抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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伝奇のグルーヴ「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はゲゲゲの鬼太郎劇場版。6期は見てないし、墓場鬼太郎も見てないですが完全地元案件です。悪魔くんもみないとー

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WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

1.伝奇もの

 さあ、今回の鬼太郎は鬼太郎であって鬼太郎にあらず。6期の延長としての墓場鬼太郎だと思っていたけど墓場鬼太郎を見たことがないので別に思っていたところで大した問題ではなかった。鬼太郎、というか親父が幽霊族でそのご遺体の目がそのまま移った、と記憶していたがその辺を描くのかと思いきや多分思いっきりオリジナルなんだろう。鬼太郎誕生どころか、目玉の親父傑作回ですらあった。

 まずは冒頭、オカルティックな記事のために鬼太郎の出生を探ろうとするOP、そこからシームレスに昭和に移行して横溝的世界観での連続殺人事件に(名探偵津田といい横溝正史イヤーなの…?)水木が村についてからのショットひとつひとつが令和の世の中でその地に足を踏み入れたライターのそれと呼応していてよく出来ている!(ちなみに全然本格ミステリではなかろう、と言っている人の言うことは分かるのだが、今や新本格の流れは完全に特殊設定ミステリに来ているのでむしろど本流だと思っている)

 眼孔を突き刺す死体、天高くはやにえのように突き刺された死体に、完全に犬神家だろみたいな首。伝奇ミステリの基本をしっかり踏襲しながらも、ミステリとしての謎解きは完全に放置してる。それがむしろ鬼太郎を見にきた視聴者にとってなんらかのオカルティックな存在による事象なのか、人の事象なのかが分からなくなる効果を持っていたように感じられる。伝奇モノ、クソな田舎と戦後のどさくさムーブが混ざっていって共鳴していく。最終的には途中から水木には見えてたんで、犯人はわかってました、という強引な突破と妖怪バトルで魅せていく。

 終盤の幽霊族のパワー集結はやりすぎにも思えたが、それも沙代が死人の魂を集めて狂骨パワーアップもやってるし、そこで納得感があるから許せる。総じてやりすぎないように、でも可能な限り膨らませて、それでいて鬼太郎誕生がゴールになるようにしている非常にクオリティの高い作品。

 それにしても、頭首が孫に手を出していてそれが事件の原因だったり、別の孫に乗り移ってまだまだ日本には私が必要だ、というのを大義のために死ねと下っ端に言ってきた日本軍と重ねていくんだったり(無論そこを対比的にゲゲ郎を描いて)、村ぐるみで人を攫って幽霊の血を打って殺しながら製剤してたり、鬼太郎って対象年齢何歳なのよ、という。殺しのエグさは一瞬目を逸らせば子どもでも済むけど話の根幹にまで大人の嫌なとこが詰まってました。

 さて翻って現代、しょうもない小銭稼ぎのライター稼業かと思ってたらコンテンツとしての「妖怪」の本質に切り込んだ。こういう人たちが繋ぎ伝えていかないと、妖怪は存在し得ないのだ。うっわ上手とため息が思わず出る。本当の意味で妖怪って何なのか、ということは柳田国男を始めとした民俗学の領域だし、それこそ『遠野物語』を読んだぐらいの私が何かを言う事ではないけども、少なくともこの作品においては時弥くんの「忘れないでね」というセリフにしっかり呼応した忘れないということが妖怪たちとの共存っていう解決に向かう道筋なんだっていうことをしっかり示していたと思います。

 ゲゲゲの鬼太郎の劇場版というよりも、やはり水木しげる生誕100周年記念作品としての色合いの強い、水木しげる要素を完璧にフュージョンさせた作品でした。水木の声を向井理が担当していないのが嘘のようですらある。そしてまた、水木しげるが仕事場を構えて長らく愛してくれた我が地元調布市の映画館で、水木しげるの命日、通称ゲゲゲ忌のその日にこれを見たことも何かの縁があったんだなと強く思う。こうした作品が作られ続ける限り、妖怪水木しげるもまた死に絶えることはないのだ。

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 いや結局ゲゲゲの謎では無かったな