抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

やってきたぞ、新時代が。「長ぐつをはいたネコと9つの命」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は特例です。予告編ではなく冒頭10分を貼っておくので巨人との戦いで素敵!と思ったら劇場に駆け込んでください。約束です。

The Art of DreamWorks Puss in Boots: The Last Wish

WATCHA4.5点

Filmarks4.6点

(以下ネタバレ有)

 

1.ポスト・スパイダーバース!

 これは明確に時代の到来、といっていいのかもしれない。スパイダーバースが業界に与えた影響は恐ろしく大きく、おそらくはアニメーションの歴史においてはトイストーリー以来の歴史の転換点かもしれない。ソニーはその後ミッチェル家とマシンの反乱でそれを先鋭化させ、ディズニーピクサーは3DCG路線を推し進めた。そこでドリームワークスだ。前作のバッドガイズでは、そのコミック的な擬音やエフェクトの要素でスパイダーバース以後の世界への対応を見せてきましたが、本作はまた違った形でスパイダーバース以後の世界を融合させてきました。2Dと3DCGの融合を単純にするだけでなく、例えば本作で言えば剣戟やダンスの接地面からのエフェクトで漫画的なアクションをするだけでなく、あえてコマを落としたようなヌルヌル動くとは対極の外連味を感じるアクション、そこに刃や鏡面を使った反射の演出を見せるなど、見せ方も実に巧み。カートゥーン文脈とコミック文脈が3DCGと融合を果たし、その塩梅でバランスを探っている段階に到達しているとは思いますが、いやこれもうほとんど到達点だろ、っていう思いを感じざるを得ません。

2.メメント・モリ

 さて、何度も本ブログでは引用しています、大好きな曲として黒木渚の『骨』という楽曲があります。死が生を生たらしめ、死んだときに満足できるようにしっかり生きようぜism。これがめっちゃ人生訓級に響いている訳ですが、本作もこのismを感じるのでもう好きです。言っちゃった、好きですよ。

 9つの命があるから、と親譲りの無鉄砲で子どもの頃から損ばかりしている…違った、8つの命を無駄にしてしまったプスが遂にやってきた死の恐怖におびえ、願い星にもう9つの命を願うために冒険する、というシンプルなストーリー。襲い来る死の恐怖を具現化した存在であるウルフcv津田健次郎がもう抜群に怖いしカッコいいし、死神の鎌をイメージしたあの武器(なんて呼ぶの、三国無双で孫尚香が使ってる感じのヤツ)がもう好きだし、サイコーなんですが、こいつをやっつける話なのではなく、こいつが命を狩りに来た存在から変われることが大事っていうああもう武力解決でも無くて最高だし。願い星を争う仲間としてワンコと前作から続投したキティ・フワフワーテ、そしてカントリーベア的な皆さんwith中川翔子、パイ工場の酷い人、という皆々様でお送りするわけですが、カントリーベア的な皆さんからは違う種族の人たちとだって家族になれる、探していたものは目の前にあった的なオーソドックスだけどいい話が展開されるしで基本的に常にニコニコしていた。

 その中でも、実は結構印象深かったのがプスが保護猫ピクルスとして牙を抜かれていく一連の時間だ。死の恐怖におびえ、剣を捨て、衣装とアイデンティティを埋葬した彼は、食事もトイレもペット用にされて、ピクルスという新たなアイデンティティを与えられる。みるみる飼い慣らされていくプスは見ていられなさと可愛さの同居するギャグシーンではあるのだが、ここでアイデンティティとは他者から与えられるのではなく自ら獲得するものである、という最後まで通ずるものを見出すことが出来る。それは自己というのは他者の視線によって成り立っている、ということも同時に示しており、自己というものの形成がどのようにされるかを巧みに示していたように思える。ここで一旦自己を捨て去ったからこそ、かつての命たちと直面して自己を問い直し、トキシックマスキュラリティにも似たレジェンドとしてのアイデンティティに縋ることを止めて自ら3人で疑似家族となる選択を出来ることに説得力を持たせているのではなかろうか。

 生は一回きりだから美しい。死ぬのは怖い。だからこそ、生は際立つし、その一回の生で満点を取れるように、間違ったらやり直せることが大事。メメント・モリである。

 

追記するよ

現在監督が参考にしたというセルジオ・レオーネ作品をチェックしてまーす。西部劇の匂いと「許されざる者」あたりのイーストウッド感は確かにしている作品でしたもんね