どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
世界中を巻き込んだお祭り「エンドゲーム」からもう2か月ぐらい。祭りの余韻に浸る間もなく早くもMCUの新作。サノスをメインヴィランとするフェーズ3も最終章で未だ正式タイトルの発表のないフェーズ4への繋ぎでもあります。まあどうせ年明けにはMCU新作があるとは思いますが。
どうでもいいですが、この日は3本ハシゴの予定が上京した友人に呼び出されこれのみの鑑賞に。代わりに秋葉原でアイドルマスターミリオンライブのスタンプラリーと景品を手に入れました。デレしか分かんないのに!
WATCHA4.0点
Filmarks4.1点
(以下ネタバレ有り)
1.思春期ヒーロー、スパイディ再び
「エンドゲーム」でトニー・スタークを失った世界。あのあまりにも悲しく私が「葬式」と形容した作品の後に秒速でやってきたスパイダーマン新作。予告編にもトニー・スタークの幻影がピーター・パーカーを苦しめていそうな感じがムンムンしていた。
だがどうだろう、始まってしまえばこの映画めちゃくちゃ明るいのである。前作、「ホームカミング」での好きになった子の父親がヴィラン&それに伴う別れがまるで無かったかのように「どうしようMJ好き」と悩んでいるピーター。(ついでに言えば前作の終わりにあったヴァルチャーと監獄で話してた人は放置?)終始そんな調子で序盤は進むし、悪友ネッドもノリノリでモテることしか考えてない。あれだけ大きな物語の後にこれである。話を進める推進力になる部分が実に小さい。
とはいえ様々な理由(NYだと劇中でも言及されたストレンジが多分秒で解決しちゃう)で今回の舞台は修学旅行でヨーロッパ。本来NYの親愛なる隣人というスモールなヒーローであるピーターが欧州規模の大冒険をし、マルチバースの概念の下でミステリオが登場する、という宇宙規模の更に上を行く規模の話を仕込もうとしているのだから、自分とMJの恋愛、更にはメイ叔母さんとハッピーの恋愛というちっちゃい話を忍ばせておくのはスパーダマンとして成立させる良いアイデアだったのではないだろうか。
2.いつだってジェイクは
今作のヴィランはエレメンタルズと呼ばれる砂・風・水・火を基調とする別次元の敵。そういえばアメスパにエレクトロとかサンドマンとかいたな、なんて思いつつ映画が始まってみて、ミステリオと合流して見れば、既に残りは火一体。それもあっさり倒せちゃう。
そう、ジェイク・ギレンホールという起用からも予想できたり、ミステリオというキャラクターを知っている方は予想通りだったとは思いますが、メインヴィランはミステリオ。彼はホログラム技術やドローン技術を駆使してトニー・スタークのいない世界の王になろうとしていたのです。
いやー、流石ジェイク。そういう意味では期待を裏切ってくれません。しかも、彼の攻撃は基本ドローンでホログラムをそれに合わせて動かしているだけなので身体的には普通の人間。ピーターをホログラムを駆使して追い込む場面もありますが、それだって映像を見せているだけ。ピーターが素直だったから信じちゃっただけなわけです。だからこそ、企みが露見してからの攻撃も「ドローン、いけっ!」しかない。その小物っぷりがまあ板についている。
3.ポストエンドゲームのヒーロー像
この映画、単純にMJとの恋愛やミステリオの繰り出すからくりの数々を味わったり、最終決戦でのピーターのウェブシューター無しでの戦いを楽しんだりと、しんみりした「エンドゲーム」の余韻を楽しく忘れさせてくれます。
ところがこの映画、非常に現代的な重要な意義を含んでいると考えました。
映画内で序盤に提起されるスパイダーマンは親愛なる隣人なのか、2代目アイアンマンなのか。その結論は出ていません(まあHEART OF IRONMANという映像をピーターが飛行機内で見ようとしていたし、アイアン・ハートと呼ばれるヒーローが出てくる布石を打ったようにも感じましたが)。
それどころか、最後にミステリオが仕組んだ罠によって、ピーター・パーカー=スパイダーマンと暴かれ、殺人犯に仕立て上げられます。これは勿論のこと所謂フェイクニュースですが、それを知っているのはピーターサイドの何人かと観客だけ。MCU内の多くの人がスパイダーマンはヒーローではなく、ミステリオがヒーローだった、と記憶してしまいます。この構造は現在の世界でのフェイクニュースを巡る情勢と全く同じと言えるのではないでしょうか。結局デマだろうとなんだろうと、人々が目にしてしまったら広がるし、そう信じてしまえばそれが真実とは違う事実となってしまう。
振り返ればこの映画、実に嘘に塗れています。そもそもピーターはネッド以外に正体を明かしていないので多種多様な嘘をついて修学旅行を抜け出しますし、ニック・フューリーたちも嘘を用いて嫌がるピーターの旅行計画をバンバン変えていったり。っていうか、予備知識を持っている観客たちに予告編で強盗団と乱闘するアイアン・スパイダースーツを見せて喪失と継承の物語と誤解させています。マルチバース概念を導入してサノスの次のフェーズへ向かうのかと思わせてその発想自体がペテン。そう、思い返せばミステリオが普通の人間だというのに気づけないのも、ソーやGotGの面々、ヴィジョンといったありえないラインを越えてきたMCUの映画的な嘘があるからこそです。
更にはポストクレジットでフューリーとマリア・ヒルは「キャプテン・マーベル」に登場したタロスとその妻だと判明。敵どころか味方まで嘘塗れ。っていうかいつからお前らになってたんだよ!今作ではミステリオの残党を調査したり、ミステリオの真実を公開しなかった情報戦略、といった面でフューリーの弱体化を感じたのですが、これも言い訳が出来ちゃうわけです。
こうした「嘘」を多く入れ込んだ理由は今後のマーベルのヒーロー像に大きく関係してくるからではないでしょうか。
「シビルウォー」以降は、アントマンやスパイダーマンのような誰かを助ける小さな物語のヒーローはともかく、敵が強大すぎるのでとりあえず力ある奴頑張れ、的な感じでお祭りが続いていました。だが、それが終わったとき、お前本当にヒーローなの?と突き付けてきた訳です。MCUではヒーローたちの内なる葛藤が描かれてきました。でもそれは彼らがヒーローであることを自明としてきたから。では、ヒーローをヒーローたらしめているのは何か。「キャプテン・マーベル」の場合は彼女の意思の強さが強調されていましたが、今後はそういう本人性ではなく、周りがいかに正義と認めるか、という話になるのでは。民衆に支持されなければヒーローではない、と同時に民衆が支持するものが正しいのか。ポピュリズムや嘘との闘いといった現代的なテーマを織り込んでくること、例えばそこに人間でない存在、ミュータント(X-MEN)が絡んでくることがあっても、もはやケヴィン・ファイギの手腕を考えたら驚くことはないですね。
個人的に面白いのは、こうした今後を巡るテーマの設定に関わる部分をヴィランであるミステリオに委ねているところ。ヴィランに魅力が無いと言われ続け、サノスまで単なる悪党にエンドゲームでなってしまった中で、MCUもヴィランの魅力づくりに必死なのでしょう。