抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

傷痕「よだかの片想い」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は、(not)HEROIN moviesの第2弾となる作品の感想。第1弾の『わたし達はおとな』も見たかったんですが、福岡帰省と重なったりなんだりで見れませんでしたね。

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WATCHA4.0点

Filmarks3.8点

(以下ネタバレ有)

1.立ち位置と撮影の作品

 本作は、幼き頃から顔の左側にあざのあるアイコが主人公。顔に傷がある人のルポルタージュの取材を受けたことで、その書籍の映画化企画が動き出して、監督を担当する中島歩演じる飛坂との恋愛関係が始まるぞ、というもの。

 劇中、言及されるので見事に先回りされた…というちょっとした私の残念はさておいて、いやでもそれが結構重要ですよ、っていう映画。とにかく幼い頃からあざと共に生きてきた彼女にとって、人を左側に立たせるということはあざが見える状況を許すということで、ある意味であざで彼女のことを判断する人間ではないと彼女が判断した、ということ。実際、彼との初対面シーンは居酒屋の斜向かい、一緒に飲んだ時は隣だが右で、お芝居を見に行って初めて左を許す。こうして二人の心的距離も身体的距離も縮まっていく中で、琵琶湖でのデートが非常に印象的。ポスターにもなっていたり、予告編でも出てきたシーンですけど、ボートを漕ぐんですよね。無論、ボートを漕いでるのが飛坂だけになっちゃって二人の歩調が合ってない感じも出しているんですが、それ以上にやはりポジションは気になるところ。ボート詳しくないんで、どういう種類なのかわかんないですけど、二人は向き合っている。向き合っているから主観映像だと対立してるんだけど、客観で映しているから隣同士に見える。物事って捉え方次第でどういう立ち位置にも出来るんだな、ってここで思ったんですけど、それが彼女の心の持ちようでもあるし、この映画における撮り方でもあるな、って思いまして。

 彼女は小学生の時に顔のあざを琵琶湖!といじられて。そのエピソードを最初に聞いた取材相手は「酷いですね」と返して、でも先生は怒ってくれたし、みんなも謝ってくれたんで、と。一見そこには正しい物事が行われたように思われるが、彼女は心の中で私のあざは悪いことなんだ、みたいな理解とちょっと注目を浴びるっていう経験をしちゃったっていうとこがまーた。本来は、琵琶湖っていうのもいじりといじめの結構な境界で受け取り手次第だとは思うんです。先生が正しいのは大前提であった上で、でもどうにかまた別の何かがあったよなぁ、とも思われるのが難しい。

 何の話でしたっけ。そう、立ち位置がどうとか。映画が軌道に乗り始めるとどんどんすれ違いだす二人。分かりやすく同じ画面に出てくる回数は減って、ついに道が分かれていく。そうなってくると、今度はあざの話が結構なくなってきて、映画を作る中島歩のダメさというか、映画ファーストになっちゃってる男にこれ以上付き合っていいの?みたいな普遍話になってくる。そうそう、映画撮影現場での主演女優手島美優との交流のところは肩を並べていて良かったですね。これはラストと繋がってくる。そんなこんなで安心してたら、まさかの先輩の火傷ですよ。あざを消すかもしれない、自分の傷跡であり、言い方を悪くすれば恥部でもあり、世界を歪める象徴かもしれない、でも他個体との差異であり、個性でもある。それを捨てて普遍になるか?の葛藤のさなかに、むしろ同じ傷を負うものを出してくる。その上で、彼女は手術によって消していくのではなく、メイクで隠していくっていうある意味第三の選択肢をとりつつ、先輩との連帯を見せていく。監督はあんまりあざについて大きく取り上げすぎないように、とは言っていましたが、あざが女性性の象徴のような形になって連帯っていう形に落ち着くのは、まさしく現代のシスターフッド映画だよね、っていう納得が強いですね。

 なんかもう書くことが無いので章立てはしませんが、流石脚本城定さんっすね、っていう。ラテンアメリカ研究会とか、ドアの立て付けとか、さりげないシーンが後に活きてくるとは思ってなかったです。振っていたとは。