どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
本日扱うのは、パペットアニメーション映画の「僕の名前はズッキーニ」となります。子ども向けと侮るなかれ、めちゃくちゃ感動する作品でした。
WATCHA4.1点
Filmarks4.0点
(以下ネタバレ有り)
1.パペットアニメーション
今回の「僕の名前はズッキーニ」はパペットアニメーションの手法で撮影されています。なかなか日本ではお目にかからない手法ですが、昨年の日本を舞台にしたスタジオライカの名作「KUBO二本の弦の秘密」が非常に高水準で手間暇をかけたパペットアニメーションだったので、これを思い出していただければわかりやすいのではないでしょうか。
2.絶望。でも君は悪くない!
主人公となる少年、ズッキーニはどうやらネグレクト気味。母親はアルコール中毒のようで缶ばかりが散らかる家で、お父さんを描いた凧を飛ばす日々。そんな中でズッキーニ自身の不手際もあり、母親が事故死。孤児院での生活を始めることに。
孤児院で暮らしている子たちは、みな親が強制送還や犯罪を犯すなどの理由で親と離れて暮らしていて、親分格のシモンは「俺たちは誰にも愛されてない」と言い放つ状態。 誰もが自分を愛せずにいる状態でした。
そんな状態で、自身も母を失い心に余裕がないズッキーニはシモンにもからかわれ互いに認められないような悲しい状態。まあ、すぐにシモンはズッキーニも自分たちと同じと気づき、あだ名ではなくズッキーニと呼んであげることで仲間になり、そうなったらいわばジャイアンタイプでとってもいいやつなんですよね。シモンも自己防衛的にズッキーニにそう接するしかないわけですよね。
そんな中孤児院に新たな仲間が。カミーユです。カミーユはみんなを個人として認め、(特に普段髪の毛で顔を隠しているアリスの髪を払って顔を見てあげるところなんてすばらしい)仲間たちは安息の日々を過ごし始めるわけです。
この後まあいろいろあって、それにみんなで立ち向かってというのも素晴らしいんですが、個人的にこの映画の素晴らしいのはこうした孤児院の子どもたちを臆することなくリアルに描き切っているところです。
家族の欠損がそのまま自己の欠損に繋がる年ごろに、その家族がいない理由も、いないことによる変化も、あるいはそこからの成長も全部描き切っているから、最後のシモンたちの決断に感動します。特に、最終盤に子どもが生まれた先生に対して、どうなってもその子を見捨てないかをいっぱい質問するあたりはこれまでの境遇を考えてしまい涙が止まりません…
だってきみたちに罪はないんだもん!!
3.脇を固める大人たち
子どもたちが中心のお話ではありますが、その脇にいる大人たちも魅力的です。
前述の教員同士で結婚する2人もそうですが、子どもにとって正しい決断をしてくれる判事さんなどの脇役、そしてズッキーニを心の底から心配して、カミーユと共に引き取ってくれる刑事のレイモンさんも非常にいい味を出してました。ズッキーニ&カミーユといった遊園地で2人に負けず劣らずリアクションをとっていたレイモンさんはとってもキュートでした。
そしてズッキーニのお母さんに、カミーユの叔母さん、そして遠足先であった子のお母さんという3人の悪役もしっかり際立っていました。カミーユの叔母さんはともかくとして、悪気があるわけではないという部分も含めて、子どもたちが直面している現状をよく表現できていたのではないのでしょうか。カミーユの叔母さんの悪役っぷりはやられっぷりも含めて最高でした。
ネタバレ有りと書きましたが、あれは嘘だ。
かなりいい映画で、子どもも大人も関係なく映画館で見てほしい作品だったので、ネタバレは控えめになりました。66分という短い尺なのでぜひご覧になってください。