抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

音楽は時代も国籍も越えて言葉を与える「カセットテープ・ダイアリーズ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回取り上げる映画は、フォロワーさん、ボクテクン激推しの「カセットテープダイアリーズ」。まだ高校生なのに私なんかよりよっぽど物知りで言葉を持っているの方なので、これは、と思い鑑賞してまいりました。何より熱量!私が高校生の頃なんて、事実上人の形をしたオランウータンみたいなもんですからね。あ、でもミステリは一番読んでた頃か。じゃあミステリを読むオランウータンということになりますね。どうでもいいや、いってみよー!

Blinded By the Light

WATCHA4.5点

Filmarks4.5点

(以下ネタバレあり)

 

1.出会いは食パンを加えた子との衝突

 いやー、見てよかったですね、といきなり思ったのがオープニング。画面を分割しながら当時の映像やらカセットテープとかウォークマンが出てくるところで「あ、この映画多分センスいいな」って感じがビンビンで。もうその時点で元をとった気でいたんですけど、それじゃあ終わらない。

 パキスタンから移住してきた一家の長男ジャベドのお話な訳ですが、舞台となるのはルートン・タウンイングランドサッカーリーグの4部か3部にチームがあるのでお馴染みですね(お馴染みじゃない)(調べたら今年は2部だった)

 そんな彼がなんか父親がむずかっているところを上手いこと説得して夢の高校生活!そこで廊下でぶつかってしまった同じアジア系のループスと仲良くなり教えてもらったブルース・スプリングスティーンの歌にのめり込んでいく…。あれ、これっていわゆる少女漫画等でネタ的に消費されている「あれれ、遅刻遅刻~」と言いながら食パン咥えて走ってる主人公とイケメン転校生が角でぶつかってから恋におちるあのパターンじゃないですか!(多分違う)

 そんなこんなでブルース・スプリングスティーンの音楽、特に今回の場合は曲よりも歌詞に心を動かされ、「書く」ことを認めてくれる教師、友人、隣人と周りにも恵まれどんどん自分の夢が形作られていく。でも、それは同時にイスラム的な家族観とは非常に食い合わせの悪いものであり、個人主義と家父長制的な対立をしていく。姉の結婚式の日にブルース・スプリングスティーンのコンサートチケットを買いに行ってしまう、なんて非常に分かりやすいシーンですね。

 それと同時に、自分の人生でもあるルートンタウンでも顕著な差別とそれに反対する人たちの模様も描かれる。ちょうどこのころ辺りに移民排斥運動が起こり始めてるんですね。まあでも流れとしては理解できます。サッチャーによる新自由主義で失業者が増えて、自分の仕事を奪われたと感じる層が移民排斥に動く、というのは世界中で起きているムーブですからね。最近、フォレスト・ガンプを見て60年代の話なのに公民権運動がほとんど出てこない違和感を感じたのもあって、その時代を描くにあたってなかったことにしなかった、ということも評価を上げる要素だと思います

2.「イエスタデイ」より大好きな理由

 比較している人がいるかどうかわかんないんですけど、この映画を見ながら頭の片隅にはずーっとビートルズを扱った映画「イエスタデイ」の存在がありました。

tea-rwb.hatenablog.com

 「イエスタデイ」の感想については、該当ブログを読んでほしいんですけど、共通項としてその音楽を頼りに自分の未来を切り開く、でもそれだけって訳にもいかない、そして何よりどっちにしても私は曲をほとんど知らない、ということ。流石にビートルズは何曲か知っていましたが、ブルース・スプリングスティーン、マジで1曲も分からなかったですね。洋楽知らないおじさんです。

 ただ、曲を知らなくても「カセットテープ・ダイアリーズ」の圧勝と言わざるを得ないのが現状。簡単に言えば、「イエスタデイ」に足りなかった守破離が完璧に、しかも多重的に成立していた、ということです。

 まだ何者でもなく、親の言うことを聞き、親にお金をそのまま渡す、これはこれである種の守の段階、イスラム的家父長制を内面化している時間。ところがそこにスプリングスティーンという新たな価値判断の指標が手に入る。するとジャベドは服の袖を切ってみたりと、完全に形からも入っていきます。新たな守の段階ですね。そしてその新たな指標を無事自分と重ね合わせることに成功して、人にこれまでの創作を見せたり、論文が入選したりと飛躍の段階を迎える。破の段階を迎えているといって良いでしょう。「イエスタデイ」ではこの先が無かったのですが、本作は違います。論文の入選の表彰式?みたいな場において、会うはずの無かった家族の来場で、ジャベドは手に持っていた朗読するはずの論文=破の象徴を読むのを止め、自分の言葉で語りだす。スプリンスティーンに染まるのではなく、取り込んで新しい自分の構築を達成した瞬間でもあります。音楽映画ではありますが、ジャベドは書くことで、言葉を使うことでここまでも描写されているのでスピーチで十分なのです。「イエスタデイ」はここで歌えよ、と思ってしまったんですよ。

 そして更に素晴らしいのは、このジャベドがスプリングスティーンからの守破離を達成し、自分の言葉を手に入れた段階が彼と家族、っていうか父親との関係性の変化とも合致させられている事。ただ言うことを聞くだけの段階、静かに、あるいは大見え切って反抗し出奔する段階、そして最後に受け入れ、互いを尊重し、共に生きる段階。思春期を越えて新たな関係性、適切な距離を見つけ出した描写は心にくるものがありました。全て運転を父に任せていたのに、ラストは父がジャベドに鍵を渡し”You drive”。ジャベドは自分の人生のかじ取りを認められた。ジャベドにとっても、父にとっても成長です。あーたまらん。