抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

あなたは電動車椅子サッカーを知っていますか?「蹴る」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 年に何度かは行きたくなる映画館東中野ポレポレで見てきました。ドキュメンタリー映画「蹴る」の感想になります。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」車椅子特集や「Session22」のこんな夜更けにバナナかよ特集などが予備知識として役に立ちました。

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WATCHA5.0点

Fimarks4.9点

(以下ネタバレ有り)

 1.スポーツとしての電動車椅子サッカー

 さて、ご覧の皆さんは電動車椅子サッカーをご存知でしょうか。私は知りませんでした。そもそも障害を抱える人のサッカー団体は日本に7つあり、その中でも筋ジストロフィーなど最も重い障害を抱える人たちのプレイするサッカーが電動車椅子サッカーということでした。視覚障害を抱えた人のブラインドサッカーには興味があったんですが…。上映後のトークショーでは、精神障害を抱える方々のプレイするソーシャルサッカーというものも知ったので、色々調べてみてください。

 さて、この電動車椅子サッカー。スポーツとしてめっちゃ面白い。電動車椅子の足を置く部分にアタッチメントを付けてそれでサッカーをするわけです。車椅子を自在に動かしてしていくサッカーが面白い。まあ、映画自体は試合の得点シーンがハイライトのように紹介されているので面白く映るのは当然ではあります。まあごちゃごちゃ言わずに試合の映像を是非見てください!!反動蹴速迅砲みたいなの最高にかっこよくないですか!!

 映画中盤以降は、電動車椅子サッカーのW杯の模様が描かれますが、そこで監督から話される戦術の話、選手同士のミーティングの模様は最早普通のサッカーそのもの。違いはそこにないと思います。

2.身体性の拡張と競技性

 この映画において私が最も印象深いシーンは、試合での得点後。健常者のサッカーならハイタッチする場面で車椅子同士をぶつけて喜びを表すんですよ。電動車椅子サッカーのプレーヤーの皆さんはそもそも手が自由に動かせる方だけではないので車椅子を使ったコミュニケーションになるのは当然と言えば当然なんですが。

 ここで考えたのは、この車椅子は選手の皆さんにとっては当然足なわけですが、手でもある。僅かにでも動く指が動作させるジョイスティックのおかげで車椅子全体が身体になる。視力が悪い人のメガネなんかと同じで拡張された身体なんだな、と痛感しました。

 そしてそのことが違う意味を持って現れるのがW杯の決勝。日本代表が9-0で完敗したアメリカがフランスに敗れて準優勝。そこで両国の選手が見せるプレーは完全にスピード感が違う。選手の一人は「あれじゃモータースポーツだ」とこぼしていました。上映後のトークショーによると、制限速度は決まっているものの、初速と回転速度が決まっていないのでそこは車椅子に乗っている身体の限界次第。この時、車椅子で拡張されたかに見えた身体性がもう一度縮小される、ということでもあると同時に、道具を使ったスポーツの競技性の問題にも帰結するわけです。古い話ですが、水着のレーザーレーサー問題なんかを思い出しますね。

 反動蹴速迅砲はコレ!

3.アスリートとして。人間として。

 映画として、電動車椅子サッカーの面白さだけを伝えたいなら試合を描けばいいわけですよ。実際、まずは日本代表史上初の女性選手である永岡真理選手への密着が前半の推進力になっています。中盤以降は彼女の落選とそれに伴い生じるアスリートとしてのバーンアウト燃え尽き症候群)に近い状態も描写されます。

 ただ、この映画が描きたかったのは電動車椅子サッカーは面白いから、普通のサッカーと変わらないから見てね!ではないと思うんですよ。

 永岡選手は同じプレーヤーのパートナーも登場します。他の代表選手も含めて、ピッチの外の選手たちの様子がこの映画の半分ほどの時間を占めているといえるでしょう。結婚。食事。入浴。そこには常に医療器具やヘルパーさんの姿がある。ピッチの中ではアスリートでも確かに彼らは介護・介助を必要とする障害を抱えている。その状態で生活しないといけない。生身の人間として描かれるその姿があるからこそ、ピッチで輝いて見えるんです。

 それを踏まえてのW杯描写はとてもつらい。大会はアメリカで行われるので、航空機での長距離移動に耐えられることが選出条件になる。監督は大会の目標として「全員無事に行って、帰る」ことを挙げる。エースは移動に耐えられないから選ばれない。言葉にし難い感情がスクリーンを支配していきます。

 この感情は上映後のトークショーでより鮮烈に残りました。映画の中では、決勝の試合を見てのバーンアウト的な意味での代表引退やボッチャ(別のパラスポーツ)への転向なんかが描かれていました。しかし、この電動車椅子サッカーからの引退は即ち、ジョイスティックすらも動かせなくなることを意味する人もいる。すなわち、死が確実に近づいていることを意味している。そう聞くと、映画冒頭で永岡選手がボールを挟んで車椅子同士で衝突して転倒してしまうシーンでの台詞が思い出されます。「転倒して頭を打って死んでも構わない」。体の自由が利かない状態でのスポーツなので転倒即死亡事故の可能性すらある。文字通り命を削ってサッカーをしている。試合楽しいじゃん、新しいスポーツ見っけた、などという軽い気持ちは吹っ飛んでいく鮮烈な印象を残す作品になりました。

 ただ、敢えて言っておくのであれば、楽しいじゃん、の軽い気持ち自体を無かったことにするのではなく、その気持ちは持ってこの電動車椅子サッカーを応援する気持ちは持っておくべきだと思います。