抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

偶像化された加害者「ニトラム/NITRAM」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はオーストラリアの映画。なお、鑑賞日が3回目のワクチン接種の日なので、無理やり調子が狂う前に書いてますから、スピード重視。お許しを。と思ったら2000字ぐらいは書いてましたね。なーんだ。

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WATCHA4.0点

Filmarks3.8点

(以下ネタバレ有)

 

1.シンプルに不穏。

 本作は、ポートアーサー事件、という死者35人を出した銃乱射事件の加害者を描いた映画。っていうことで、本作はどうしてそんな事件をするに至ったのか、未だ動機不明と言われる事件を扱うんですが、まあイメージとしては、当然『7月22日』はよぎりますよね。アプローチは違う結果になったと思いますが。

 ってことで、まあシンプルにこいつヤバいぞ、と思わせるサイコサスペンス的な見せ方っていうんですかね、人物描写がまあ巧みだな、と。これは後述しますが両面性あるとは思いますが。まず幼少期の花火でやけどした時の映像から始まるんですが、これって本当の映像だったりするんですかね、知らんけど。一人の子は、これで懲りたからもう花火には近づかない!なんて言うんですけど、もう一人の子は花火には懲りたけど、また遊ぶ、という。懲りてねぇ。バッと現代になると、そりゃあもう花火ドンパチやってる今回の加害者となる男、マーティン・ブライアント登場。事前情報を入れていなければ、ちょっと危ないやつぐらいに感じるかもしれませんが、銃乱射するって知っていると、注意している隣人さんが危なくて怖い。

 んで、まあ彼の異常性、っていうんですか、それを端的に表すのは、しつこさ、だと思いました。訪問販売のように押しかけて、芝刈りはどうですか?なんて聞いて回るんですが、まず日本人には芝刈り機を持ってうろうろしている時点で若干不穏ですが、まあそれは多分向こうでは日常。ただ、ノックが相手が出てくるまでしつこくやり続けるし、こういうセールスって数打ちゃ方式だと思うんですけど、妙に食い下がる。来訪者を玄関口を迎え撃つ、という構図はやはり緊迫感があります。それがドアに足挟んでくるような奴なら猶更。

 あとしつこいのは、運転中のヘレンのハンドルを邪魔するのもありました。なんか気に入ってくれたヘレンと車の試乗に出かけ、運転中に横からハンドルを動かす。やめろ、って言われても続けるし、結局、その時は販売店の兄ちゃんがブチギレてすんだけど、ヘレンはそれが原因で事故死しちゃう訳で。車を運転中にそういうことをするとどうなるかわかっていない、という描写としても成立していますが、やめろと言われても、やめられない、っていう描写にも感じました。

 このやめろ、って言われてもやめられない、っていうのを序盤にあったような「診断」っていう側面から考えることもできるように思えましたが、本作ではそれをある種の「運命」とか「本能」みたいなものと考えているのかな、って思います。車のハンドルを横から弄るっていうのは、やっぱり意味があるように感じて。誰かの人生を横からやるしかないっていう感じ。何度も繰り返される蜂の描写は、ある意味でそういう本能的なものに訴える部分なのかな、とも感じましたし、マーティンの憧れるサーフィンっていう象徴は、流れに乗る、他者に合わせるっていう行為への困難さを表しているような。自分から乗れない。そして、スノードーム。彼の射撃によってスノードームが割れて水がこぼれていく。その水はしっかり上から下へ流れる、ある種の不可逆性が見て取れる。思えば、彼が執着した銃っていうものも、不可逆なものでもある。

2.映画化してよかったのかな、っていう

 見ていてちょっと思ってしまったのは、この事件を映画化して良かったのかな、っていう疑問、というか、モヤモヤというか。

 多分、実際の捜査などで分かっていることを繋ぎ合わせた上で、そこに非常に事件の加害者として納得できる巧みな人物描写が持ってこられてしまうんで、ある種単純化されてしまうような、物語化されて消費してしまっているような、あるいはこれで分かった気になってしまっているような傲慢さのような、そんなものを感じました。ちょっと厳しめのお母さんとちょっと甘めのお父さんとで、上手く教育方針を合わせられなかった、とか、偶然彼に大金を残す理解者が現れた、みたいな話、銃規制の問題。いろんなレイヤーで語られるように配慮はしてくれているように思ったんです。だからこそ、事件の直接の描写は無かったですし。

 そういった意味では、あくまで個人的な意見としては、最高のラストカット、タバコの灰になってる量と顔一発でお母さんの苦悩が伝わる描写がある訳ですし、もっとお母さんの方を主人公にしてしまってもいいような。お母さんなりに「正しい」人間になってほしいと支援していたと思えたし、ヘレンとの対決シーンを見れば確かに愛はあったように思える。それどころか、彼女自身だって苦しんでいた。

いやでもそれだともっと加害者のモンスター感が強まってしまうかもしれない…。