抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」に思う自己物語の面白さ。

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回はラプラスの魔女と同日に鑑賞したら、よっぽどこっちのが魔女だったかもしれない「アイ、トーニャ」です。トーニャ・ハーディングの事件に関しては知らなかったのですが、めちゃめちゃ面白かったと思います。

アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル(字幕版)

WATCHA4.0点

Filmarks4.2点

(以下ネタバレ有り)

 1.光る交通整理のうまさ

 本作は、時系列が現在のインタビューパートと彼らの語りに合わせて再現ドラマのように進んでいくパートが入れ代わり立ち代わり繰り広げられる作り方になっています。実は、このインタビューパートも役者陣が演じているので、フェイク・ドキュメンタリーに近い作り方といえるかもしれませんが、この時系列のいじり方が全くこちらにストレスがありません。しっかり画質が違ったり、字幕等でいつの年代なのかを明確に指示しているので実にわかりやすかったです。まあ、これはもう完全に同日にみたラプラスの魔女の相対効果だと思いますが笑。 

tea-rwb.hatenablog.com 

2.今という観点からだと信じられない時代。

 圧倒的に素晴らしかったのが役者陣の演技でした。最後に出てくる本人映像と比較してみればみんなそっくり。その中でも特に凄かったのは、母親役のアリソン・ジャネイ。オスカーの助演女優賞も納得です。登場した瞬間にリンクでたばこを吸っていて、あ、コイツはダメだ、とすぐにわかります。当然彼女の影響を受けている生き方をしていくトーニャ。当時にはない「毒親」のような概念からすれば、とても成育に環境なんか関係ない、とはいえません。特に、母親がトーニャにぶち切れしてナイフを投げつけたシーン、対になるように描かれたトーニャがコーチにぶち切れしてスケートシューズを投げつけるシーンでトーニャの表情が印象的でした。母親は唯一母親らしい瞬間を後半に見せるのに、その時には録音機を懐に仕込んでくる始末。ほんとにクズを貫き通していて感動すら覚えます。

 現代との相違で言えば、フィギュアスケートの採点方法です。

 現在のフィギュアスケートは、例えば満点の演技をしてもそれ以上の演技が出てしまうことを恐れて満点を出せない、といった事態を避けるために客観採点に努めています。ところが、トーニャの時代は極めて主観的な印象による採点。だからこそ、トーニャは劇中で審判に点数が伸びない原因を家族だと断言されてしまうのです。

 こうしたものは、たとえ採点が客観になったとはいえスポーツとナショナリズムを考えるきっかけになります。言ってみれば、トーニャはアメリカの求めたヒーローとヒールのどちらもを押し付けられていたといえると思います。なんだか日本にもいた気がします。例えば、亀田三兄弟。例えば、國母和宏。例えば、朝青龍

3.自己物語の面白さ。

 今回の作品は、トーニャやジェフのインタビューを基に構成されています。本来、ナンシー・ケリガン襲撃事件の真実を解き明かすのであれば、ナンシー・ケリガンのインタビューだってあってしかるべしです。ところが、それがない。すなわち、この作品にとって事件の真実がこれだ!!ということが重要なのではなく、彼らはこう語った!というのが重要なのです。

 こうした自分で過去の出来事を語ることを社会学では自己物語と呼びます。

 自分の生涯に起きていることは、間違いなくすべて事実として存在します。しかし、ある時点の私がそれまでの私を語るときに、その事実は選別されます。本作で言えば、ナンシー・ケリガン襲撃事件前のトーニャに自分史を語らせたら、ジェフのことなんて出てこないかもしれません。自分1人ですら語る時点で選別される事実が変わるのだから、複数人の自己物語が並立したら、それは事実に齟齬が出ますよね。この作品はその齟齬も含めて映画化しているので、そこがまた面白い。銃なんて撃たないといってトーニャがぶっ放してるわけですよね。トーニャの自己物語は確実に自分をかばっています。それは私のfaultではないと言い続けています。ジェフだって、ショーンだって、一番顕著なのは母親でしたが笑。フェイクドキュメンタリーチックな作り方も、虚構と真実の入り混じる作品であることを示唆していると思いますし、第4の壁を越えてこちらに話しかけてくるのもメタ的にすることで、この作品で描かれていることすべてが真実であると思い込まないようにコメディに寄せる効果があったと思います。

 ただこうした自己物語が多く乱立し、真実なんてない、と言い放った後でこの作品は明確な真実を提示してきます。それはトーニャ・ハーディングアメリカで初めてトリプルアクセルを飛んだということ。この瞬間、確実に彼女はアスリートであり、真実がそこにあったと思います。