抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

どうか、どうかアニメ第2期を…「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」感想

どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

夏休み突入怒濤の3連続鑑賞の最後の記事はアニメがとても好きだったノーゲーム・ノーライフの映画版。「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」です。

ノーゲーム・ノーライフ ゼロ

 

Filmarks3.3点

WATCHA3.5点

(以下ネタバレ有り)

 1.アニメ ノーゲーム・ノーライフ

 アニメの第1期が放送されたのは何年前でしょうか。当時私は大変に好きだったことを今でも覚えています。気に入った点は、ルールの明示です。異世界転生と国盗り物語を合わせた作品な訳ですが、その国盗りの方法がゲームであること、が画期的な点で、ゲームである以上当然ルールが存在します。ルールが存在するからこそ、チートや裏切りが発生し、面白くなります。また、ディスボードと呼ばれるこの世界自体にも10の盟約というルールがあり、その存在理由も含めて最終目的地点が明示されアニメは終了しました。そのため、この作品においてルールが最も重要だと考えています。劇場版を見る前の前段として、そのことは頭にありました。

2.本編感想

 劇場版の舞台はそのルールが設定される前の大戦中の世界。人類種がイマニティという名すら与えられていないちっぽけな存在です。前半はその長であるリクが機凱種(エクスマキナ)の少女シュヴィと出会い、自分が死を命じてきた部下達のことを悔やみ、葛藤しながら、大戦を終わらせることを決意するまでの物語。後半は結婚したリクとシュヴィが大戦を終わらせるために裏でエルフやワービーストを動かし、なんか凄い攻撃を星の核に集めて、戦争を終わらせる権限をリクが手に入れると計画するも、シュヴィがフリューゲルであるジブリールに遭遇、戦闘し作戦が変更されリクもまた命を落とし、テトが唯一神の座を獲得するというものでした。

 まず、大戦中の世界では死の灰のようなものが降っていて、人類種の皮膚に触れすぎると死をもたらす程のもののようですが、これが具体的に明示されない。ゴーグルやマスクをコロンが被っていない所も散見されたので危機感が薄まります。

 そして、一番よく分からないのが、リクが失敗した理由です。シュヴィはジブリールとの戦闘で敗れますが、リクとの交流を経て人間の心を獲得しており、それを餌に機凱種とコンタクトを取って情報を残して死にます(正確には死とは言わないようだが)。

 リク達は作戦の実行に当たって、誰も死なないことを掲げていました。シュヴィは、道具の死はそれに含まれない的な伝言を遺し、リクは結婚しシュヴィを個として認めていたにも関わらず自分に嘘をついて計画を修正し、続行。その嘘をついたことが、権限の獲得失敗の原因に描かれていました。

 でもそもそも誰も死なない、は勝手に決めたいわば自分ルールです。大戦を終わらせる権限自体は、強大な力を一点に集めることが条件のようでした。なので、自分ルールを破ったところで、それが失敗する理由にはならないような気が致します。

 そしてその土壇場で意思を継ぐように現れたテトもまた謎です。ここまででテトは、リクのチェスの相手として認識できないゲームの神として出てきています。それが何故、このタイミングでいわば横取りを出来たのか、現在視点で自分しか知らない物語として楽しそうに横取りした話をできるのか、甚だ疑問です。

 劇中では何度も単純なゲームなのに、ルールを分からずに戦争を複雑にしている、的なことがリクに指摘されています。これ自体はアニメと同じ構造ですが、どうでしょうか、この映画もまったく同じ構造に当てはまるように思えます。大事な説明を端折りすぎて単純な話だったのに、複雑で分かりづらい話にしてしまっているような、そんな気がしました。

 恐らく、アニメ版では異世界転生定番のこの世界の事を知らないから教えて、&ゲーム弱者のバカキャラ、ステファニー・ドーラの存在によって丁寧に説明できていたことが、そういったキャラが不在になったために起きたのではないでしょうか。

 

 以上のことを踏まえると、個人的に求めていたのはこの映画ではなく、あの国盗り物語の続き、なんでしょうね。是非第2期、待っております。