抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

まだ見ぬパリの姿「パリ13区」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 試写会で鑑賞した映画の感想です。R18の映画なんで別にいいんですけど、普通に局部とか映ります。モノクロならセーフ理論ってROMAの時もでしたっけ。

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WATCHA4.0点

Filmarks4.1点

(以下ネタバレ有)

1.知らなかったパリ

 本作は、外側の話から言えば『ゴールデン・リバー』のジャック・オーディアール監督最新作で、『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマが脚本に入っているわけでございます。セリーヌ・シアマは、『僕の名前はズッキーニ』の脚本もしてるんですよ!何それ!なんで『燃ゆる女の肖像』見に行ってないんですけど!!気づくの遅い!!

 失礼、取り乱しましたが、その程度の知識で挑んでいった本作、印象的なのはこれまでのフランス映画で見なかったようなパリの風景。舞台となっているのはパリ13区。それってどんなところなんですか?って感じなんですけど、まあメインの最初の舞台がエミリーの住んでいる高層マンション。凱旋門エッフェル塔!みたいなよく見るようなパリのイメージとも、『スティルウォーター』『レ・ミゼラブル』的な郊外のフランス団地!移民!みたいなイメージとも違うスタイリッシュな雰囲気の漂う再開発区域。街並みも近代的な感じで、結構今までに見たことない舞台設定が斬新。パリ五輪でもこういうところ見れるのでしょうか。

2.つながるのは簡単なのに愛し合うのはむずかしい

 この小題、この映画のキャッチコピーなんですが、これがまー実に良い。言い得て妙。徹頭徹尾コミュニケーションの映画なので、すっごくそのまま。

 もうちょっとちゃんと言いましょう。本作は、中国系フランス人のエミリーと黒人系フランス人のカミーユ、そしてボルドーから32歳で大学に復学したノラっていう3人+アンバーというポルノ女優の3+1の人間模様が描かれる。描かれるんだけど、おいおいお前らまず体かよ!っていうぐらい服脱いでます、はい。びっくりしましたけど、映倫で確認したらR18でした、安心。

 エミリーは姉にくっだらないことで電話して怒られるし、その姉にパーソナリティ障害とか言われて本を送られる始末。カミーユは、取り敢えず寝るコミュニケーション手法を取っているんで、ノラに誘うような目線で見るなと怒られる。ノラはノラで、復学した結果、周りに馴染めない上に、背伸びしてお洒落&ウィッグで向かったパーティでポルノ女優と間違えられて、大学中に画像が出回る(いや出回っているのはアンバーの動画なんだけど)。そういうこともあって、自己肯定感が低いというか、卑下する癖がどうにも抜けない。

 こういう連中なので、一事が万事コミュニケーションが不器用で上手くいかない。いくらセックスして、裸の付き合いをしていても、それだけで決して正面を向いていない。エミリーのオペレーター業務も、カミーユのセックスも、ノラのパーティに向かう姿勢も、エミリーの出会い系アプリも、みーんなダメダメ。結局、本作ではちゃんと相手に向き合っていたのは、アンバーさんだけ。間違えられたことで、アンバーにコンタクトを取ったノラは、そういうツールだから、最初は自慰する?とか聞いてくるんだけど、話を聞いてほしい、って言われたら、一言「服を着ていい?」と。あくまで対話するんだ、っていうことをちゃんと彼女は考えてコミュニケーションを取り、少しずつアンバーとしての仮面も脱いでいって、最後にはノラと直接会うところまで行く。本当は、寝るね、切らないで、起きたら誰もいないと寂しい、だけで、最後にこの2人は会わなくてもいいかな、っていう気もしますが、コロナがあったんで、そういうオチでも悪くはないかな、っていう。肉体関係から始まったエミリー→カミーユの視線は途切れることもなく、カミーユはすぐ寝るっぽい方向じゃない恋愛をノラに抱くんだけど、それも上手くいかない。そういう中で、スタンドアップコメディへの嫌悪感を見せたカミーユは、最後には中国系のコミュニティにおいて家族と会うっていう事の意味を知ってか知らずか申し出た後の責任をしっかり取る。多分、コイツらはまだ喧嘩するだろうけど、でもそれってこの映画においてはちゃんとしたコミュニケーションに分類されるやつだからね、それでいいんだと思います。

 何だろう、コミュニケーションを通して自己を見つめるような映画なので、ちゃんと色気のある今泉力哉感がありつつ、それがモノクロなので生々しくならないっていう感じでいい具合に落ち着いたと思います。