抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

相変わらず細田守の世界は幸せだった「竜とそばかすの姫」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 えーやってまいりました、2021年夏休み映画大本命。前作の『未来のミライ』がちっともはまらなかったんですが、どうなるでしょう。それでは、いってみましょう。

 なお、今夜21時より、毎月恒例のアニならが物語る亀さんのYouTubeアカウントより放送されます。ゲストも迎えて、本作を徹底激論することになります。(なるんでしょうか?)

竜とそばかすの姫 (角川文庫)

WATCHA3.0点

Filamrks3.2点

(以下ネタバレ有)

1. 総合芸術で得点高し

 まずこの映画で激賞すべきなのは、とにかく圧倒的なビジュアル、そして楽曲、歌との総合芸術としての得点の高さでしょう。始まっていきなりのライブシーンで主演の中村佳穂さんの歌声に驚かされるのは勿論、仮想世界であるUの中の設計がとってもよくできているな、と感心。終わって調べてみたら、都市設計はイギリスの建築家エリック・ウォンだし、ベルのキャラデザはディズニー畑の人。おまけにクレジットでびっくりしたんですけど、カートゥーンサルーンまで参画している。竜の城に誘われるシークエンスは結構雰囲気が違って、細田さんこういうの作れるんだ、ってびっくりしたんですけど、あっこがトム・ムーアたちの担当だったんですね、なるほど納得。

 この作品の鑑賞前に見たのが『100日間生きたワニ』だったからですかね、アニメーションのレベルとしては十分、どころか今年最高峰レベルに感じまして。これだよ、これと。雨の降らせ方ひとつとっても格が違いました。

2.細田守の大復讐

 本作を見て力強く感じたのは、細田さんが今迄の映画製作ののちにネットで言われていたあれやこれやが気になってたんだな、意外と気にしてるんだな、ということ。やれ性癖だ、やれケモナーだ言われておりますし、実際そうだと思いますけど、そういう風に言われているいわゆるネット世界に対して、事前のインタビューではネットを肯定的に描いてきたなんて言ってたみたいですが、肯定的に描いてきたのにこんな風に非道い言葉をかけやがって、みたいな復讐ですよね、正直。Uの世界は生体認証だかなんだかで、実際の自分が多少投影される。とはいえ仮面をかぶっているのは事実。そんな世界からいろんな言葉がすずや竜に投げられるのは、現代社会への風刺であり、俺だけ素顔なのに!という叫びが聞こえてきます。

 50%はアンチがいる、っていうのは50%は褒めてるんだ、とか、なんか心の中の声がポロっと漏れたのかしら、なんてセリフもあったと思います。

3.Uの世界と現実世界

 Uの世界の描き方は、懸念された『サマーウォーズ』から進化していたように思えます。でも、その外側はどうだったのか。端的に言って、アバター的な存在こそ描けていたけど、人間は描けていなかったというのが正直な感想。

 まずはちゃんと劇中で言及されていた範囲で言えば、ベルにだけスポットがあたることへの違和感。本作でもいつも通り衣装はTBSラジオ『アフター6ジャンクション』でもお馴染み、伊賀兄こと、伊賀大介さんが担当しているし、ベルの衣装担当までついていて、見た瞬間にここの衣装にはしっかり気を使っていることが分かります。また、楽曲も鈴が作詞作曲はしていても、興味本位で編曲してくれた人がいる、という言及がありました。横でプロデューサー的に振る舞うヒロちゃんの存在もいる。あれだけスターダムに駆け上がった存在であれば、そういう範囲の人々にもスポットが当たる気がするんですよ。Perfumeの話をしているのに、中田ヤスタカMIKIKO先生について触れない人なんかいないでしょう?細田さんが自分で脚本を書くようになって、映画をすっかり私小説的にしてしまったこととどこか関連があるような気がしてしまいます。

 また、最も違和感を感じるのが「あなたは誰?」という問い。Uはもう一人の自分であり、やり直せる世界だとイントロダクションされているのに、そのUの向こう側の竜の正体に鈴は執拗に迫る。そこに具体的な動機は当初はなかったように思えます。そもそも、Uの外の姿をバラされることがこの世界における罰則なのも良く分からないんですが、何より自分と違う姿のベルになれたことで、歌えるようになって、世界が広がっていった鈴が、誰かの姿である竜の中身を暴こうとする必然がそこにない。終盤の、児童虐待が疑われるところまでいったら、勿論正体を明かそうとするのは分かるんですが、ただライブに乱入されただけじゃないですか。現実では自分の正体がバレて欲しくない、Uでは竜の正体が知りたい、っていうその状況がそのまま進んでいくのがノイズでしかなかったです。

 まあ結局ですね、Uにログインする目的がイマイチわからない上に、そこでほぼ自己同一性の担保されたアバターを装着するけど、結論はありのーままーのー、な訳じゃないですか。仮面被ってんじゃねーよ論でもありますが。うーん、私はこうして「抹茶マラカス」という概念として現界して、それはそれでone of meな訳ですよ。ネットと現実で仮面を付け替えてるわけですが、そんなのは人間は社会に生きていれば同じで。父に見せる顔、母に見せる顔、子に見せる顔、同僚、友人、赤の他人。多面的に自己を使い分けながら、その中にある確たる自己、アイデンティティペグがしっかりすりゃいいじゃあありませんか。ゴフマン読めよ、相互行為だよ、自己呈示だよこのヤロー。その人の多面性をある種否定するような作品になってる気がして乗れません。つまりは、ボイシズが必要ともしていない正義をかざして悪を求めて身元を明かすことで危機を回避しようとするジャスティン、あれは細田さんそのものだろ。結局どこが運営して、どうやって集金してみたいなシステムが見えてこなかった。

 

4.そろそろはっきりした方がいい免罪

 さて、細田さんがすっかり映画を私小説化して、作家性に走りまくっている、っていうのはある程度コンセンサスを得られる事柄だと認識しています。

 そのうえで、そろそろ問うべきじゃないのか、と思うのが本作のラストで倫理観ガン無視な方向に進んでいくところで顕著な事項。

 すなわち、細田さんは、自分が何かしないといけない意識がないのではないか、という問題。もっというと、彼の映画において、責任を果たす成人男性が殆ど不在なのではないか、という問題です。

 まあ基本的に主要人物に成人男性が出てくることが珍しい。基本的に主人公は子どもだし、まあ『バケモノの子』の役所広司ぐらいじゃないですか?あ、『未来のミライ』の星野源は明確に責任を果たしていない扱いです。バケモノの熊哲も基本的にはダメな大人ですし、っていうか人間じゃないですし。

 んで、本作。やはり父親の役所広司は特に語るべきところもなく、最後に迎えに来るだけで、娘を高知から東京まで制服で夜行バスに乗せてしまう始末。児童虐待を相手にとって、変に鈴の決断を尊重するおばさんチームもおかしいんですが。そして児童虐待していた石黒賢がまたもや情けないやられ際。勿論、鈴の意志の前に屈する小物として彼はそれでいいんですが、本作における大人の存在は極めて弱いと言わざるを得ない。

 結果的に細田さんの作品では、細田さんの分身足りうる(無論、分身にしてる存在は他にいるとはいえ)同じ境遇の人物が情けないばっかりどころか、周囲の子どもや女性に対して過剰なまでの責任とタスクを課してしまっている。そしてそれを強い女性像の言葉だけで済ませてしまってはいけないところまで来ているのでは?と思ってしまいます。多分新海誠がそれをちゃんとやるようになったから、なんですけどね。作品を自分の生きてる狭い世界のためだけに使うのは良いですけど、その思想とか世界に同意できなければ、どうしたって批判せざるをえません。細田さんは、このままこの路線でぶっこむのか、丸くなるのか何方なんでしょう。案外、この路線を続ける方がオスカーは近いかもしれません。