どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
一応ディズニーだからと書き始めてみたものの、特筆することがない…
テレビシリーズ予定を出来がいいから映画にしました、という発表だったと記憶していますが、でしょうね、という感想しか出ません。
WATCHA3.5点
Filmarks3.4点
(以下ネタバレ有)
今回に合わせて金ローで1作目も見直したんですね。その時に4,5年ぶりの鑑賞となったわけです。その段階でこの映画のアンセムが♪未知の旅へ~!じゃなくて、♪空と海が出会うころは~!だと思い出しました。未知の旅はアナ雪2だった。
んで、その1は初鑑賞の時は釣り針と海の力が割と万能すぎるのを不満がっていたようなんですが、制限の付け方も含めていやめっちゃ良くできているじゃないの!とめちゃんこ評価を上げたのです。あれはいい映画や。サンゴ礁の先に行くなという伝統にとらわれた世界で、モアナが文字通り世界を拡げる話であると同時に、マウイの立ち直りを描く作品であり、人種的多様性・ディズニープリンセスとしての新しさ、海の表現の美しさと見どころばかり。
そこと比較した時に、2は本当に語ることがアニメーションの美しさだけになってしまった印象が非常に強い。世界が広がった喜びに満ちた冒頭は『ウィッシュ』の冒頭の世界観紹介同様に非常にテンポがいいし、いい力の抜け方をしているように思えた。そんな状態での、名前何だか忘れたけど、なんかこう海を渡る人の称号を1000年ぶりに、みたいな儀式の最中に雷とイメージに襲われて孤独に終わる未来を阻止するために、海の果ての島に流星の導きに従って向かう。その島にたどり着ければ呪いが解けて人々が且つて海を往来したように繋がれるのだ!という話になるのだが、運命とかそういうんじゃなくてモアナがサンゴ礁の先に行きたい!が先んじてあってそこに島の未来とかそういうんがのっかってきた印象だったのだが、今回はもう島の命運、なんだったらこの世界の未来すべてをモアナ一人に託しての船出に近い印象を持ってしまって、なんだかなぁと。ゴールが人と人が繋がる、というのがモチーフとかそういうんないんか?っていう感じだし、そのゴールありきでモアナが村の中から船員を選んでチームアップしているようにしか思えない。実際、こいつら別に大した役目とかないし。ない訳じゃないけど、村で託したとか、村で話したことがヒントに、程度でモアナが一人、あるいはマウイと二人でもなんとかなるような感じがする。どう考えても、もう帰れないかもしれない大冒険に行くにはメンツの選定がノリすぎる。もっと彼らにも家族との別れとかそういう決意が必要なはずだし、海で魚以外も食べたいから泳げないし老人だけど農家連れて行こう!とかあたおかじゃねえか。あたおかなら先言うといてくださいby見取り図。
おまけに、大きな海を介してみんなが繋がっているからこそ、人と人が繋がる未来というゴールがなし得る世界観の作品なんだと思うのだが、でっかい貝に飲み込まれてから、海の果ての島にたどり着くまでは神の世界?みたいなところを通過してワープするという暴挙である。道は一つとは限らない、が一応の本作のテーマになるので馬鹿みたいに海の上を進み続けなくてもいい…って言えるかもしれないけど、なんか冷めた。そこまでやって辿り着く答えが自己犠牲的にマウイが力を失ってでも島を引き上げる(が失敗し)、マウイを託して自分は海中深くに沈む島に危険覚悟で潜る、なのはめっちゃ現代におけるルートは一個しかないと示しているような感じがして。正解は一つで道は複数ある、になるの、それ?中盤で完全にぐだったように思えるし、その中盤のマタンギさんの要素は次回作以降に持ち越したいらしく、じゃあ迷うことない続編攻勢の道すがらじゃん、っていう。ボブ・アイガーよ、お前の道は続編だけか。そういうとこが頭に過るので、やたら復活するおばあちゃんとか、世界の命運を少女に背負わせるとか、なんか革新的なはずにシリーズだったのに一気に保守化してるようにしか思えなかった。海に選ばれた祝福というより、呪いになってきてる。