どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
夏を超えた新たな季節、烈(fromTBSラジオアフター6ジャンクション)が終わりを迎えました。そんな烈でもさわやかな気分になるこれぞ、といえる夏休み映画に出会ったのですが、それをいまさらのご紹介。「ペンギン・ハイウェイ」です。
とか言ってたら夏休みどころか9月も終わっちゃうよ!!ごめんなさい!!
WATCHA4.5点
Filmarks4.6点
(以下ネタバレ有り)
1.石田祐康監督との出会い「陽なたのアオシグレ」
あれは2015年のことでした。そこまで映画館に通う習慣やアニメを1クールに何本も見る習慣がまだなかった私がフラッと時間があうので見に行った映画が「台風のノルダ」。そこで同時上映されていた「陽なたのアオシグレ」が石田監督との出会いであり、私が映画館に通うようになったきっかけともいえる作品でした。
改めて見直してみると、やっぱりこの作品、大好きでした。
ヒナタくんがシグレちゃんを追いかけるシーン。雨の中を走り出すというのと、空想の中で鳥に乗って追いかけると2つのパターンで引っ越してしまう女の子を追うことを見せてくれます。現実側の愚直さ、そして空想側の飛躍感、ファンタジックなこと。アニメである意味を強く感じますし、そっちの空想の側ではメガネが外れていていかに夢中・盲目か。ちゃんと見直してみると脚本などは特に斬新さはないんですが、やはりスクリーンでこの快感を味わえたのは本当に幸運だったと思います。
2.石田作品のこれまで
ということで、「陽なたのアオシグレ」だけでなく、この際なので石田監督の過去の短編作品も見てみました。というか、主にこのせいで記事完成が遅くなりました。
まずは「フミコの告白」。たった2分なのに疾走感抜群の絵的快感もさることながら、表情の豊かさに位置エネルギーで感情の激しさをしっかり表現できていていやはや良い作品。
次に「rain town」。雨の降り続ける街での少女とロボットのふれあい、とでも言えばいいのでしょうか。ロボットの正体とかいろいろ考えさせられますが、ある程度の答えを提示してくれています。フミコの告白に比べるとより「静」のアニメーションに特化した印象です。
そして「ポレットのイス」。ノイタミナのOPって石田監督やったんか、という驚きがまず襲ってきますが、友達を作ってくれる椅子。年月を経れば使わなくなってしまうが、また寂しくなった時に助けてくれる。きっとポレットにとっての椅子が視聴者にとってのアニメであるように、との願いをこめたのだろう。相変わらずの高低差の躍動感は勿論だが、後述するペンギンに変化する回転の原点がここに。
最後に、「FASTENING DAYS」。ファスナーで違うものや穴をくっつけてふさぐ、というアイデア一発勝負ながらも、主人公2人の絆やその母親との問題の解決を描き切っている上に、「フミコの告白」で見られた躍動感も健在。更にはペンギン・ハイウェイと同じように部屋を上から見た視点で始まるなど、現在へのつながりを感じます。
3.最高のアニメ的快感
さあ、話を本作「ペンギン・ハイウェイ」に戻します。
今作でも、これまでの石田監督作品同様、いやそれ以上にアニメ的快感や美しい描写が溢れていることをまずお伝えしたい。
話としては、日常にペンギンという異物が現れて侵食してくるお話なわけですが、このペンギンがまずもって最高。ペンギンは恐怖の対象ではなく、それでいて不思議な存在であり、かつ可愛い。恐怖の担当はジャバウォックに任せているからですね。リアルすぎて生々しいこともないが、ものすごくファンタジックなわけではない。OPで突然の出現、トテトテ可愛く歩くところ、猫に追いつかれるも、泳げば猫よりも早くカッコいいというところ。そんなところをこの先で主人公アオヤマ君たちが通る道を見せる手法の時点でもう100点満点出してました。
ペンギンといえば、事象研究の際のお姉さんが投げた缶が空中でペンギンに変化するシーンも最高。その流れで、終盤の圧倒的なペンギン変化シーンとそこからのペンギン行列は疾走感抜群。見ているだけで大感動するカタルシスであまりの可愛さと美しさにうっとりしてしまいます。
4.小学校4年生の好奇心
主人公のアオヤマくん。森見作品だということを忘れてしまうぐらい自分に言い訳をしないでしっかりと論理的に考え、思考を書き出して整理し、実行力もある、それでいて絶妙に全くいないと言い切れるわけではないラインを突いていたと思います。私は、小学生の受験塾でのバイト経験があるんですが、たまにいますからね、無駄に歴史だけ凄い探求心に支えられて大人よりすごい質問してくる子とか。
この物語の冒頭は、アオヤマくんのモノローグでした。自分は既にお姉さんと結婚すると決めている、などとほざく彼だが、スズキ君への接し方、そしてハマモトさんとの関係などから本当の恋愛については知らないで、知識としての恋愛しか知らないことが伺える。
そんな中で、お姉さんの謎、海の謎を解いていき、ペンギンハイウェイを通って世界の果てへとたどり着いてお姉さんとの別れを経験。そして映画のラストは殆ど同じアオヤマくんのモノローグで締められます。しかしその意味はまったく異なり、ひと夏の経験を経て、明確に恋愛というものを意識した彼の成長をしっかりと証明していました。
アオヤマくんの研究や思考は極めてロジカル。しっかりと事象を観測し、記録をつけて法則性を発見する。更には社会学というか統計学?とかで学ぶKJ法に近い方法を使って、これまでの話をまとめて全体の方向性をしっかりと見直す、なんて手法を用いていました。ここまでできる大学生が何人いるのでしょう…
そんなことが出来るのも神の視点にも近いアドバイスをしてくれるお父さんの存在が大きく作用していたのは間違いないでしょう。きんちゃく袋を使った世界の果てを示唆する説明なんて、諭すようで、それでいて考えさせる。親、というか教師というか。っていうか、声的に言えば、父親が西島秀俊で母親が能登麻美子(ご結婚とご妊娠おめでとうございます!)で妹が久野美咲って、環境が人を育てるのだろうか(錯乱)
4.ペンギン・ハイウェイの果てに何があるのか
結局「海」とは、「ペンギン・ハイウェイ」とは、「世界の果て」とは一体何だったのでしょうか。
劇中通り解釈すれば、それは海はまさに世界の果てであり、アニメ的な言い方をするのなら特異点、とでも言えばいいのでしょうか。そしてそこに至るまでの道がペンギン・ハイウェイであるのでしょう。
と同時に、少し距離を取ってみて見れば、当然世界の果てというのは、なんらかの本質、ハガレンでいう真理の扉的な存在であり、その謎に迫っていくアオヤマくんの研究過程こそがペンギン・ハイウェイだったといえるかもしれません。
さらに言えば、お姉さんという存在こそが世界の果てとも言え、彼女に到達することを最後にアオヤマくんが誓うわけで、これからお姉さん、あるいは大人、という存在に到達するまでの長い長い道のりもペンギン・ハイウェイなのかもしれません。
いずれにしても、お姉さんが消えた後にペンギン号が戻ってくるという非常にクールなラストのおかげで、アオヤマくんだけでなく我々もほっとして、いつの日か再会の時が来るのではと思える素敵な作品と思える終わり方でした。