抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

私の知らない吉永小百合の世界「いのちの停車場」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は、毎週金曜日に放送されている蓮なつシネマ談話第150回記念放送のプレゼント企画で当選したムビチケでいただいた作品の鑑賞報告でございます。ずっとカメラが動いていて気持ち悪かったです。

映画『いのちの停車場』オリジナル・サウンドトラック

WATCHA2.6点

Filmarks2.7点

(以下ネタバレ有)

 1.これが小百合映画…

 私のようなもんはですね、映画見始めてまだぺーぺーでございますからね、吉永小百合さんが主演されている映画どころかですね、出演作品すら見たことが無かったんですよ。とはいえですね、彼女が主演の映画が数年おきにあることも把握していますし、なんならそれが若干色眼鏡で見られているのも分かっていたんですが、まあこの目で確かめてみないといけないですね、とせっかく頂いたムビチケを行使した訳です。

 それで見に行ってびっくりした訳でございます。吉永小百合映画、というジャンルは大変な世界だな…と。

 というのもですね、完全に吉永小百合吉永小百合というキャラクターでいることを強要し続けている世界で。まず彼女は御年76歳、終戦前の45年3月生まれですよ、大ベテランの大女優ですよ。ところが本作で要求されていたのは、ある程度のしっかりした大人の包容力と判断力を併せ持ちつつ、可愛さと処女性のある、いわゆるアイドルの役割。

 例えば。舞台となるまほろば治療院のメンバーで屯するモンゴル料理屋で、各々がモノマネをするシーン。西田敏行松坂桃李広瀬すず石田ゆり子までモノマネさせられているのに、吉永小百合は渋るとかじゃなくてターンすら回ってこない。不自然にマスターに話が行くんですよ。こっわ、と思って。それから石田ゆり子と伴侶について語るシーンでも、石田ゆり子は旦那と娘の話をするのに、吉永小百合が話すのは海外に行って自然消滅した彼氏の話。いや、勿論恋愛の在り方は自由ですけど、完全に彼氏なんていません!安心して!ってトーンだったのでね…。っていうか、そもそも論、同い年の田中泯の娘役ですからね、なんじゃそれ。

2.片足だけつっこむ死の問題

 まあね、吉永小百合をそういうものとして描くのは全く問題ないんですよ。

 ただ、この作品が致命的だったのは医療ドラマとしてちっとも芯を食っていないことですね。当初、救急医療一本でやっていた吉永小百合松坂桃李の不始末の責任を取って金沢に帰郷して在宅医療に従事する。それって、これまでの命を救う、延命が第一だったところから、どうやって命を終えるのか、終末期医療や死生観、自己決定権の問題に踏み込みながら価値観の変遷を描くのだと思うじゃないですか。

 で、それに対するマイルストーンのように5人の患者が設定されていたんですが、それの積み重ねが無い。柳葉敏郎もあっさり死ぬし、なんかやたらと富山やらの新薬やら最先端医療やらに接続する在宅治療の範疇を超えてそうな案件が出てくるし、小池栄子はほおっておかれたし。各々の患者に対して、何か思うところがありそうでないまま進んで、この先生凄い!を繰り返しただけなんで、最終的に父の田中泯安楽死を求め、それに答える決意をしてしまうまでの流れがあんまりにも唐突で。ただの介護疲れなのかよくわからないし、その2人の対話シーンも少ないので「話し合ったので」とか言われても、いやほんとかよってなる。そして、最もどうかと思うのは、決意は示したのに殺しはしない。殺せないんじゃなくて、本当に何もしない。何もしないで朝日見て綺麗だ、で終わり。いやいやいやいや。これまでの積み重ねの意味皆無じゃんと。救命救急医だった過去も生かせてないしで。

 ほかにも、癌で亡くなった石田ゆり子の事例に関して、癌が全員治ったら、日本の人口増えすぎて餓死しちゃうからセーフだと思いましょう、なる謎理論を西田敏行が披露する倫理的にやばい展開もありましたし、そもそも吉永小百合が救命をやめるきっかけになったやらかしをした松坂桃李小児がんの患者の為に車を売り払って新薬の頭金に当ててくれ、なんていうのも医者としてはありえない。っていうか、新薬ってそんなに万能なんですか。

 会場にいらっしゃったお兄様、お姉様方は笑ってたし、勝手に飲食してたし、上映中もバンバン携帯見てたしで、なんていうか、そういう層が一定数いて、満足ならそれでいいけど、私は二度と見には行かないかな…。