抹茶飲んでからマラカス鳴らす

見た映画、読んだ本、見たアニメ。そんな話を中心に。。。

「勝手にふるえてろ」が年末に落としていった爆弾の破壊力

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 これが2017年に見た映画のラストになります。遅くなってスイマセン。明日より漸次総括を載せたいと思います。

 年内に纏めるのが無理だと悟って自棄になって見に行った映画でしたが、大正解だったと思います。面白いし、泣けるし、辛い。

 

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WATCHA4.5点

Filmarks4.5点

(以下ネタバレ)

1.暴力的なまでに痛い

 結論から言えば傑作だったこの映画。何が魅力的だったのかといえば、主役のヨシカのいわゆる喪女的あるいはオタク的言説のイタさ、ニの持つ童貞的なアプローチ。こういったものがあまりにも胸に痛いところでしょう。

 冒頭からおかしいんですよ。飲み会をタモリ倶楽部を理由に断るヨシカが駅員や釣り人、カフェやコンビニの店員に隣人、はてはバスで隣になった掃除のおばちゃんとまで会話を楽しんでいるわけです。コミュ力の天秤が釣り合わないんですよ。

 その違和感を抱えたまま、ヨシカは二に告白されて舞い上がり町中に報告します。これで我々はヨシカの立ち位置はむしろオタク的振る舞いにあることを確信します。散々舞い上がった後に、イチに接近しようとする訳ですが、その手法はホテルの前で嘔吐したダメダメなニの方法をそのまま採用するというもの。うーん痛々しい。

 しかし本当に苦しいのはこの先。タワーマンションの高層階といういわゆる意識高い系を類型化した舞台でそこに乗れていない者同士で、絶滅した生物が好きという共通点まで見つけてヨシカは勝ちを確信し、その瞬間に訪れるイチが名前を憶えていないという事実。現実が崩れ去ったヨシカは歌いだし、このミュージカルパートでこれまでの町の人々との会話もすべて脳内での実践だったことがわかります。…しんど ヨシカが名前を覚えてないであだ名をつけていたのと同様に、あるいはそれ以下で世界もまたヨシカを名付けていなかったことにヨシカが気づいてからは急降下。名前で呼んでくれていたニと来留美からも遠ざかり、世界から拒絶されたヨシカは世界を拒絶し、引きこもります。もう苦しい…

 でも本当にイタい言動としては、虐められていたイチを自分が同窓会に引っ張りだして傷つけたかもしれないのに、自分が名前を憶えられていないショックだけで終わってしまうってところですよね。きわめて他者を思うことが出来ていない。

 結局、こうしたイタい言動の数々ってオタク特有の蛸壺に住んでしまうことから生まれるんだと思うんですね。蛸壺の外に対しては野次っていれば、あるいは見なければ、罵ってしまえばいいわけで、蛸壺の中しか見えてない。大声でFワードを言ってればいいし、好きなだけWiki見てニヤニヤしてればいい。その蛸壺の中で大事にしすぎたイチと蛸壺の外にいたイチが一致しなかった瞬間その蛸壺は割れて、世界の中でただのクソガキになってしまうんですよね。

 

 さて、痛いといえば間違いなくニもイタいですよね。寝てない自慢に始まり、やっすい本で手に入れたであろう酔わせてお持ち帰りプラン。タワーマンションについていっちゃう無神経さ。なんだったら、イチだって、あるいはタワーマンションの同窓生だって、あるいは来留美だってイタく描写されていました。登場人物たちが全員痛いくて、でもどこか自分に思い当たる節があって。大ダメージを受けるわけですよ。

2.松岡茉優 on stage

 さて、このヨシカという役は女優が演じるには極めて難しい役だと思います。いうなればスクールカーストの最下層でありながら、虐めの対象とまではいかず、ロンリーウルフとなってしまった人物であり、オタク的気質や悪い意味での処女性のようなものを求められます。

 これを完璧に演じたのが松岡茉優さんでした。ご自身のハロヲタ気質のおかげがオタク的言説は完璧。タイミング、トーン、速度、息継ぎ。どこをとってもそこにヨシカがいました。そしてこれは誉め言葉ですが、絶妙に可愛くない!ちはやふるであれだけ華のある女性と感じたのに同一人物とは思えないです(白ゆき姫殺人事件の井上真央さんを思い出しました)。

 

 勿論、松岡さん以外の役者さん、特にニを演じた渡辺大知さんもまたイタい演技がうまかったですし、片桐はいりや古館寛治の演じた市井の人々もヨシコの痛さを鮮烈に浮かび上がらせる演技でした。

3.勝手にふるえます。

 本作品の大きな転換点はミュージカルで虚だったものを暴き、実だけが提示された瞬間なのはいうまでもありません。作品によってはそこで映画を閉めてこちらを殺してくることも可能だったと思うのですが、それで終わりません。

 ニをフって、妊娠したと嘘をついて、会社を辞めて、引きこもって、それでも気にしてくれる来留美の留守電を聞いて。ニを呼び出して、自分の野蛮をぶつけるわけです。一見わがまま女の暴言にも聞こえますが、きっと通過儀礼としての恋愛=イニシエーション・ラブ=をしてこなかったヨシカにとってそれが重要な儀礼だったのだと思います。そして、ニの相手にもたれかかるのは違う云々(正確に覚えていなくてスイマセン)と言われヨシカは遂にニを霧島君と名前で呼び、それまでの名前のついていない状態を脱し、自分の世界に彼を受容し、ヨシカ自身も作中の言葉で言えば「進化」して終わるわけです。

 ただのヨシカの失恋話で終わっていれば、笑えたけど最後怖かったね。で終わりですが、ここまで描き切ることで、イチへの失恋もヨシカの進化への意味を持って捉えることができ、不器用すぎてイタいカップルの恋愛物語としてパッケージすることができたんだと思います。こっちにしてくれてすごい良かった。

 ほんと、これを見ないで2017年の邦画を語ろうものなら、鬼が笑うぐらいの傑作でした。2018年は好き嫌いせず、巷で評価が高いモノはちゃんと見に行くようにしたいです。