抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

香港で何が起きているのか。「乱世備忘 僕らの雨傘運動」「十年」感想

 

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は7/1には、立法府を占拠するところまでヒートアップしている香港をめぐる混乱を考える、というテーマで2本の映画を紹介します。一部には政治信条に近い部分が見え隠れしているかもしれません。ただ、そこはスルーしていただいて構いません。少なくとも、香港でデモ活動をしているところに水平で催涙弾等が撃たれた、1人の尊い犠牲があった等の事実はそこに存在していて、そこに対して無関心以外の行動を取ってほしい。ひいては、政治に対する無関心が少しでも解消されて欲しい、というのが願いです。

 

1.乱世備忘 僕らの雨傘運動

乱世備忘 僕らの雨傘運動 [DVD]

WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

 香港での運動を受けての東中野ポレポレの1階のポレポレ坐にて緊急上映。

 2014年に起きた雨傘運動を取り上げたドキュメンタリー映画です。f:id:tea_rwB:20190727015336j:image

 普段、こうした香港の状況に関しての情報入手先であるTBSラジオsession22やテレビ東京未来世紀ジパングで取り上げられる周庭(アグネス・チョウ)さんとは違った視点から雨傘運動を捉えられた。

 ただ普通選挙を実施してほしい、それだけの思いで始まったそれは確かに香港史上でも大きな運動だったはず、ただ79日間に及ぶ道路占拠は結果的にそこをホームと呼ぶ人が出るなど日常化してしまっていたのかもしれない。当初はレミゼの「民衆の歌」が聞こえるなど、権利獲得への意識、高揚感はあったはず。ところが、大きな運動になった時に必ず末端が制御できない問題、組織の内ゲバ的対立、権力と警察。普遍化できるものがまじまじと映し出される。

 終演後は香港にいる監督とSkypeを繋いで直接お話を。質問もさせていただいた。f:id:tea_rwB:20190727015314j:image

 雨傘で生まれたかに思えた世代間格差は今回の運動ではより生活に密接した課題の為に問題にならなかった。雨傘運動は道路の占拠によって普通選挙を目指したはずが手段である占拠が目的化していた、など興味深い話が沢山。

 日本で同じデモが起きるのか。安保法制でそこそこの盛り上がりがあった以上、雨傘運動、そして今回のデモを考えると生活に直結するものであれば起きるのかもしれない。いずれにしても、生活に直結させるには生活する側が知っておくことが大切だ。

2.十年

十年(字幕版)

WATCHA4.0点

Filmarks3.9点

 製作当時の10年後、2025年を舞台にした5つの短編。

 いきなり1本目の「エキストラ」が中国政府の意向でマッチポンプのテロを起こして香港や外国人への管理を強化する法案を通そうとする話で現実にリンク。弱者は使い捨てられる。

 2本目の「冬のセミ」はかなり抽象的。再開発か何かで住居を潰され、その廃墟であらゆるものを標本として保存していく試みを描く。最後には人間までも。そうやって保存していかないと記憶は失われていくのだ。ノアの箱船的な話だが、標本は見る人間がいて初めて価値が生まれるのも事実。比喩としてもっと何か言いたいのかもしれないがそこまでは分かんなかった。

 3本目の「方言」はかなりストレートで分かりやすい言語を通した支配の話。古来から支配は共通言語を押し付けることで進んでいく。日本もそうしたし、ナポレオンもフランス語を統一した。教育や公共、放送を通して進む言語統制は上の世代を置き去りにし、ナチュラルボーンとの世代間格差は広がっていく。短編としても秀逸だが、もうワンアイデア入れて長編でも見てみたい。

 4本目は「焼身自殺者」。英国領事館前での焼身自殺をめぐる議論をフェイクドキュメンタリー的に描く。ここでも1本目で描かれたような共産党による自作自演説が唱えられつつも、自殺者の正体はかなり意外な人物に。話がドラマパートとドキュメンタリーパートとでちょっと混線してたかも。ただ、今回の暴動に関して最も近しく予言しているようでもあるし、そもそもの一国二制度の現状の原因やイギリスの責任にまで言及しているのが印象的。

 ラスト、5本目は「地元産の卵」。「地元産」という言葉狩りや養鶏場経営自体が違反とされて潰される世の中を描きながら、観客に対して思考停止しないことを求めている。ここでも尖兵となるのは子供たち。教育は最上の支配方法であることを痛感する。全体として、ほぼ確実に中国当局連れ去られた書店主の事件が元ネタだろう。

3.香港の危機感

 全体のトーンとして、「十年」で描かれた未来は非常にディストピア感が強いものであった。そこには香港の持つ危機感が映し出されているのではないだろうか。

 「十年」の4話目の「焼身自殺者」では、2047年までは一国二制度が維持され、外交権と安全保障権以外の自治が香港には保障されていることが確認されている。だが、今回のデモで撤回された逃亡犯条例はそれを侵害するものであると主張されている。

 香港の置かれた状況は世界的に見ても極めて特殊なのは間違いない。だが、どんな状況でもそこで生きている人が権利を主張するのは間違っていないはずだ。勿論、暴徒化してしまうのはいただけない。立法府占拠によって、今回のデモも暴徒と見做され、逆に抑圧に繋がるかもしれない。

 「十年」のラスト。「時為已晩」(時すでに遅し)が「時為未晩」(まだ間に合う)となる締めくくり。2025年に起こると予想された出来事は2019年に早くも起き始めている。フィクションが現実となるのかもしれない。しっかりと注視しながらも、とにかく知って、関心を表明するのが一番重要ではないだろうか。