抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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戦場をエンタメにしないために私たちが出来ること「プライベート・ウォー」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回はシャーリーズ・セロンが製作を務めて、「ラッカは静かに虐殺されている」が素晴らしかったドキュメンタリーを撮ってきたマシュー・ハイネマンが劇映画に初挑戦。戦場ジャーナリストのメリー・コルヴィンの伝記映画です。

 フリーアナウンサーでジャーナリストの堀潤さん、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんのトークショー付きの試写会にて鑑賞しました。

 現在の千葉の停電の状況への報道とかでもこの映画から色々考えること、ありますね…

 なお、監督インタビューが聞けるので是非。

www.tbsradio.jp

 

A Private War (Orginal Motion Picture Soundtrack)

WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有り)

1.容赦ない戦場。現実にガンガン心を削られる。

 本作の舞台は、やはりというか当然というか、そのほとんどが戦場。メリー・コルヴィンが片目を失うことになる2001年スリランカの内戦、イラクファルージャ、そしてアラブの春の真っただ中でのリビアでのカダフィ大佐への取材、そしてアサド政権下で孤立したシリアの街・ホムス。あらゆるタイプの戦場が克明に画面に描かれることで、見ている観客は虚構であるはずの映画なのに、現実のように受け止められる。この辺りは、最初に結末になる部分を持ってきている構成含めて、監督が「ラッカは静かに虐殺されている」での実力をいかんなく発揮していると思います。

tea-rwb.hatenablog.com

 単純な戦争の悲惨さ、というだけなら古今東西の戦争映画を見ることで、いくらでも追体験することはできると思うんです。ところが、今回の「プライベート・ウォー」だと熱帯地域のスリランカでの内戦、イラクでの犠牲者を掘り返すという作業、リビアの喧騒、そしてシリアで襲ってくる砲弾や病院での目を背けたくなるそのままの傷病人。メリー・コルヴィン自体はカメラマンではないのですが、彼女の眼で見たものがそのまま我々に追体験させることが、かえって生と死を痛感させるのだと思います。

2.ロザムンド・パイクの熱演

 この映画を成立させているのは、間違いなく主演のロザムンド・パイク。「ゴーン・ガール」の恐怖の奥さん役の印象が極めて強い彼女なんですが、あんときの見た目は可愛らしい女性、みたいな皮は完全にかなぐり捨てていて。冒頭彼女の言葉から始まるんですが、前述のとおり、これは結末を頭に持ってきていて実は喋っていたのは存命時のメリー・コルヴィン自身だとわかるんですけど、ガラガラ声も顔もロザムンド・パイクはかなりしっかり似せている。正直「ゴーン・ガール」とは全くの別人ですよ。一番感心したのは、彼女の体。戦場ジャーナリストとしてあらゆる無茶をしている役ですから多少の筋肉が必要なわけですけど、劇中で裸になるシーンでの筋肉、特に背筋のつきかたで、本物だ...!と戦慄。振り返ってみれば腹筋はビシッと割れてる。この役の為にちゃんと努力を積み重ねてきたのが手に取るように分かる熱演だったと思います。

3."Private War"は誰にとっての戦争か

 この映画で描く彼女の人生を通して投げられるテーマは主に2点。PTSDなどに悩まされながらも戦う彼女の強さ、そしてもう一つはそれでも何故戦場で取材するのか?ということ。

 原作小説は「Marie Colvin's Private War」なので、彼女自身の戦いを描いている側面が強いと思われます。特に戦場でのPTSDに襲われ、自分のベッドで寝られない描写や、アルコール中毒にチェインスモーキング、性に関しても非常に奔放。そうでもしないと感覚を麻痺させらない、あるいは生を感じられないぐらいの極限状態。そういう彼女個人の内なる戦いですね。あ、勿論「行くな」と言われても現場に行っちゃう、みたいな争いもありますね。

 

A Private War: Marie Colvin and Other Tales of Heroes, Scoundrels, and Renegades (English Edition)

A Private War: Marie Colvin and Other Tales of Heroes, Scoundrels, and Renegades (English Edition)

 

 

 ただ、彼女の取材姿勢として、「あなたの話を聞かせて」という言葉が非常に印象に残っています。戦場からの中継でも、彼女は全体の被害の話はそこまでせずに、個人の事象を淡々と、しかし痛切に語っていました。現場に行かないと分からない、戦争の被害者である個々人をしっかり拾っていく。戦争は、劇中ではカダフィに代表されるような権力者のものではなく、市井の人々が一番関係するんだ。そういう「この世界の片隅に」イズムとしての"Private War"という感触もありました。

 そして、この映画とその後のトークショーを通して感じたのは、戦地に関係ない、日本にいるような私たちにとっても"Private War"であるようにしたい、ということ。

 「バハールの涙」では、メリー・コルヴィンがモデルとなったジャーナリストは、見たくないものから簡単に目を背けられるから見なくちゃいけない、みたいなコトを言っていました。今回の映画では編集者から「僕らが見れないものを君は見れる」なんて言われて、これはこれで戦場を押し付けている印象も受ける言葉でしたが、彼女のような存在が私たちの拡張された目になってくれているのは確かに事実で。安田純平さんの件で自己責任論が蔓延しましたが、じゃああなたは自分で現場を知る方法があるのか?と。例えば、現在の日韓関係や香港問題。首を全部に突っ込むのが良いこと、とは思いませんが他人事にしてしまったり、ただただエンターテインメントとして消費してしまうのはやっぱりよくないな、と。それと同時にあまりに自分事にしすぎると、コルヴィン本人同様にPTSDに近い症状は当然襲ってきます。東日本大震災など、枚挙に暇はないでしょう。だからこそ、この映画を見ること自体が、他人事と自分事との間で自分にとっての適切な距離を掴むための"Private War"なのかな、と思いました。

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 ちなみに、そんなこと上映後に考えて、トークショーでも質問出来たらいいな、なんて思っていたらこの辺のことを全部堀潤さんがおっしゃってくれたので、うーむ凄い、と感心してみたり。一緒にトークショーをされていた安田菜津紀さんはTBSラジオ「セッション22」で信頼できるぞ、とは思ってましたが、堀潤さんも個人的に「信頼できるオトコ」カテゴリーに入りました。f:id:tea_rwB:20190904185718j:image