抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

牙を誰に向ける「怪物」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は是枝監督最新作。『真実』『ベイビー・ブローカー』と海外での映画製作を経ての邦画となります。一応『舞妓さんちのまかないさん』とかやっているんで、『万引き家族』以来、という表現は微妙ではあるのですが。脚本に坂元裕二、音楽に坂本龍一安藤サクラもカムバックと、ものすごい陣容で挑んでおります。

 いっぱい禁則事項があったので『羅生門』スタイルとかもいえなかったのは大変苦しかった。

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WATCHA4.0点

Filmarks4.1点

(以下ネタバレ有)

1.君を見つけた

 是枝監督と言えば、もうそれは基本的に役者さんの演技を引き出すことこの上ない方ですが、それが最も顕著に他の監督さんより傑出しているのが子役使い。ずーっと家族に関して撮り続けている是枝監督っていうことで、当然子役は出てくるんですがまあ、皆様素晴らしい演技をしている。メインじゃなくて端っこというか、今回の映画で言えば学校の教室の外とかにいるような子どもに対してもしっかり演出が出来ているから、不自然に聞こえる子役演技がほんとうにひとつもない。保利センから逃げて階段から落ちたって、とかあの辺のもろもろです。

 ただまあ、今回はもう多分全員が絶賛するでしょうね、主人公というべき安藤サクラの息子湊がいじめているとされる星川くんを演じる柊木陽太さん。これは素晴らしい。ってこいつ実写ジャンケン小僧かよ!!なるほどね!彼の初登場は確か1幕目で安藤サクラが星川家に訪ねていくときだったと記憶していますが、安藤サクラの後ろから返事をし、そして鍵を開けて家に招く1連の動作がいわゆる「無垢」、イノセントな印象を与えつつ、即答で湊に手紙を書き始めるというところにちょっとした狂気を感じ、そして水を汲みに行くタイミング、根性焼き。綺麗に3幕にしているうちの、1幕目が安藤サクラ、2幕目が永山瑛太、3幕目が子どもたち、という視点になるのも当然と思わせる重要なシーンでした。

 あともう個人的に大好きだったのはボンクラコンビですね。校長があんな感じなのは多少過剰に意図的にしていると思うんですが、いや角ちゃんのへいこら感は完全に東京03のコントで飯塚さんを振り回すときの上司のような雰囲気でしたし、そこに当然のように黒田大輔ポンコツでひたすら書面をみせるだけ。いやーこの二人は本当に完璧でした。魂が死んでいる学校の象徴を体現しています。

 「君を見つけた」は嵐のMonsterです。

2.名前のない怪物

 さて、この映画を見るときに頭に当然のように浮かぶのは「怪物だーれだ」と子どもの声が響くところ。1幕目は安藤サクラから見て、煮え切らない対応を繰り返す学校、自分の子どもに対して暴力を振るい、暴言を吐いた教師、この辺が怪物なんだ!と追及していくうちに彼女自身もまた、モンスターペアレント化していくようにも見える。2幕目では、原先生の視点からこの人は怪物では無いですね、と見せておきつつ、彼の言うことを無視して沈静化を図る同僚、取り上げるマスコミが醜く。無論、1幕目の時点でなんとかっていう会社出身でね、みたいなおそらくもう在籍していない会社でマウント取ってきた中村獅童が大変よろしくない怪物だったことは3幕目で明示的ではあります。

 そして全体を通して『神は見返りを求める』の若葉竜也的に無意識で人の悪口を告げ口してくる善意の第3者。それは、原先生がキャバクラにいたと噂したり、校長が本当は孫をひき殺したと言ってみたり、豚の脳を扉にかけてきたり。そしてこれはおそらくある程度この作品の答えで。

 無論、EGOIST「名前のない怪物」より拝借

3.素晴らしき世界に今日も完敗

 2項の終わりで述べた善意の第3者。もっというと世間。基本的にはここへの意識が非常に強い映画だったように思いました。イジメと思われた色んな件に関しては、湊はむしろやめさせようとしていた側であり、イジメをなんとなくでしているようなあの教室の空気、隣で本を読んでいて雑巾を投げられたときに返さずに面倒はやめろとばかりに湊に渡した女子のような、そこはまず明確に教室をでっかい社会に拡大した時に怪物の一部であると思います。そして、そんなイジメられる星川くんはお父さんからお前の脳は豚の脳だの、病気だのと罵られ、おそらくは彼のセクシュアリティに関する問題で虐待を受けている。っていうか、彼の抱える問題(問題という言い方も間違えてる気がしてしまう)を知らずに彼の登場時、実写版村瀬歩だ!みたいな感想を抱いてしまって、いやこれも偏見に近かったような、という反省もあります。どうしても雑なキャラ消費をやめられない。あー自分が少し嫌になる。病気とか治るとかいう表現をしてることのクソさは、『ある少年の告白』とか見てくれ。あんたらに言ってるぞ、わかってるな?

 そういえば、この家庭はお母さんがいないし、湊の家もお父さんが浮気した時に死んでいる。なんだろう、みんな欠けている。失礼、脱線した。中村獅童が際立ってヤバくみえるんだけど、安藤サクラも湊が「お父さんみたいになれない」といった瞬間を聞き取れず、むしろ普通の家庭を築いてほしい、と「普通」に囚われ、瑛太は「男らしく」握手で仲直りとこっちもこっちで囚われている。良かれと思って過ごしている色んな人たちの色んな節々に、ただ生きているだけの人が傷つけられていく。『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』という映画でも語られていたマイクロアグレッションに近い感覚を問題視しており、2023年は日本の映画界もようやくその辺に目を向けた、という年になるのかもしれません。

 最たる例が、ドッキリ番組ですね。第1幕で湊と安藤サクラが朝食かな?食べながら見ていた番組。ただの食卓のシーンでこういうの必要かよ、と最初は思ったんですが意図的でしたね、これ。誰かに酷いことをしてドッキリだと反応を要求する。それがオネェ的なクィアをキャラとして利用した10年ぐらい前の悪いテレビの感じ。是枝さんは2019年で退任していますが、およそ10年間BPO放送倫理検証委員会の一員でもあって、確実に思うところがあるはず。というか、その思うところをTBSラジオSession(多分Session22時代)で聞いた記憶もあります。

  同時に勿論、世間と同じく政府に対しても批判を向けた映画であることも間違いないでしょう。放送法の解釈変更の時とかも反対派だったと思いますし。壊れたテープのように、謝罪だけを繰り返して応答が出来ない校長。凄いこと言ってましたね、「外出」とは学校を離れているという意味ではなく、みたいな。あれ絶対募ってはいるが募集はしていない、でしょ。なんかのファイルの紙を読むのも会見でプロンプターが無いと何もできないっていう批判でしょうね。まあプロンプターは一定程度は必要だとは思いますが。そして、流石にそこを狙いすぎて田中裕子がちょっと全体から浮いてる感じはしましたが。

 まあとにかく、基本的にはこれからを担う子どもたちに対して、こんな世界にしてすまない、あるいはこんな世の中じゃまずいから変えよう、そう言っているような気がしました。3幕目の終わり方が凄く明るくて、折り返してビッグクランチを迎えない世界で生まれ変わることが無くても、そんな感じ。流石にビッグクランチ分かってるやつは台風とか転生の概念とか分かるんじゃね?とかは言ってはいけません。

 YOASOBII「怪物」の冒頭の歌詞より。