抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

「見舞う」と「看取る」が違うことに気づかなかった後悔

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 先日に引き続いて、帰省中の田舎で思ったこと。

 前回は自分と田舎のギャップに驚いた話の備忘録でしたが、今回は人に怒りを覚えたらその矛が自分にも向かった話。

1.父への怒り

  今回、祖父が逝去した訳ですが元々認知症もあり、ここ何か月かは非常に体調が悪い、ということを知っていた訳です。なので、正直今回の状況でも、東京から九州に呼ばれる段階=死、ということはわかっていたはず。

 そんな状態で最悪間に合わない覚悟で取るものも取らずに飛び出した訳ですが、幸いすぐに容体が悪化することはなく仕事の合間を縫って父も九州にやってきました。彼にとっては義父なので病院にまで来る時点でよく考えたら有難い話だとは思います。

 ただ、父は夕刻に到着すると朝8時から病室にスタンバっていた母と祖母を家に帰し、面会終了時間までは男で見ると宣言。男だけの病室になった途端に飛び出した言葉は「みんなで祖父ちゃん見てても変わらないから、テレビが見れるカードを買ってこい」というもの。

 ここで私は直接抗議こそしなかったものの、激怒していました。

 元々父を良く思っていないせいもあるとは思いますが、その時の私は明らかに怒っていました。快復の見込みがなく、死に向っているはずの祖父の最期に立ち会う為にやってきたのに耳も目もテレビに取られてしまっては肝心の瞬間を見逃すではないか。そんなことの為に朝8時からベッドを注視していた訳じゃないんだ。

 怪我や軽い病気のお見舞いであれば、眠っている間の時間つぶしでテレビを見る、その選択は分かるんです。

 でも、今回は「見舞う」のではなく「看取り」に来ているはず。そんな時にテレビ??ふざけるのもいい加減にしなさいよ、と。まあその時は非常に不機嫌になりながら、面会終了時間を迎え、そして父は次の日の始発でまた帰っていきました。

2.気づきと後悔

 ここまでで終われば、ただの親子喧嘩(別に意見していないので喧嘩でもないか)なんですけど、問題は翌朝。

 再び朝8時に到着するべく鞄の中身を整理していて気付くんですよ。今回の帰省にあたって、取るものも取らず飛び出したはずなのに、インターネット環境が無くなることを見越して、PCに映画を何本かDLしている。本を九州に何冊も持ってきている。

 そのPCや本が病室に持って行く鞄に入っているんですよ。

 ああ、父に「見舞う」と「看取る」が違うこと、心構えがなってないじゃないかと半ばキレていたのに、自分だって同じじゃないかと。病室に到着し、容態から目が離せないことが分かったから実際には映画も本も見なかったですが、気持ちとしては全然準備が出来ていないじゃないか。お昼ご飯は病院の売店で食えばいいのに、病院の近くの美味しそうな店を調べて孤独のグルメ気取りだったじゃないか。

 勿論、およそ12時間を病室で見守るだけで過ごしていたら、待っているコッチが気持ちを張り詰めすぎていてダメになってしまうから多少の緩みは必要だと思います。確実に近づいているとはいえ、まだまだ終わりの見えない戦い、しかも負け戦を戦う準備が出来ていない。自分に大きく失望する瞬間ですよね。そういうことは考える時間はあるんですよね、良くない。

 

 ということで、帰省の時の個人的な思いを忘れないようにネットの海に刻んでおきました。ほぼ校正もなしで、書き殴っただけですいませんでした。