り合って、彼女がどんどん調査をしていく。調査をしていくんだけど、虎男と捜査資料を共有しているにも関わらず、全然関係なさそうな聞き込みとかから始めるし、事件の全容は割と終盤まで理解は出来ない。その間、どこか虎男はこの時間を楽しんでいるような、不思議な感覚です。自宅に再捜査本部を設置し、電話を受ければ「はい、捜査本部です」と受け答え。やっぱ楽しんでるだろ。

 そう、この映画は事件の解決を目指す執念を捉えた映画でもなく、再捜査を丁重に追っていくタイプの映画でも無い。結論を言ってしまえば、この虎男さんの終活なんだと思うんです。虎男さんの演じるシーンは台本が殆ど無く、セリフも殆ど実感を持ってしゃべっていて、劇映画なのかドキュメンタリーなのか、全く分からないとしか言いようのない時間が1時間ぐらい続く。なんなら、撮り方は完全にドキュメンタリーだと思いました。だが、一通り実際の事件日の被害者の動き方をトレースした際に、遂に虎男は白状する。彼自身が犯人だと思っていた人物がいるが、捜査から外れてしまったために野放しであると。ここで2人は決別し、女子大生は怒るのだが、まあコイツが卒論を書くみたいな話は、フィクション性を一個下げるためのギミックに思えるので無視して良いだろう。虎男はここから、彼自身の決着をつけに行ったと思われる描写、そして現場の空撮で終わってしまう。

 終わってから調べれば、虎男は自ら本を出版しており、その映画化。疑念は確信に変わり、この映画は「西村虎男」という男が事件にケリをつける終活を描いたものであって、そのケリにあたるのがたまたま未解決事件だっただけで、初恋の人に会いに行くでも、のどじまんに出演するでもなんでも良かったのだ。とにかく真正面から向き合う、もっと言えば、既に本を出版しているところから言えば、既についた決着の余韻を掬い取る。そういう映画だったのではないだろうか。