抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

見たくないから見るべき「バハールの涙」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回取り扱うのは「バハールの涙」。昨年見たドキュメンタリー映画ラッカは静かに虐殺されている」のようにISISとの戦いを描いた作品になります。いやー気力をガンガン削られる、しんどい映画でした(駄作という意味ではないですよ!!)

バハールの涙 (字幕版)

 

WATCHA4.0点

Filmarks4.2点

(以下ネタバレ有り)

 

 1.戦う女性…で消費していいのだろうか

 この作品の主人公は片目が眼帯の女性戦場ジャーナリスト・マチルドとISISと戦うヤズディ教徒の女性部隊隊長のバハールのW主人公。どちらも言ってしまえば戦う強い女性、ということになりますね。ただ、そう簡単に断言したくない、というのも事実。

 バハールはもともと弁護士、ということで知識層。クルド人の中でもエリート層だったのではないでしょうか。そこにやってきたISISの急襲。ここで夫も含めた親族の男は全員銃殺され、息子は取り上げられ、自身は性奴隷として扱われ、更に妹はそれに耐えかねて自殺。壮絶という言葉で済まされない人生を歩むことになる中で、命からがら脱走して、息子を取り返す為に戦っているわけです。

 マチルドは戦場ジャーナリストで、男性でも撤退するような戦場に単身乗り込んで取材するような強い女性ですが、彼女も同じ戦場ジャーナリストである夫を地雷で失っていて、ある種バハールと同じ失った側の人物。戦地から娘に電話するなど、バハールと比較すると弱さを見せる一面も。ちなみに、眼帯の女性ジャーナリスト、というと以前TBSラジオ「たまむすび」内コーナーアメリカ流れ者にて、町山智浩さんがそんな女性の映画の話をしていたので、題名が原題から変わったこの映画の話だっけ、なんて思いましたが、そちらは「A Private War」という作品で実在のメリー・コルヴィンという人を描いた伝記映画であって、本作のマチルドは彼女をモデルにした架空の人物でした。

 この2人をはじめとして、本作に登場する戦う女性たちは非常にタフなのは事実だと思います。男でも逃げ出したい戦場で失うものはない、と高らかに歌い、女に殺されると天国にはいけない、と言い銃を構えることに躊躇がありません。ただ、彼女たちはそうならなくてはならなかった、というのが正確なところ。そしてこれがフィクションとはいえ、事実を基にした話であり、実際に世界で起きていることなんだと思うと本当にぞっとします。

 ↓例えば似たようなものにこんなものが(見なきゃ…)
www.tbsradio.jp

2.戦争体験映画

 基本的にこの映画の視点はジャーナリストであるマチルドの語り部としての視点がメインですが、マチルドかバハールが睡眠に入るとバハールの回想になって視点がブレます。逆に言えば、時制や視点がブレれば回想ということであり、そういった意味では分かりやすい構成でした。

 現在時制では、いつ襲ってくるか分からない相手への緊張感が張り詰め、地下道でのハラハラは「ボーダーライン」1作目を思い出させました。作戦決行後のアメリカを始めとした連合国の空爆も極めてリアルで、学校でのミサイル(ロケット弾?)の弾着後の耳が聞こえなくなる様子もリアル(と感じる)ように作られています。

 こうした戦争を実際の戦場にいるように感じさせる映画はどんどん増えてきていますが、ことこの作品のようにまだ現在の出来事の場合、アトラクション的臨場感を与えることより、リアルに実在感を持って捉え、虚構ではないんだ、という意識づけに働きかけます。

 また、いま現在で起きていることだからこそ、物語の間で回想として入ってくるISISの侵略開始の際の悲劇は、文字通り追体験という状況になる訳で。それ自体がPTSDのように現在のバハールたちを襲っている、という状況と合わせて効果的な演出となっているといっていいでしょう。

 途中、脱出する過程に関しては回想が長いこと、且つ回想に入る原因が睡眠でないことから、ちょっと中だるみする、というか現在時制で何が起きてるんだっけ、と推進力が無いところもありましたが、そちらはそちらで脱出する、というサスペンスがあるので個人的には別に気になりませんでした。


tea-rwb.hatenablog.com

 

3.見たくないから見るべき。

 決して娯楽作品とはいえないこういう作品を見る意味は、マチルドがビシッと語ってくれています。私たちは目を背けたいことからはいとも容易く目を背けてしまう。だからこそ、見なくてはいけない。知らないといけない。こうしたメッセージが偉そうに言われるのではなく、戦場ジャーナリストのマチルドが職務上抱える無力感を解消する方向での描き方として言われるので説得力も増すし、受け入れやすくもなるのです。

 そうした無力感と真摯に向き合った作品だからこそ、バハールはちゃんと息子を見つけ、マチルドも戦場から生きて帰還したラストに少し喜びを感じるというか、救いがあってホッとするわけです。現実を考えると、せめて映画の中では報われて良かった、という思いですよね。(現実の悲惨さを考えるべき映画、というところでは相反するかもしれまんせんが)

 もはや日本では終わった問題かのようにニュースから消えているISISの問題。まだまだ戦っている人はいるし、例え終わったとしてもちゃんと目を向けるべき事象として通り過ぎずに直視しないといけない。こうした映画にちゃんとアンテナを張っていきたいと改めて思いました。