抹茶飲んでからマラカス鳴らす

見た映画、読んだ本、見たアニメ。そんな話を中心に。。。

いるんだからいる、を否定されたポケモンたちに想いを馳せる「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 東京は急激に暑くなりました。涼しめ安定から暑め安定になる端境期には綺麗に体調を崩し、外に出れば軽めの熱中症気味になる辛い…。

 というわけで夏は子ども向けアニメ映画の季節。毎年恒例ポケモン夏映画の感想でございます。オリジナルを見たのは覚えているのですが、映画館じゃなくてテレビだったかな…?今回みてたら「ルギア爆誕」(これは本で持ってた)と記憶が混在してました。

 個人的にポケモン映画ベストは「水の都の護神」です。

「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」ミュージックコレクション (通常盤) (特典なし)

WATCHA3.0点

Filmarks3.1点

(以下20年前の映画にネタバレもくそもないけどネタバレ有り)

 1.流石名作。重く大切なメッセージ

 こうして成人を過ぎてみると、オリジナル版「ミュウツーの逆襲」の凄さがわかるというか。冒頭で言った通り、正直完璧に覚えているわけではないんですが、それでもポケモン同士が泣きながら殴り合っていたのを覚えています。それだけインパクトが強い作品だったと思うんですよね。

 そのオリジナルの抱える重要な問題提起は、生命倫理・クローン技術、そして生きていること自体への問い。ゲーム発売から2年、アニメ開始から1年でこれぶっこんでくるって制作陣何考えてるんだよ、という気もします。

 んで、20年の時を経てのリメイク。正直なところ、3DCGにした以外に何がEVOLUTIONしたのかさっぱりわからないぐらいオリジナルに忠実。勿論、脚本クレジットが既に故人の首藤剛志さん単独だったことから想定されていたことではあります。

 そういうリメイク、というかリバイバルをすること自体は全く否定しません。ポケモン映画は「キミにきめた!」以降はアニメとの連関も無くして、独自路線を歩みだしてます。

 そういった意味で3DCGアニメにする、というのもゲーム版への慣れを促す面もあるとはいえ、新しい挑戦だし歓迎したいです。新しい挑戦をしてまで、今まで「ミュウツーの逆襲」を見たことのない世代に対して送るべき理由のある作品メッセージがしっかり内包されているのがオリジナル版。

 人の手によって作られたミュウツーがオリジナルともいえるミュウと戦うと共に、ポケモンと人間の関係を問い直し、人が生き物を作り出す、という生命倫理のど真ん中を撃ち抜く問いは科学技術の発展した今でさえも答えの出ない問い。昨年2018年には中国でゲノム編集された双子が誕生した、なんて報道もあり、いやこれどうすんねん、という状態なのは間違いありません。この映画自体がこの問いに明確に答えを出している、とは個人的に思いませんが、それでも考える機会を提供してくれると思います。このテーマだとB級感もありますが、「ジェミニマン」が秋公開ですね。

 このテーマについて考えだすときりがないうえに、EVOLUTIONというよりオリジナル版の感想になってしまうので、この辺りにしておきます。

tea-rwb.hatenablog.com

 

2.否定されたポケモンたち。

 ということで、この2019年に「ミュウツーの逆襲」をリバイバルさせたこと、脚本を変えなかったことの是非について考えたいと思います。これ、実はこの映画の根幹に関わる滅茶苦茶重要な問題を孕んでいると感じました。

 まずは単純に技術的な問題。3DCGとなったポケモンたちはよりリアルに、しかし可愛くなっているように感じました。表情の変化がつぶさにわかるし、それに伴ってなのかわかりませんが、大谷育江さんのピカチュウ力も格段に上がってませんでした?

 しかし、ここから苦言です。昨年の夏映画でも言ったことなんですが、登場するポケモンが古すぎる、というところを指摘したいんです。

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 20年間でポケモンの世界は膨張しつづけ、既にリージョンフォームやメガシンカを含めれば1000種近いポケモンが存在するのが現在です。スイッチの新作ゲーム、「ソード」「シールド」ではすべてのポケモンが登場するわけではないみたいですが、新たなポケモンも追加され、更なる拡大が待っています。そのポケモンの数だけ出会いがあり、それぞれの物語があります。

 ところが、今回の「EVOLUTION」には初代に忠実にカントー地方にかつて出現していた151種のポケモンだけが登場します。正確には、ドンファントゲピージョウト地方ポケモンですが。別にオリジナルに忠実ならいいじゃない?と思うかもしれませんが、これってとっても重要でないでしょうか。

 というのも、この映画のミュウツーの、ここはどこ?私は誰?何故生きている?という問いかけに対するこの映画の答えは、なんやかんやあるけどもう生きている。いるんだからいる。というものです。コピーだろうが、オリジナルだろうが生きているならその存在は全肯定する。そのメッセージ自体はとても胸を打つものです。が、20年の間に膨張したポケモン世界で明確に線を引いてこのメッセージを出すということはどういうことか。その後に登場したあらゆるポケモンたちは存在を無視されていることになりはしないでしょうか。あれだけ集合したトレーナーたちがただの一人もホウエン地方以降のポケモンを所持していない。膨張しすぎたポケモン世界を前提に劇場版を仕切り直したにも関わらず、です。

 この嘆きに更に追い打ちをかけるのが、ボイジャーの演説とフシギバナのコピーとオリジナルが戦闘する場面。

 ボイジャーさんは演説の中でしれっと、港のキャモメ、と「ルビー」「サファイア」のホウエン地方から登場するカモメポケモンキャモメに言及。フシギバナの戦闘では、最初はオリジナルのはっぱカッターを放ち、コピーがつるのムチで応戦します。問題は次の一手。オリジナルはエナジーボールを放ち、コピーはリーフストームでオリジナルに勝利します。この2つの技はオリジナル版当時には存在しない技でDSに対応したシンオウ地方が舞台の「ダイヤモンド」「パール」、いわゆる第4世代から登場した技。オリジナル版でどうだったかを覚えていないのですが、この2点は明確に変更点です。つまり制作陣は少なくとも第4世代までの存在は了解している。それなのに出てくるポケモンは第1世代が殆ど。いるんだからいる、という一番大切なメッセージから排除された、存在を否定されたポケモンがものすごい数いることになりはしないでしょうか。

 あとは細かいけども、今回は復活したカスミとタケシ。そもそもアニポケの途中までしか出てこない彼ら(っていうか、サカキもシゲルも)のお決まりネタであるお姉さんに惚れっぽいとかそういうのはただの元ファン向けになってて、仕切り直した意味ないよなぁ、とか。っていうか、「キミにきめた」では彼ら抜きでストーリーが進んだのに今回は復活とかなんか虫がいい気がするし、仕切り直し以前よりパラレル度が上がったからこそ、この世界線はどれと繋がって…とか余計な事考えてしまった。ホウオウの話とかしなくていいじゃん…。

 少なくとも、EVOLUTIONと同じ年である2019年に公開された「名探偵ピカチュウ」が全世代のポケモンとの共生を描き、存在を肯定していたことを考えるとあまりにも残酷なのは間違いないでしょう。

tea-rwb.hatenablog.com

 エンドロール、懐かしのポケモン映画同様に、色々な雑誌媒体で募集しただろう子どもたちのポケモンのイラストが流れました。そのうちの何枚かにはセレビィミミッキュといったポケモンが描かれていました。この映画を見に来た子どもたちは、明確に拡大されたポケモン世界に夢を持っています。来年のポケモン映画がどうなるのか分かりませんが、公開だけは予告されました。どうか、ミミッキュが好きな子も疎外しない作品になることを祈ります。それとも、私はもうポケモン映画は卒業すべきなのでしょうか…