抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

キューブリックとキングの和解達成「ドクター・スリープ」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回はスタンリー・キューブリック監督の傑作にしてスティーブン・キングと大喧嘩した「シャイニング」の続編、「ドクター・スリープ」の感想になります。

 丸の内ピカデリーのドルビーシネマでの試写会での鑑賞でした。ドルビーシネマって没入感凄いっすね…始まるまでは窓が無いからちょっと怖かったんですが。という訳でその分気持ち高得点かもしれませぬ。

 開始前の柳沢慎吾さんの一人シャイニング含めて大変楽しめました。

Doctor Sleep

WATCHA4.5点

Filmarks4.6点

(以下ネタバレ有り)

 1.そもそも論:映画「シャイニング」

 えー、私ですね、映画の感想記録アプリFilmarksではいつからか、100本刻みで名監督の映画を見る、というのをしていまして。800本目を「シャイニング」に設定したんですよ。それが9月のこと。なのに既に900本目も見ている、という現実からは目を背けるとして。

 そこで初めて「シャイニング」を見たときに感じたのは、超能力としての「シャイニング」があまり生かされておらず、ダニーが話しかけるトニーとしての存在だけで、どちらかというととにかくスリラーに徹した印象。永遠に続きそうな廊下、嫌味なぐらいの左右対称、不快な重低音、そういう作劇が非常に上手く、そして例の名シーンへと繋がっているんだな、という軽ーい感想でした。結局どういうタネなの?という話は、その後色んなブログ読んで納得してみたり。ただ、このプロセスを踏んでおいて良かった、と映画鑑賞後に思いました。

tea-rwb.hatenablog.com

2.「シャイニング」その後としての続編

 「ドクター・スリープ」の幕開けは1980年。すなわち「シャイニング」の直後から始まる訳です。心に傷を負ったダニーと母ウェンディのシーンが描かれますが、それと同時にシャイニングを持つ子どもをいたぶって殺すローズ一派、そして後に絡んでくる本作のもう一人の主人公アブラのシャイニングの発現も描かれる。最終的に全員が交わっていく想像はつくものの、この段階はそれぞれじっくり描いている。

 特に、ダニーとローズ。ダニーは父のジャック同様にアル中になって自分から逃げていて、そこからの再生を少しずつ、丁寧に描き出し、今後の戦いに身を投じる準備をさせている。

 一方、ローズはシャイニングを喰う恐ろしさを描きながらも、スネークバイトに関しては仲間に引き入れるなど、シャイニングを利用してどんなことをしているのか、即ちこれからアブラにどんな危機が迫るのか、を具体的に見せつつアブラに接近していく。

 こうした展開で準備をしっかりしていくので、30年後と8年後、の計2回大胆に時間を飛ばすがしっかりと「シャイニング」からの地続き感を大切にしながらだし、2時間半の尺も納得ではあるし、ここさえ乗り切れば後は(といってもあと1時間ほどか)非常に軽快に進み、終わってみれば体感100分ぐらいの気分だ。

 終盤の展開も込みで言ってしまえば、この映画はとにかくダニーのセラピーだ。斧を持った父親に追いかけられたトラウマから逃避して、アル中で行きずりの女と寝る、そんな生活から社会復帰し、断酒にも成功し、はじめはアブラに対しても隠れていろ、忘れてもらうのを待て、と言っていたのを戦う決心を固める。最終決戦では、自ら一人で忌まわしいホテルに立ち向かい、そして決着をつける。しかもその決着は父親のもたらしたものとは違い、他者を壊すのではなく自分を犠牲に誰かを守り、そして未来へ継承していこう、という決断だ。だからバーカウンターのシーンは父親と、そして過去の自分との決別であり、ホテルとの対決でもあり、そこだけで激熱だ。

 この映画のエンディングだけでは正直ダニーが生存したかどうかまでは分からない。むしろ、ダニーにとって料理人のディックが死後もメンターとして存在したように、アブラにとってのメンターとしてアブラの前にだけ姿を現す存在になったように捉えられりる。だが、決してそれは後ろ向きではないように感じた。

3.まさかの超能力大合戦

 そして満を持しての3者の合流。ここでは「シャイニング」でも語られず、「ドクター・スリープ」でもテレパシー程度の感じだった超能力シャイニングを用いたバトルが勃発してそれはそれは単純に楽しい!ローズたち、シャイニングを吸って生きのびている連中は物理で殺せばいいというのは中々に雑ではあるが、ダニー、アブラ、ローズと3人の頭の中を行ったり来たりする様子はあたかも「インセプション」。しかも割とそこの説明は無いので、具体的に何が出来るかとかは察して!って感じだけどまあ許せる。

 「ドクター・スリープ」において、いわばシャイニングを持つものにとって(人間は弱くて自覚できないだけでみんなシャイニング持ちみたいだったが)良くない敵である、という形で説明のされたホテルではホテルの力をわざわざ呼び覚まし、ローズとダニー、どっちがホテルに飲まれるか勝負になる。建物自体は使えても、あの庭は無理だろう、と思っていたら頭の中で再現でしっかり使ってくれて嬉しいし、ダニーのシャイニングを吸い込んだことで、ダニーがしまっておいたトラウマを全返しでローズに浴びせた瞬間の「シャイニング」アベンジャーズアッセンブル感は鳥肌ものでした。

 結局見なかったんですけど、中島哲也監督の「来る」って、話に聞く感じだと多分こんな感じなんだろうな、と思いました。

シャイニング (字幕版)
 

 4.「シャイニング」の続編として

 前々項は「シャイニング」のダニーやディックなどの登場人物のその後としての「ドクター・スリープ」を記述したが、本項はキューブリックの映画「シャイニング」とキングの小説「シャイニング」、それぞれの続編としてどう評価するか、という項である。

 まずは、キューブリック版の続編としての「ドクター・スリープ」だが、演出面では非常にキューブリックの影響を強く残しているのは間違いない。特に前半で強く感じる重低音や不快な音の数々、そしてホテルでのカットやビジュアルとしての237号室のアレ、ダニーが怪我する箇所なども含めてキューブリック版へのオマージュと取れるシーンが多々ある。その上でファンサービス、あの恐怖の名シーンはオリジナルの映像をフラッシュバックさせてくれるおまけつき。

 トドメがバーカウンターでのジャックの登場だ。「シャイニング」でも登場したバーテンのロイド。彼の酒を飲んでしまったことからジャックは狂気に飲み込まれていくことになるが、本作ではここでロイドと名乗って現れるのがジャックなのだ。キューブリック版のジャックを受容し、ジャックがホテルに飲み込まれたことを表現している。

新装版 シャイニング (上) (文春文庫)

新装版 シャイニング (上) (文春文庫)

 

  さて、ここまで書いて、じゃあ小説版シャイニングを読んだ話に移ろうと思う。単純な印象としてキングの書いた「シャイニング」は純粋にホラーであり、ここでのホテル「オーバールック」は、今回の「ドクター・スリープ」におけるローズたちと同様にシャイニングを喰おうとする凶悪なホテルとして描かれており、その点を映画「ドクター・スリープ」では上手く踏襲したといえるだろう。

 そして数多論じられているであろうキングとキューブリックの決定的な違いは、間違いなくこのホテルの凶暴性にある。キューブリックアルコール中毒と創作の狂気の話としてシャイニングを捉えて作ったスリラーは、本来は幽霊屋敷に侵食されていく家族のホラーであり、明確に家族の物語だったのだ。だからこそ、原作ではダニー、ジャック、ウェンディ、そしてハローランの視点が目まぐるしく動きながらそれぞれの心の中に侵食していくなにものかの恐怖と、それぞれの人物が抱える過去やトラウマ、特にジャックの親子関係が重点的に繰り返し描かれている。

 ここで改めてジャックがロイドとして登場するバーでの対峙シーンを振り替える。キューブリックの映画において屋敷に飲み込まれたジャックがロイドとして現れた際に、ジャックとはことなりダニーは酒を拒絶する。こうすることによってホテルとの決別を表現すると共に、キングがシャイニングでラストに描いた一瞬父の仮面をかぶったなにものか、からジャックに戻ってダニーへの愛を伝えるシーンを再生産しているのだ。小説でキングの描いた飲み込まれてしまったジャックの、ほんのわずかに残った、しかし真の感情であるダニーへの愛情。キューブリック版で存在しなくなってしまった感情をハローランとダニー、そしてダニーとアブラとの間で改めて描きなおし、そして正々堂々と決着もつける。そして勿論、ボイラーを利用してのホテル大爆発という今作の大オチ自体もキングの「シャイニング」のオチである。キューブリックとキング、双方のご機嫌を伺いながら見事に和解させたその手腕にひたすら舌を巻くばかりだ。

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 と、いうことでスティーブン・キング版の「ドクター・スリープ」は公開日までに読み終わらなかったので映画の感想には反映できませんでした!ごめんね!