どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
今回はディズニーのアニメ、と聞いていたんですが、開幕20世紀スタジオのファンファーレだったし、よく見たらスタジオがイギリスのとこなので、配給がディズニーってだけで、ディズニー印の映画、という訳でもないんですかね。知らんけど。
そんな私はディズニー+の無料体験制度が終わると聞いて慌てて無料体験し始めました。MCUのドラマシリーズみますよー
WATCHA2.0点
Filmarks2.2点
(以下ネタバレ有)
1.入り口と出口がおかしい
入り口は見事でした。いわゆるスティーブ・ジョブズスタイルっぽくバブル社のB-ボットを紹介。それが浸透した学校生活も綺麗に描いて、それを持っていない主人公、っていう図式と同時に、一社が独占しているちょっと危険なディストピアっぽさの導入に成功しています。
その結果、持っていないバーニーが学校生活で浮いていく訳で友達を作ろう、みたいな教師からの可哀想な押し付けなんかも生じている、と。こっから想定される、というか向かうべきゴールはもうたった2つ。B-ボットが支配する世の中からの脱出に伴ってバーニーに友達ができる(おそらく獲得されるポンコツロボットとの別れを経て)か、友達がいない人生でも肯定する、の方向だと思うんですね。で、学校にロボット置き場が作られ、授業でも取り入れられているような状況、つまり、B-ボットが公共インフラとして浸透している状態である以上、バーニーがこれを所持していないことは、コメディタッチに描かれてはいるものの、明らかに問題がある家族の方に問題がある。社会インフラになっているB-ボットのことへの関心が無さすぎるだけでなく、不正に入手したものを息子に与える(それも貧しくて悲劇的に、みたいな文脈でもない)リテラシーの人間が、使えなさそうなものを人に売る仕事をしている。そんな商売上手くいく訳ねぇだろ、と思ってしまう。極論、この映画はおっことしたぐらいであんなバグになる機械を売ったバブル社の自業自得3割、このクソ家族のせい3割、バーニーのせい4割ぐらいですよね。
うん、なんか話が逸れましたが、まあとにかくポンコツではあるものの、無事B-ボットのロンを手に入れたバーニー。スタンドアロンだったということで、それ自体が彼の友達獲得には寄与しないどころか、なカルチャーギャップコメディなんですけど、至極当然、求められる能力を満たしていない為に返品されようとする。ところが、いじめっこを殴り返してくれた、という非常に暴力的な理由で返品しないことを決めて、なおかつ犠牲となるロボットを仕立てて逃走することに。返品云々のくだりで、バブル本社はある程度のやるべきことはしている(見逃しちゃう都合のいい怠慢はありますが)のにクソ家族ムーブをかましたりすることでこの辺でどんどん納得感が薄まる。
トドメの学校でのてんやわんや。特に、最悪な瞬間を拡散されるような事態は、このデジタル時代に一生残ってしまう癒えない傷でもある訳ですが、なんかそれがロンやバーニーのせいにはならない。それどころか、これにショックを受けた面々がなんかロンとバーニーの友情を尊重するようになってくる。なんやそれ。その辺も含めて、どうも全体的に子どもにインターネット触らせると危ないね、ペアレンタルコントロールしようね、みたいな雑な押し付けを感じました。
まあでもこの辺で終わっておけばまだましでした。スティーブ・ジョブズが悪人として君臨、やりすぎ個人情報抜き出しとかを始めた辺りで、バーニーのやったことがどんどん背景化してきて、ロンを取り戻すというミッションに。5億歩譲ってそれはいいけど、クラウドにバックアップがあるのに本社に突入するのも良く分からないし、それを手引きした社長がもっかい社長に返り咲けるのも意味わかんないし、世界中のB-ボットにロンをアップデートするとか、本当に意味が分からない。セキュリティ制限も、それこそペアレンタルコントロールも解除、しかも他人に暴力を振るったりするようなプログラムに、何の断りもなく世界中でアップデートされちゃう、ってもともと学校の時点でその気はありましたが、完全にテロですよ、テロ。何も良くないでしょ。
というわけで、想定された出口と全く異なる、全世界にB-ボットはいるけど、その中身がとっても大事な友達、ロンになったから大丈夫だよ!でした。えーと、全然大丈夫じゃないどころか、ディストピア化が進んでますけど…?そういうディストピアになっちゃった、っていう作り方ならいいですけども、本作は奪還作戦やバッテリー切れの時の音楽なんかも含めてバーニー&ロンしか正義はないぜ!風に作っているので、全く理解ができません。
あと、あれね、友達連中のキャラ描写もうっすい。友達大事教(なる宗教)にゴールを準備しているんだったら、もっとキャラをしっかり掘り下げてジュブナイル感を出すべきで、科学部長の子なんて、ほんとうにただの多様性の担保にしか使われている感じがしない。大体6歳の時の誕生日会に来ていた人たちとずっと友達でいなきゃ、って本当にどんなディストピアだよ。そんな初期の人的資本に限定して生涯生きていかないといけないなら、私は詰みます。映画趣味の人となんて、6歳から繋がられるか、コノヤロー。
と、いう訳で、「ミッチェル家とマシンの反乱」「アイの歌声を聴かせて」「ラブ、デス&ロボット」みたいな人間とAIものでいいものが多発している中で、クソみたいな古い価値観でお説教してくるおじさん(しかも泥酔しているので支離滅裂)みたいな映画でした。