どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
今回は大反響の劇場版メイド・イン・アビスです。
反響を鑑みて慌てて未見のテレビシリーズをチェックして劇場に臨みました。あってよかったNetflix。配信があるとこういう風に追いつけていいですね(見られる劇場版が増えて出費がかさむことには目を背けながら…)
WATCHA4.5点
Filmarks4.6点
(以下ネタバレあり)
1.テレビシリーズから続くエグさ
さて、鑑賞日の前日にテレビシリーズをようやく見終えたので、新鮮かつ熱量のあるままに突入できた本作。孤児院の子どもの冒険とは思えぬ、しかしきれいごとで済まさない過酷さをしっかりと描き出していたテレビシリーズ同様、今回も容赦がなかった。
もう早速ズルいのが始まる前。「マルルクちゃんの日常」と題して日常ミニアニメが差し込まれました。私が見たのは第4弾でマルルクとオーゼンの出会いだったのですが、この時点で結構ほっこりしちゃうんですよね。そこへ持ってきてのかなり早い段階でのレグ捕獲&解体という拷問。アニメで描かれる拷問としては、東京喰種の白カネキ誕生の奴ぐらいゾッとするものでした。可愛いアニメの皮を被ってそういうことやるからタチが悪い。
グロい感じで言えば、割としっかり潰される雪原のボンドルドの個体もだし、火葬砲をくらって下半身消えるボンドルドも、そのタイミングで腹をぶち抜かれるレグも、そして何よりカートリッジとなった子どもたちも。アビスの中の世界をこれでもかと綺麗に描写するればするほど、生々しさが増すアニメーションの勝利です。
でも更にタチが悪いのは、テレビ版最終話の前半を使ってミーティの過去編をやってからミーティを殺すのと同様の手法で、プルシュカを回想からの絶望にぶち込むを2回もやりやがったこと。落涙するな、という方が無理ですよ。そうやって、レグとリコのバディものからナナチの、今回ならボンドルドの物語に書き換えてしまうんだから凄い技量だと思います。
2.リコはボンドルドであり私である
正直言って、早くも2020年悪役オブザイヤーをほぼ手中に収めたと言っていいボンドルド。足がつかない子どもを集めて実験の為に殺していく、それを祝福だのと宣って疑わない。
しかし、彼を素直に悪役と言えないのも事実。ナナチの言う通り、クソ外道なのは間違いない。でも、彼がクソ外道なのは思想によって、ではなく行為によって。ボンドルドがリコに向って思ったよりこちら側、なんていったように、リコもボンドルドも未知への冒険に対して貪欲なだけなんですよね。そこに手段の倫理性を問うかどうかが問題なだけで。実際ボンドルドは連れてきた子どもたちを人間としての運用はしていない、なんて言っているので良心は欠片も傷んでいないだろうし、プルシュカを娘として接したのも、レグの体を解剖したくなっているのも、本当だと思うんですよね。
ラスト、白笛の元が人間だと分かるというのも衝撃でしたが、それは利他の象徴のようにも見えます。でも、ボンドルドだって決して利己的でない。むしろ、真っ先に自分を殺している訳です。しかも結論としてはアビスが望むなら、とリコたちに呪いと祝福を祈っている。彼はアビスを信じ、その先を知りたかっただけ。未知の為にすべてを投げうって、犠牲も厭わず、犠牲とも感じない。でもそれって、現代に生きる我々が最も信じている「科学」という神話の正体じゃないでしょうか。
そう、そこにボンドルドを否定できない何かがあります。
私は最近なら「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」の感想で、あるいはことあるごとに星野源「地獄でなぜ悪い」を歌い上げながら、物語や夢、理想に狂って何が悪いのか。それが人間だ!と申し上げてきた理想主義的な人間です。誰かの夢を狂っている、外道だと断言できるのは外から見た時だけで、夢の中の誰かには届きません。勿論、人に迷惑をかける夢は論外です。自由権の衝突において、公共の福祉は必ず考慮されるべきです。だから、ボンドルドは擁護はできません。でも、彼は誰も傷つかずにアビスの底への冒険を楽しむリコと、何らかの物語に縋って生きている私と、何が違うのだろう。歪んだ狂気と純粋無垢は紙一重だ。そんなことを考えました。
ライザやオーゼンの白笛は誰がなったものなのか、オースに残っているキユイの病気の謎、即ちアビスの呪いとは、そして何より暴走もしたレグの出生の秘密。明かされていないことばかりで第2期が大変楽しみです。