抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

世界は何色か「せかいのおきく」「私、オルガ・ヘプナロヴァー」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は2本立てで。モノクロの映画が続いたのでそれを特集しようと企みました。まあせかいのおきくは一部カラーですが。

 

1.せかいのおきく

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WATCHA3.5点

Filmarks3.3点

 6幕ぐらいまでやるモノクロ下肥劇場。江戸時代、貧乏長屋をメインに人糞を買い、それを亀有だっけ、亀戸だっけ、とにかく東の方の農家に売る、という2人組と貧乏長屋に住む武家の娘が切りつけられて声を失った話がまとまっていく感じ。まとまっていない気がしたが。モノクロで描いているので、クソをふんだんに(糞だけに。あ、今のは笑うところですよ)浴びたりしていてもそんなに不快にならずに見ていられる。こういう下々のものだったりしたって、根性もって日々暮らしているんさ、っていう話と正義を求めた父が殺され、そこからの回復、教育の話、そして恋の話が全然有機的に作用していない感じがしました。あと黒木華が「ちゅうぎ」って「ちゅうじ」って書いちゃうときのあれ、ちょっと見てられない演出でした。あれは実写でやってはダメだ。

 で、改めて思ったのはこの映画のコンセプトというか。今回、東京テアトル映画部様のキャンペーンで当選したので資料をを頂いているのですが、そこに書いてあるプロデューサーの言葉によると、様々な時代の「良い日」に生きる人々を描き伝えていくYOIHI PROJECTっていう流れらしいんですが。これははっきりどうかと思うというか、結構危ないぞ!っていうレーダーが働くんですよ。あの頃は良かった的な雰囲気で江戸時代のこととか、戦後すぐを引っ張ってきがちなのが日本の非常に良くないところだと思っていて、歴史修正主義的な側面を少し感じてしまうのです。だって、本当に江戸時代がいいですか?っていうことですよ。現在視点でその時の良かったところだけを美化して掬い取っていく作業っていうのは、ともすればあの頃はよかった、翻って今は、論法に使えます。でも、そうですね、例えば端的にこの映画のテーマに合わせれば、今からケツを藁で拭き、長雨が降ったら便所のアレが噴出しているような時代が本当にいいかい?と。身分制度が固定された「不当な差別」があるあの時代がいいかい?と。男色がある国だからおおらか?いつの引っ張ってきてるのか意味わかんねえし、他の国に無いと思ってるのもバカらしいし、おおらかって誰の目線だよ、それだよ差別ってのは。アメリカだっておおらかだったんだよ、だからキリスト教の司祭がフワッと許されてきた悪しき歴史があるわけでしょ?

 失礼。まあ、こんな具合にですね、無自覚にそうやって美化していくことは気を付けたいな、いや、むしろ自覚的に見たくないことを見ずにいいところだけ拾っていくのは良くないな、と特に綺麗な映像故に思ってました。

2.私、オルガ・ヘプナロヴァー

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WATCHA3.5点

Filmarks3.7点

 チェコスロバキア最後の死刑囚、オルガ・ヘプナロヴァーの姿を死刑執行まで描く映画。モノクロの中でも照明が良いのか、これカラーじゃないのっていうぐらい鮮やかでもあった。

 オルガはトラックで歩道に乗り上げてバス待ちかなんかしていた人を轢いて20人負傷うち8人死亡という無差別殺人を行ったわけですが、動機としては社会への復讐と語られている。そのため、本作では彼女の家族との関係を端緒に、日常のいろんなことから彼女が自分自身が社会からいじめられ、復讐されるべき対象であると思うようになったのかを、極めて淡々と描き続けた。それはあまりにも退屈ともいえるんだけど、それってオルガにとっては世界がそう見えていたのかもしれないし、モノクロなのも彼女にとって世界がモノクロだったからなのかもしれない。やけに直接的な性描写だって、彼女にとってはそういう見え方だったのかもしれない。ここまでくると憶測みたいなもんだが。少なくとも、映画冒頭で精神安定剤を10錠飲んで自殺を図ったオルガに対する母の「自殺するには勇気がいる、諦めな」というネガめが声かけが彼女にはずっと響いていたんだろうな、と。ここでポジティブな声かけや寄り添いが出来ていれば、あるいは。