どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
フリーパスでのSF二本立て、「アド・アストラ」に続いては「ソードアート・オンライン」シリーズの伊藤監督のオリジナル長編で、脚本は「正解するカド」の野崎まどさん。SAOは未見ですが。声優に浜辺美波さんと北村匠海さんと実写版キミスイからまんま移植。ではでは。
WATCHA3.5点
Filmarks3.3点
(以下ネタバレ有り)
1.こんなん惚れるに決まってるやん
いやー、正直ね、「センセイ君主」での出会いが最悪だったのと、すこーし可愛いの?とタイプじゃなかった浜辺美波さんが声をあてるってことで不安だったんですよ、一行さん。
でもですよ、この作品見て一行さん好きにならない訳なくないすっか。オタクはこれが好きなんだろ?と差し出された餌だろうと食いつきますよ、こんなんは。だって、ヴェルヌを読んでる可愛い女の子なんて無敵ですよ。ずるいっすよ。そりゃ10年後の堅書くんだって助けるために全力出しますって。そりゃ確かに声の演技が上手だったとは思わなかったですよ、思わなかったですけど!
彼女をそういう存在に出来た時点でこの映画を見る推進力、っていうんですかね、画面に注力させる力は生み出せていたと思います。
2.その瞬間すっと離れるメタ問題
さて、本作は割と複雑なメタ構造を割と序盤で明らかにしてしまいます。
すなわち、現れた10年後の堅書が現れたのはタイムリープや幻覚ではなく、データとして存在している高校生時代の堅書&一行さんを救うためにログインしてきている、という設定を10年後の堅書登場の時点で明かしてしまう。この時点で一つメタの視点が生まれ、千古博士とかのパートはそっちのレイヤーですね。
で、ここからしばらくは彼女を救うために、まずは彼女と恋愛関係になる!という素直な青春譚として見れる。ちょっと存在が謎のカラスはいるけど。そこからツイストがあって、10年後の堅書はデータの中の一行さんを自分のレイヤーに引き上げて目覚めさせようとしていた、という話に。ここまではいいんですよ。
問題はこの後で、それが成功した後にデータ側の堅書もそっちのレイヤーに移行できちゃう。そこで発覚する訳です。10年後堅書と雷に打たれて昏睡している一行さん自体もデータであると。ここでもう一個メタが入ってくる。驚きとしてはアリだと思うんですけど、ここで私は一気に冷めてしまった。このツイストが早すぎたと思うんですよね。結局、事態に対処しようとしているすべての登場人物とプログラムがデータ上のもので言ってしまえば、コンピュータのバグのような存在になってしまう。しかも、主人公たちがやってること自体が反乱行為なので悪そうに描かれてこそいるけども、修正プログラムは自分の仕事してるだけだ、という点でもちょっと離れて見ざるを得ないわけですよ。そこにもう一個のメタが入ることで、そこで何が起きても、うーん、別に。というモードに入っちゃいました。
そういう意味では、最後にちゃんとメタの1番上の実は昏睡していたのは一行さんではなく堅書くんで、一行さんが頑張ってた、というオチ自体はちゃんと反復をさせていてよかったとは思います。とはいえ、メタ構造って1回ならいいんですけど、複数回メタを1作品でぶち込むともうどこまでがリアルとするべきなのか、まして、データ上とかプログラム上の話となると、どのレイヤーのキャラにまで自我があるのか、ということとか考えなくてはいけなくなるので濫用しちゃダメだと思うんですよね…
3.拭いきれない既視感が…
そもそも最初に書いたように、北村匠海&浜辺美波の主演コンビの時点で、実写版キミスイのコンビ再登板。まあそれはいいですよ。再結集とかあるし。
問題はわくわくさせてほしいアニメーションの部分。
そもそも3DCGにそこそこの抵抗がまだ残っているし、カクカク感は否めない。その中で微妙にギャグ表現とか取り込んだ感じは、+Urtla枠で放送されていた「revisions」の映像とかなり被って見えました。
また、色々生み出すよくわかんない技術や、メタ世界の表現はデジモンで見た気がする映像が多く、どんどん増えて大きくなる修正プログラムもデジモンっぽさが否めず、最終的にはエヴァンゲリオンの使徒のようにも感じてしまった。もうあらゆるものから解放されたフレッシュなデザインが難しいのは分かっているんですけど、どうしても影響が強すぎない?とこれも感じてしまいました。
あとはもうこれもしょうがないんですよ、SFやったら逃げ切れないのは分かってるんですけど、フィリップ・K・ディックっぽさも如実です。まあ本棚にあったし。うーん、一度冷めちゃったからやっぱそういう目で見えちゃった面もあるのかな…。