抹茶飲んでからマラカス鳴らす

見た映画、読んだ本、見たアニメ。そんな話を中心に。。。

広がるハリポタ世界「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB) | Twitterです。

 アニゴジ完結作と同日に鑑賞したのが既に5作目までが決まっているファンタビ2作目になります。ブリッジになるのか、映画単体としても完成されたものなのか。ハリポタ読者としても、私、気になります。

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(吹替版)

WATCHA3.0点

Filmarks3.2点

(以下ネタバレ有り)

 1.ファンタビ2作目…?

 シリーズものの続編の良さといえば、キャラの説明をしなくても彼らの魅力を存分に描くことが出来ることにあるでしょう。本作でも冒頭は前作で捕まったグリンデルバルドの移送&脱走シーンから始まるわけで、多少見づらかったとはいえ、ちゃんとワクワクできます。ところがどっこい、その次のニュートの出てきた場面では初登場の兄テセウスと前回一瞬の登場だったリタ・レストレンジが。折角続編なのにニュート以外良く知らない人たちでドラマが始まっていくのでその利点を放棄してしまっているように感じました。

 見出しにあるように本作をファンタビの2作目と言っていいのか迷う理由は、別に2作目の利点を冒頭で放棄した感じがするからではありません。前作と比較すると、要所で活躍するとはいえ、圧倒的に魔法生物描写は減っていますし、ニュート・スキャマンダーである必要が無い部分が多かったのも否めません。ですが、何より強く思ったのはこれは「ハリー・ポッター」シリーズの映画10作目なのでは?という疑問です。

 前作でもダンブルドアホグワーツという言葉こそ出てきましたが、世界観を共有しているだけ、という感じでした。本作では、ホグワーツそのものも舞台になってきますし、アズカバン、ボガート(まね妖怪)、血の誓い、ポートキーなどが何の説明もなく織り込まれており、最早ハリポタを知らないとついていけないのでは?と感じてしまいます。映画的に言葉でなく説明するところでも、緑の閃光が無垢な家族と終盤の集会で計4人に対して放たれますが、これが死の呪文アバダ・ケダブラであることも説明してないので、わからない人は困ったのではないでしょうか…

 ラストに明かされる衝撃の真実、2作の映画をかけて描かれたクリーデンスはダンブルドアの弟だった!!!ってそもそもダンブルドアの凄さに関しては、ファンタビにおいては台詞で説明しているだけで、結局ハリポタ世界の延長線上にしかないように感じます。

 それもこれも作品の置かれた時間軸のせいだと思うんですよね。ダンブルドアとグリンデルバルトはこの話の18年後に決闘してダンブルドアが勝っていることが歴史として決まっている訳で。ハリポタに出てきた教科書の著者の冒険譚っていうただのスピンオフというよりも、ハリポタが始まるまでの答え合わせ、みたいになっちゃってるんですよね。

 その癖にイライラしてしまうのはですね、ハリポタ知識を前提にした作品チックなくせに既有知識があるがゆえに混乱して見てしまう部分があるというか。登場したリタは後の死喰い人となるレストレンジ家の人間ですし、ナギニも当然ヴォルデモートの傍にいることになります。後の死喰い人といえば、トラバース(の親?)も出てきましたし。その辺の後の悪が確定しているメンバーが善のサイドに出てくるので結局お前は裏切るのか?どうなんだ?となるんですが、これがプラスに働かずにノイズになってる印象でした。

 ↓前作の感想

tea-rwb.hatenablog.com

 2.J.K.ローリングの脚本力に疑問

 前回に続いて脚本をハリポタ原作のJ.K.ローリングが務めているんですが、前回より更に今回はその問題点が噴出したのではないでしょうか。

 彼女の原作としての力はハリポタシリーズの大ヒットからも間違いないと思うんですが、映画の脚本と小説はやはり全くの別物。これが小説なら章を変えたりすることで成立すると思える箇所が散見されることになりました。ユスフ・カーマから情報を聞きたい!→寄生虫取り出したらマグルのジェイコブに任せて出ていっちゃうとか、魔法省でリタとテセウスに化けて魔法省で記録調べよう!→本物出てきちゃったけど何故か一緒に襲われる→記録は墓地に転記…じゃあこのくだり丸々いらないじゃん!!とか。

 ストーリーとしては、クリーデンスはダンブルドアの弟でした、クリーデンスやクイニーは自分の意思でグリンデルバルドの下に行きました。この2つのゴールに向かって進んでいけばいいはずなんですよね。ところが、本作で描かれるのはクリーデンスが何者なのか、ということを探す旅であり、散々それをしておいて、それに関連したリタやユスフ・カーマの話は殆ど本筋に関係ないです!でおしまい。しかも何者か、ということはまことしやかに知ってる奴が何人かいるし、挙句のダンブルドアの弟でした、ってのもハリポタ世界からすると矛盾の残る結論。まあそれはまだいいんですけど。

 そもそも説明を放棄している部分も結構あって、グリンデルバルドの集会に駆け付けた闇祓いたちは手を出さずに演説聞いてるけど、脱走犯を前に何を突っ立ってるのか意味が分からない。一番問題があるのがジェイコブ登場のところ。前回の忘却ですべてを忘れた状態でパン屋を開いてクイニーと再会して…って感じだったのに、クイニーの惚れ魔法にかけられていたことがわかるわけです。この時点でクイニーどころか、ニュートとの記憶だって作られた可能性があるのにその否定を全くしないで進んでいくわけで。だいたい悪い記憶だけを忘却する忘却術って何よ。だったら、ロックハート先生は逆噴射しても何も忘れないはずだろ!!そんなクイニーもマグルと結婚できないから自由を求めるグリンデルバルドの下に行くわけだが、そもそも純血主義者が集まっているのにマグルとの結婚が許されると思うほど頭の弱いキャラだっただろうか…?

 ローリング作品、というかハリポタというジャンル映画となっている本シリーズにとってキャラクターの魅力はストーリーよりも重視されるべき部分なので、こうした部分を説明不足にしたり、粗雑に扱ってしまい話があっちこっちする状態が続くなら次の作品からはローリングは原作に留めて、脚本家は別でつけたほうがいいと思います。