抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

「氷菓」への違和感を解剖する。

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB) です。

 今年続々と行われている実写化シリーズ。銀魂、グールに続いては氷菓です。

 

氷菓

 

Filimarks2.7点

WATCHA2.5点

 

 ※本稿に関しては、完全に私の主観且つその立脚点がアニメ版であることを予め明言します。

1.拭えなかった違和感

 まず率直に見終わった感想としてどうしてもキャストがやはり合わなかったな、と思わざるをえませんでした。『氷菓』自体は、大好きな米澤穂信先生の作品とは言え実は未読で、京都アニメーション製作のアニメ(2クール)を見ただけなので、そのイメージがあまりにも強く。えるの決め台詞である「私、気になります」も漫画で言うならパァァァァみたいな効果音が添えられるような好奇心に満ちた顔で、省エネ主義の奉太郎が諦めるぐらいの、ある意味で幼さが顔に欲しいんですが。広瀬アリスさんは、目つきが強めで、それを生かしてコンタクトかなにかのCMもされていたように記憶しています。そのため、「私、気になります」がただ詰め寄ってるように見えてしまうのです。

 また、伊原摩耶花を演じられた小島藤子さんも、序盤どうしても棒読みに聞こえてしまい、私が違和感を感じた両者は比較対象が千反田える(cv.佐藤聡美)と伊原摩耶花(cv.茅野愛衣)だったせいだと思います。奉太郎と里志はある意味記号的な演技で十分だったので(っていうか里志に関しては満点に近かった)、どうしても女性キャスト2人に違和感を感じたんだと思います。

2.愛を感じない悲しさ

 本題である関谷純について調べるためには、えるが奉太郎の推理力への信頼を持つと同時に、えるの「気になります」状態になったときに諦めざるをえない馬力を持っていることを奉太郎が納得している必要があり、且つ叔父の葬儀を行うことになったというこのタイミングで扱う必要性の理由付けが重要です(その説明、喫茶店でありましたっけ?)。そこで、映画では入学から小さな事件をいくらか章仕立てで扱い、真相編「氷菓」へとつなげていく手法を採用しています。しかし、これによって毎週副題のつくアニメーションとの親和性がいっそう高まり、アニメとの比較をされやすい土壌がまた整っていきました。

 そうした結果、アニメと比較して描写が不足している部分が多く、キャラクターへの愛を感じない場面が多くて残念でした。えるは旧家のお嬢様であり、家からもそれを読み取れるのに一言、「今日は家に誰もいないんです」と言ってくれれば、家族の不在の在が気になることもないし、そもそも「気になります」1点押しで力の強いわがままにしか見えません。「気になります」という状態が好奇心の塊になっていて、という表現がお世辞にもうまいとは言えませんでした。

 摩耶花の漫画部の設定も、千反田家の帰り道に唐突に出てきました。なんというか、古典部の部活に来たときに漫研に寄ってきたと一言言わせておいたりしてくれればいいのに、設定のつまみ食い感が好きになれません。

 そして、奉太郎。映画だけを見た方の何割が彼の省エネさを理解したでしょうか。奉太郎は省エネ男子だ、と予告編やポスター、里志のセリフで言わせるだけで、奉太郎自身の行動で省エネ感は微塵も出てきません。っていうか、省エネ男子は用もないのに格技場の路を外れたところまで態々見に行きません。「重要なのは真実ではなく、千反田が納得すること」というのは彼が探偵ではなく省エネ重視で「気になります」状態の解除のためだということは伝わってきませんでした。

3.他にも色々…

 場所と時間の提示がなされないので、携帯電話が出てこないことの不自然さが後半まで続きます。2000年が舞台と言うことは神山祭の飾り付けでなんとなくわかりますが、それまでのコミュニケーションが手紙や電話。時代感がずれます。また、文集を作る動機が割と不自然な上に、何故まず部室を探さない、と。図書館の前に部室にアーカイブあるだろうと思わないのだろうか。糸魚川先生は古典部部員で学校に勤めているのに、部室にアーカイブがあることを知っていないのか。知っていたら、あえてあそこまで突き放した言い方をする必要があるとは思えない。まあ壁新聞部周りを出さないためには仕方ないかもしれませんが。

 そしてよりドラマティックにするためだろうが、糸魚川先生は火事で右耳の聴力を失い、そしてその火事から助けたために関谷純は優しい英雄と呼ばれた、と改変されました。

 いや、流石にありえないでしょう

 生徒に被害の出た事件になれば、必ず被害生徒の意見は重視されるはずですし、由来のはっきりしている「優しい英雄」ならむしろ表彰されるべきでは。名目上のリーダーがいないはずがないのだから、そちらを犠牲に選ぶのが普通でしょう。I screamのくだりの為だけに、不自然すぎる改変だったと思います。

 あと細かいことですが、奉太郎のモノローグなのか、セリフなのか分かりづらかったり、あえてだと思いますが、同じシーンの使い回しが多かったり、33年前と今とで学校の周りの家が全く変化してなかったり、3年も部室として使われていない部屋にいったのに窓も開けずに何してるんだとか。もっと詰めるべきところを詰めれば、見ている側が「私、気になります」となって本編に集中できない惨状にはならなかったのではないでしょうか。

全体としてアニメはアニメ化するだけの特色を持っていたのに、映画は実写化した理由、映画ならではの演出などを見出せないまま終わってしまった感じです。

 今年の実写化シリーズ。銀魂が大当たりでグールが普通、ハルチカ氷菓は外れといった得点になり、見てませんがジョジョも苦戦の模様。ハガレンはどうなるのか。不安が増す結果になってしまいました…