どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
昨日のこれまでのランボー振り返りを踏まえてお届けする「ラスト・ブラッド」。スタローンの年齢を考えると流石に完結だろうと思いたいが、これ完結していないですよね…。むしろ新たに始まってしまった…
WATCHA4.0点
Filmarks3.9点
(以下ネタバレ有り)
1.前半はランボーちゃん
まあ観た方は御存知の通り、ランボーって基本舐めてた相手が殺人マシーン映画なんですよね。で、普通の舐めてた映画の定型通りに進む。
本作でも、これまでのランボーシリーズや舐めてた相手が殺人マシーン映画同様、隠居しているランボーが力を発揮するシーンを見せてくれます。大雨の中遭難者を救助するランボーはかつての密林でのハンターぶりを感じさせつつ、前作で暴力でしか暴力は解決しない、なんて言っていた割に人命救助に全力。助けられなかったことを悔やむ、普通のスーパーヒーローみたいになってます。
で、こっからは最後の戦場で遂に自ら帰ることを決断した故郷、ホームでの平和な暮らし。ガブリエラとの会話はもはや娘が愛しいだけのおじいちゃんになってますし、食事を待つときにナイフとフォークを立てて持っているランボーは完全に萌えキャラでした。ランボーちゃんです。
ガブリエラの友人を招いて見せちゃうぐらいには世俗に打ち解けているようにも感じますが、敷地中にトンネルを掘り、鍛冶も続行。平和に見えるだけで、ランボーの中で戦争は終わっちゃいないんですな。
ガブリエラ拉致後は、一度舐めさせターンが入ってボコボコにされたあと、ガブリエラを失い慟哭。なぜ俺じゃないんだという叫びが胸を打ちます。1作目から続く嘆きでもあります。
正直、ここのメキシコターンはガブリエラ父やジゼル、敵となる兄弟の取引相手とかは、ガブリエラがメキシコに行って捕まるためだけの役割でちょっとそれは勿体ないかな、と思いました。ジゼルはガブリエラ売ったのにわざわざ連絡してランボーがメキシコに来れるように手配までしているし。ランボーの為に奉仕してますよね。
2.後半はホームアローン
こっからは復讐鬼となったジョン・ランボーの面目躍如。入念に準備を行い、急拵えのマコーレーマコーレー・カルキンカルキンよりも殺傷意図が高くてたまらない罠の数々と未だ鍛錬を欠かしていないだろう弓矢の実力もしっかりと披露。万全の態勢を整えてからケンカを売って、そのまま再度入念に準備。何回研ぐとこ見せるんや!
広大な敷地で初手大爆発をかましてからは地下トンネルに誘導。仕込みに仕込んだ罠でバッサバッサと殺していくし、最後の戦場で見せた肉塊感も忘れない。
明らかに相手がどこにいるのかゲームのマップ機能使ってるようにしか感じないランボーの行動の鋭さと罠の殺傷性に笑うしかないが、ここのパートは正直、スタローンがエンタメとして求められていることをやったファンサービスだと思うのでまあいいんです。
最後は心臓をくりぬいて握るという、最後の戦場よりも凄いかもしれないゴアで「あたしの心臓あげる」(物理)を見るというね。
3.ランボーは死ねない
さて、ホームアローンのところに文句を付けないのは、あそこが丸々ファンサービスだと思うからなんですね。映画はガブリエラが死んだ時点で終わってるというか。
私はランボーのことを戦場アクションとそんなに思ってなくて。1、2、3作目はベトナム戦争で生まれてしまった戦争の部品ランボーが、設計者のトラウトマン大佐に漬け込まれて戦わざるを得なくなってしまう、ランボーの中の戦争は終わっていないのに周りは終わったと言い続ける。そういう苦悩の話だと思うんですね。で、トラウトマン大佐が死んだ4作目で初めてランボーは自分の中の戦争を求める心を理解して戦場に赴く。だから彼は涙を流す代わりに怒涛のように放銃する。
そこまでやってやっと故郷に帰り、戦争の終結を受け入れたランボー。でも彼の中での戦争はまだ終わっちゃいない。いまだに武器の鍛錬を欠かさず、塹壕といってもいいトンネルを掘り続けてしまう。そしてその寄る辺だった故郷、ホームを人的にも、物的にも失う本作。そしてランボーは再び馬に跨り、そのまま家を後にしてしまう。
これって、5作目を作ってしまった段階で避けられなかった展開だと思うんですよね。ランボーはベトナム戦争の哀しみの具現化ですよ。アメリカの戦争が生んだ負の面。じゃあこの負の面は今は無いのか?無論ゼロ年代はイラク戦争があり、その後ISとの戦いがあり、相変わらずランボーの戦争同様にアメリカの戦争も終わっていない。なんだったら、トランプ大統領のもと、アメリカは分断が進んでいて、ホーム=故郷でさえも戦争状態だ。そんな状態でランボーは平穏を得ることはないし、まして死んで終わることなんて許されない。スタローンが身体的限界を迎えない限り、また始まってしまったランボーの戦争は終わらないんだろう。