抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

壊れたから繋がりたい家族「ひとよ」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は9月末に試写会で拝見していた白石和彌監督最新作「ひとよ」です。一夜でもあり、人よ、でもありました。

 上映後は白石監督のティーチインもありました。ただ、質問コーナーは当たらず。白石監督は「凪待ち」も試写会で拝見してお話伺えたので2回目なんですが、今回の司会進行が映画評論家の松崎健夫さん!ぷらすとをずっと見ている人間として素直に嬉しかった!下手したら監督より!試写会に応募して少し当たるようになって、キャストや監督さんは勿論ですけど、ギンティ小林さんとか、今回の松崎健夫さんとか、他のメディアで映画の解説してて、すげー、と思うような方のお話を聞けるのは大変に嬉しいものです。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.7点

(以下ネタバレ有り)

1.これは疑似家族なのか、家族なのか。

 今回の映画の主要登場人物は鈴木亮平佐藤健松岡茉優の3兄弟とその母。父のDVに耐えかねて父を殺害した母が家に帰ってくることで伴う家族のアレコレを描写する物語だ。

 宣伝文句では、白石和彌監督が初めて「家族」に真正面から取り組んだ、なんて言っていますが、まあ前作「凪待ち」はしっかり夫婦と親子、家族の再生の物語だったのでその宣伝は誇大広告かな…なんて思いますが、確かに今回は家族の物語。ただし興味深いのは家族の物語と疑似家族の物語が並行していること。

 印象的なのが母が帰ってきた後のシーン。夫婦から会社を引き継いだ親戚を始め、タクシー会社の面々は歓迎ムードでバーべーキューをしているのに、本当の子ども3人はその輪に入れない。まるで家族のような疑似家族的なタクシー会社の面々はうまくいき、本当の家族はうまくいかない。

 うまくいかない本当の家族は離婚間近で、母のことを隠していた鈴木亮平夫妻や会社の新入り佐々木蔵之介の親子なんかでも同じ。「万引き家族」など、血縁じゃない家族を描いた作品が増えている中で、やっぱり家族って難しいなぁ、と自分の父母のことも含めて思いました。

 結局、3兄弟と母は態度がそれぞれ違うせいで15年前と同じ親子に戻れない。本当の家族なのに偽物の家族のようにうまくいかない。まあ大概話し合いが足りないせい、ともとれる気はしましたが。

 ただ、よくよく考えると全く似ていない彼らが特段大きな説明描写もないのにちゃんと家族にみえるんですよね。これは完全に撮り方や演じ方が素晴らしいんだと思います。冒頭に見せられる15年前の子役時代での距離感がそのまま大人になっての演技にも出ている、というか。

ひとよ (集英社文庫)

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2.頑張らないと親に似るし、頑張らないと親のせいにする

 最近見たアニメ「さらざんまい」風にいえば、3兄弟の帰ってきた母に対するスタンスがこうなります。鈴木亮平が「血縁だから抜け出せない」=父を内面化しだしている。佐藤健は「血縁だから抜け出したい」=母の言葉に一番囚われている。松岡茉優が「血縁だから受け止めたい」=母の善意を信じたい。

 15年前に目の前で殺人が行われ、その告白を受けた、その衝撃を受けてしまった年齢自体もその後の発育に大きな影響があるとは思います。だからそれぞれ受け取り方が違い、その後の人生も変わってしまった。

 全員が自分の好きを仕事にすることすらできず、鈴木亮平は事件以前からの吃音が更に酷くなっているし、怒った時には父同様に手が出てしまうし、それを自覚している。佐藤健は東京に逃げ出し、客観視=記事化することで直視することを避けている。頑張って自分の人生を親のせいにもしようとしている。だから音尾さんの「巻き込まれてやれ!」という発言が胸に届いて、ラストシーンではその気持ちの爆発がカーアクションに繋がっていくんだと思います。

 ただですね、子どもたちがこうなってしまったのは、事件後に執拗なバッシングや嫌がらせがあったから。そこに関して田中裕子さん演じる母親の態度がどうしても気に入らないんですよね。父のDVが酷い、暴力から子どもを守るために殺したんだ、それを誇りに思っている。これからもっと自由にやりたいことをやって暮らせる。そんな呪いの言葉を吐いて警察に出頭していく。いくら子どもを守るためとはいえですよ、そんな状況になった子ども達が周囲の大人から何て言われるのか想像がつかなかったのだろうか。せめて、当時は思い至らなくても15年の間にそこに気づかないのだろうか。そこに思い当たらずに今でも自分の犯罪の正当化をし、何事もなかったかのように過ごそうとしている。結局、殺人が子どもを守るためじゃなくて、子どもが暴力を振るわれているのを見ている自分の精神を守るためだったのでは?と彼女が極めて独善的に映ってしまって、この物語に乗れなかったのが事実です。

 こうしたものの象徴的なこととして、死んだ父の墓参りがあります。なんだかんだいって身内だからと、ちゃんと手を合わせる鈴木亮平。これは「母さんは母さん」と繰り返される台詞にも共通する部分です。一方、松岡茉優は「死んでるけど死ね」と言いながら水をかけ、手は合わせない。母の行為を正当化し、英雄視(までは言い過ぎ?)していることがわかります。佐藤健は遅れて墓参りにくるものの、墓石で靴の泥をとっておしまい。唾棄すべき呪いとして家族をとらえている様子が伺えます。じゃあ、帰ってきた田中裕子は?なんと彼女には墓参りのシーンが無いんです。こうなると、殺した張本人が事件とどう向き合っているのか、あるいは事件の後の子ども達の人生に対してどう向き合っていないのか、分かるような気がします。

3.今回も炸裂する白石イズム

 これまで過去作を追っかけも含めて、白石監督はどうしようもないけどそれでも生きていくしかない人を描くのが非常にうまく、それがテーマなのでは、と感じています。前作「凪待ち」もそうですし、9月に見た「彼女がその名を知らない鳥たち」も、作家性が強く出る日活ロマンポルノ「牝猫たち」もそうでした。

 その点、今回もそういう人たちの話なんですが、その点で特に素晴らしいのが佐々木蔵之介。会社に入ってきた新人タクシードライバーで、酒もギャンブルもたばこもしない触れ込みでしたが、明らかに怪しい。結局彼は元ヤクザでその仕事をタクシードライバーとしても手伝わされるどころか、その仕事に久しぶりにあった息子も手を染めていることまで分かってしまう地獄。そしてラストの映画的エンタメ要素の強くなるラストに向けての暴走に繋がるわけです。

 ただ、この佐々木蔵之介がおかしいぞ、というのがしっかり事前に分かるんですよ。それが白石監督お得意の食事シーン。個人的には、いま日本で一番食事シーンを撮らせたら最高なのが白石監督だと思っているんですが、今回の作品は飲酒・食事のシーンがいっぱいあるんですよ。でも、たった1回しかない佐々木蔵之介の食事のシーンでだけくちゃくちゃと咀嚼音が聞こえてくる。あ、こいつヤバい奴だ、とすぐに分かるんです。いやー、この点は本当にお見事だったと思います。

 

 最後に映画と関係ない苦言を。今回試写会で拝見させていただいたのであまり言いたくないのですが、列捌きが酷すぎでした。試写会、博物館、野球場、サッカースタジアムにそれに伴う屋台村、色んな行列に並んできましたけど列整理の仕方も捌き方も最悪で横入りし放題で、開演予定時間までに入場できずに20分開演が遅れる。3日前にまったく同じ会場で「ジョン・ウィック:パラベラム」を見たときはこんなことありませんでした。映画観る前に余計なことでフラストレーションを溜めると、映画自体にも評価が影響しちゃうんで、ホント勘弁してください。