抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

この社会を信じられるか「毒戦 BELIEVER」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 なかなか体調が調整できないで、映画館に入ってはリタイアを繰り返しております。映画館で見ることができる、というのが実は才能なのでは、なんて思ったり。フリーパス期間だからよかった。

 そんな中で、「イエスタデイ」を退席して体調を整えて見てきました。ジョニー・トー監督の「ドラッグ・ウォー 毒戦」も事前に鑑賞して準備万端韓国版です。

?? Believer (Original Motion Picture Soundtrack)

 

WATCHA4.0点

Filmarks4.2点

(以下ネタバレ有り)

 1.これぞリメイク。オリジナル版の要素はそのままに韓国ナイズ

最近ヒッチコックの「サイコ」を見たんです。ガス・ヴァン・サントのリメイクした「サイコ」の方は見ていないが、カットとかを完全にコピーしても何故か劣化していると、そんな話を聞きます。リメイクといっても、時代性や国柄を意識して適度なアップデートがなされないと作られる意味がないわけです。その一方で、(リメイクに限らないが)看板を背負った以上は、オリジナルの要諦を必要最低限押さえておかないといかんわけですよ。

 そういう意味では、本作はリメイクは確実に成功したといえるでしょう。

 麻薬捜査の中で、組織を裏切って警察に協力する男と捜査官の物語の基本設定を引き継ぎ、前半の山場となるホテルでの成り代わりもキープ。印象的な聾唖の兄弟も登場する中で、韓国映画的なグロテスクさと胸糞感を味付けに。勿論、韓国映画をそんなに詳しく知っているとは自分では言えないので韓国ナイズが成功している、とは断言するのはなんか恥ずかしいですが、それでもそう思う感じ。

 まずは香港映画だったジョニー・トー版では死刑になるしかないから協力してくれる、という関係だったものを、彼自身も組織に裏切られ、しかも母や犬を殺されている弱者、というポジションにおいたことで警察との協力関係が極めてスムーズに理解できるように。

 更に、ジョニー・トー版では途中で明らかになる麻薬取引の大物7人が一番のワルということになっての最終決戦。そこでの無惨な銃撃戦自体は非常にエンターテインメントに溢れていましたが、急に登場人物が増えてごちゃごちゃした印象を持ったのも事実。そこを本作は最初から黒幕・イ先生を追い詰めるための物語として再構成しているのでゴールがはっきりしている。物語全体のゴールが見えているからこそ、ラストもしっかりいやーな感覚を残してくれるんですよね。

 韓国ナイズと言えば、オリジナル版と明確に違うのが戦闘スタイル。「オールドボーイ」やら「犯罪都市」やら見ている韓国映画が偏っているのかもしれませんが、韓国映画はなかなか銃を撃たない印象。オリジナルのラストで見られた壮絶な銃撃戦がなくなり、ラスト付近での戦闘はブライアン理事VSウォノ刑事などタイマンケンカバトルでした。銃撃戦はその前の中国組織との戦闘で見せてた、ということでね。この辺りの一件も含めて、殴ることの暴力性も出てましたし、携帯電話を持った腕が切り取られて贈られてくる、切られた元の方の遺体もちゃんと出てくる。後、痛々しいぐらいやられている犬。この辺は非常に韓国風味のスパイスをかけたな、という印象ですね。

ドラッグ・ウォー / 毒戦 [DVD]

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2.この男を信じられるか

 リメイクに当たってタイトルが「ドラッグ・ウォー」=麻薬戦争からBELIEVER=信じる人に変わったのが印象的。これって非常に言いえて妙で、協力者と捜査官でバディ化していきながら組織を追い詰める話になっていきがちな中で、この協力者を信じていいのか、それが捜査官を始めとした警察サイド、そして見ている観客側にも常に投げられている。楽しいバディものばっか見てるからって安心してるんじゃねーぞ、と。

 香港版と加えるともともと悪い奴なのが確定している中で減刑のための協力なので、テンミンという男の利己的な面は、途中忘れそうになるとはいえ、そもそも提示されています。一方で本作の協力者ラクは爆発事故の被害者として描かれ、まるで正義の側に始めから立っているように見えるのにヤケに組織の中で地位を確立しているようにも見える。そう思わされると、ホテルでの騙しで助けてくれたりするシーンでの行為がより無垢なものに見えてくる。その上で、コンテナでやってきた無国籍であることが本人の口から語られ、更に中国マフィアに拉致されての窮地を救って、刑事が銃を渡すように求めた手に彼が起き上れるように手を差し伸べる。ああ、こいつは良い奴だと思えるように仕向けてるんですよね。いやな監督ですよ。

 っていうのも、終わってみれば麻薬組織の黒幕・イ先生はこのラク自身。聾唖の兄弟との関係性など、彼自身の持つ優しさからくる行動・側面もあっただろうが、完全に裏切られたわけですよ。

3.この社会を信じられるか

 結局この映画、リメイクした意味があるのはラストに「社会」に対する投げかけが存在したから。麻薬エンターテインメントとしての面白さ以外の部分で付け足してるんですが、これがまた私の好みにビシッとハマった。

 最終的に事件はイ先生がラクだと分かっても、イ先生を自称した、彼になろうとした偽者をイ先生として検挙し、一件落着として処理される。公共施設の駅に麻薬工場があったのをぶっ潰しましたとして、なんならプラス評価の勢い。(どうでもいいけど、郵便局に麻薬工場があった「アンタッチャブル」を思い出しました。)ウォノ刑事は仲間たちに、一つのことを追い続けると疲れる、お前たちはそうなるな、と言って職を辞していく。

 一方で、本物のイ先生であるラクも、世の中がクソだからヤクをやるしかない、なんて言いながら世の中をクソにする側に加担しているともいえる。彼は最後にウォノと邂逅を果たしてもなお問う。俺は誰だ?と。国籍もなく、本名も分からない。彼にはアイデンティティが無い。空っぽの存在。そんな彼にとってクソじゃない社会ってなんなのだろうか。彼の信念って、信じられるものって何なのだろうか。

 「幸せだったときはあるか?」とウォノはラクに問い、場面は二人の会っている部屋から屋外のショットになり鳴り響く銃声。信念に疲れ果てたウォノと信念があるのかすら分からないラク。どちらかが死んだのかもしれないし、どちらも死んだかもしれない。もしかしたら、どちらも生きているかもしれない。この社会で生きていくことに互いに絶望していないか。そんな社会を我々は作っていないか?彼らが生きていける世の中を作っていかないとな、なんて思います。無論、これは作られている韓国での現状を踏まえたテーマ設定だとは思いますが、見ている日本、そしてオリジナルの作られた香港の現状にも奇遇にも当てはまることなのかな、と思います。