抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

二択なら死でした「バッドボーイズ RIDE OR DIE」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はバッドボーイズ最新作。結構楽しかったのに、感想として文章化されたものはボロクソみたいになっているので好きだった方は読まなくていいと思います。編集とか、アクション画面での撮影とか凄かったんですが、そこを言語化する能力が無いとこういうことになります。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレ有)

 

 さて、完全に3作目の内容を覚えておらず鑑賞前に自分のブログを読み直したらそんな敵だったんか!という程度にしか思い入れの無いIPですが大評判なので見に行きました。うーん、難しいですね。

 そもそも評判だけで決めちゃったので本作についても中身を把握していなかったんですが、そもそも私は公的権力の人間がその権限をはく奪されても頑張るモノ、という名前があるのかないのかも分からないジャンルが基本的に大苦手。なので追われる身になる今回がベストになる訳もなく…ではありました。ただ、どう考えてもそういう嫌いな文脈の作品の割にかなり面白かったのは事実です。減点法で見ちゃった、ということかもしれません。

 マイクとマーカスの凸凹コンビを楽しむのが本作の楽しみ方第1条だとは思いますが、まずネタがノレなかったというのは大きい。冒頭の吐くぞ、から90秒だけジンジャーエールに時間をやる→強盗でふざけんな展開の丁々発止は非常に快く、そこから多幸感あふれるマイクの結婚式でのマーカスの挨拶も楽しかった。だが、ここでマーカスが臨死体験をしたことでスピリチュアル方向のネタが増える。スピは正直好きじゃないというか、スピ基準で説得してきたり相談に(勝手に)こたえようとしてきたりする話法がシンプルに好きじゃなく、端的に言ってマーカスが信頼に足る男ではなくなってしまった。コイツに信頼して作戦を任せられる要素が皆無になる。

 反面、マイクはマイクでクッソシリアスなばかり。前作での警部の殉職のトラウマがフラッシュバックしてパニック発作を起こしているのに強がって向き合うことをを忌避しつづけ、その解消が結局役者が起こしたビンタ事件をネタ消費することで覚醒するっていうのは最悪に近い。あのビンタ事件、ウィル・スミスとしては擁護したくなることもある気持ちではあるが、マイク・ラーリーとしてはネタにしてはいけないと思う。公権力が暴力を振るうことを正義と捉えるのは違う、ビンタによって覚醒して勝利を暴力によってもたらすのはダメだ。

 マイクの変にシリアスなトーンのせいで結局無茶苦茶やってくれるバッドボーイズ、という完全にバッドボーイズ2バッドあたりでの印象からフツーの作品になっていることは否めず、唐突なワニ映画要素なんかもオモシロになりきれなかった印象だ。というか、ワニが突出するからもったいない、ワニが霞むぐらいやってほしい。

 話は戻って、権力から追われる側になるのが嫌い、という話をしてみよう。今回の事件では、バッドボーイズの恩人である警部が麻薬組織と通じていたのでは?という疑いがかかり、それを晴らすところからスタートする。ここのスタートは別に分かるし、コイツらが勝手に捜査を始めたり、捜査方針が本部と異なることも分かる。いやまあ、息子の証言にしろ、警部の家を家探しするのにしろ、当時にやっておけよとしか思えないバカらしさではあるが。まあそれはいいとしても、息子を移送しようとするときに襲撃されてそれが自分たちのせいになって追われていく、そのプロセスが実に杜撰だし、そこからバッドボーイズたちを追い詰める悪役たちがガバガバ。この2人を悪役に仕立て上げたいならマイクの家やマーカスの家に襲撃の痕跡を残してどうするんじゃ。警部の家を家探ししている辺りから感じていたが、さてはバカしかいないな?

 でまあ、なんやかんやで解決した後ですね。マイクは息子を逃がす。なんかいい話風に。うーんこれがさっぱり理解できない。だって協力してくれて、自分の汚名も晴れる、なんんら減刑してくれるかもしれないのに受刑者を逃亡させたわけでしょ?警察官なのに。息子だからいいの?何それ。そうなってくると、ハメられただろうから警部の疑惑を晴らそうの理由が、俺のダチだから以上でも以下でもなくなり、信じられるのはここにいるものだけだ、も俺のダチだから以上でも以下でもない。それで一回痛い目を見ているのに。あの1回痛い目を見るやり取りもいやだった。ギャグとはいえ、マーカスがマイクの同意なしに性的な行為の同意をして話を進めるの、バディムービーとして現代だと受容できないノリだった。公権力が暴力を振るう事への問い直し、みたいなものが結局身内だからセーフ、でしかないのがビンタで覚醒させるところとかにも通底していて、もうそういうヒーロー像で描く「何も考えないで楽しめる」ジャンルの作品ってやっぱり考えが及んでいないだけで誰かを踏んづけているだけじゃね?ってなってしまいます。

 あと終盤も割とガッカリしたのがフェイク音声使うところ。現代テクノロジーとしてそういうのがあるのは分かります。でもそれはこの作品世界でやっちゃったらダメでしょ、っていうラインだと思う。適当に声を取ってフェイク音声作れるならこの映画における電話の信用性をもっと下げないといけないし、発端にある警部からのメッセージだってディープフェイクによるもの、というもう一個深い陰謀の可能性を考慮する必要が出てきている。この辺は黒鉄の魚影なんかを思い出してたり。

 結局将来的には息子たちによるバッドボーイズを作りたい感じも含めて、メンタル面の不調や女性の活躍、テクノロジーの進歩みたいな現代っぽい要素を入れるだけで、それは身内の範囲を広げているだけ、身内に甘い="あの頃"の自分たちだけ良ければ良かったハリウッドにも甘い。そういう願望が垂れ流されているだけになっていませんか?と思ってしまいました。考えすぎです。だって楽しかったのは事実だもん。