どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回は華麗なリフティングが見れるサッカー映画…の側面を持っている、カンヌ国際映画祭で監督週間に20代で初長編ながら選出された作品です。

WATCHA5.0点
Filmakrs4.8点
(以下ネタバレ有)
これは都市の映画。有害な男性性を内包した建築家の映画、という意味では『ブルータリスト』そして明日公開の『ローズ家~崖っぷちの夫婦~』と、何か知らんけど2025年に続いているのだが、そのどれもが好物であったことは非常に嬉しい限りである。この2つの映画と比較し、本作は建築家についての映画でもあるのだが、建築物、建物についての映画というよりも、都市全体についての映画だ。都市大好き。
舞台は渋谷。渋谷と言えば、終わらない工事を、特に渋谷駅で周辺でし続けている印象が拭えないのだが、それをそのまま切り取って物語に落とし込んだ、とさえいえる作品に仕上がった。遠藤憲一演じる建築家は、SHIBUYA MIYASHITA PARKの設計者として登場する。かつて宮下公園だった場所は再開発され、その過程でホームレスの排除なども問題になった、ある種世代によって捉え方が変わる施設だろう。本当に余談だが、調べた感じ、現実にはMIYASHITA PARKの設計は竹中工務店と日建となっていて、この人!っていうのはないっぽい。それはそれとして公式HPのコンセプトはちょっと引いた。読んでおいて見てほしい。
卵とキャラメルが出会って、プリンが生まれた。
出会いって、愛。組み合わせって、未来かも。
公園の下に、ハイブランド。
ハイブランドの横に、飲み屋横丁。
ホテルも珈琲屋もレコードショップもギャラリーも、
混ざってくっついたらどうなるんだろう。
ごちゃっと自由に、ここは公園のASHITA。
その全部があたらしくなった、MIYASHITA PARK。
さあ開業、開園です。
ニンゲンも風も花も鳥も、どうぞいらしてください。
MIYASHITA PARK 公式HP(https://www.miyashita-park.tokyo/concept/)より引用
宮下公園に親しんだわけでも、渋谷に通い詰めていたわけでもない私の目線からだと、ポエムにしか読めないのだが、しかし確かにこれが響いて若者やインバウンドの需要がどうやらあるらしいのは事実だ。そして、それこそが'街'なのだ。居住者、利用者が少しづつ変わっていて、都市そのものも変容していく。建築物は常に脆くなる方向に矢印は向かい続け、一定のラインに達した段階でスクラップ&ビルドがなされ、その度に対象年齢や階層がその時の最適解と思われるものに移り変わっていく。それが街であり、建築家は、都市設計は常にそれを想定して行う義務と責任がある。その荒波を芸術性やどさくさで潜り抜けた時、うっかりそれは「歴史」という言葉の下でようやく保全される対象になる。でも大半はそうはならない。そしてそれがそのまま建築家の人生として降ってくる。だから、この渋谷のこの時を映画に焼き付けることもまた大事なのだ。なんだか似た複合商業施設が並び、LUUPが走る街だけど同時に、登場人物たちの移動にあたって常に階段や坂が存在する渋谷という街、高速道路がまだ空中を走っている東京という街。なんやかんや言って、階段を上った先に個室を構える遠藤憲一が、それでも透明性を担保していると言いたげな事務所を構えている街。
あとは常に移り変わっていくような都市に対して、どのような態度を取るのか、それだけなのだ。昇華したとか言って憚らない遠藤憲一も、色んな街の変化に胡蝶蘭を届けて立ち会ってきていざ、父親と対峙して特に言葉は出ない黒崎煌代も、もう決別しきっている木竜麻生も。そして、自分の想像する街=家族の在り方を持っていても、いざ井川遥が電球を落とし続けて顕現したら、やっぱり受け止めもまた変わる。都市の姿も変容し続けるように、家族の姿もまた、元に戻ることはない。でもそれを受け止めて、次に出会う人との関係をどう築いていくのかだ。遅すぎることはない。大声の首宣告とカッとなる吉岡睦雄を見て即辞めた彼女を思い出す。遅くはない。でも、戻らないし、相手もそう受け止めるとは限らない。そういう話を、渋谷を舞台にしたリアルな家族劇を見ているのかと思ったら、まさかのマジック・レアリズム的な方向に持って行くとは。まあマジック・レアリズムとは言ったが、中南米のそれというよりは、黒沢清的なそれ、ではあるか。吉岡睦雄いたし。
家族が確実に存在していたサービスエリアで始まってサービスエリアで家族は決定的な終わりを迎える、みたいなのも丁寧すぎるきらいはあるけど、すごく脚本的にもきちんとしているのだと思う。
スケートボードの映画は、私にとって街を読み替えるから好き、と言う話は常々している。そうした点で言えば、まちづくりは人生の読み替えであり、まちづくりそれ自体が書き換えなのだろう。
MIYASHITA PARKもまた、再開発される時が必ず来る。LUUPに代わる何かが走る街になる。街も家族も永遠はない。その時の遠藤憲一もまた、見たいものである。その時再び、井川遥は現れる。その時も、カメラは背中から撮るかもしれないが。