どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
前作「愛がなんだ」でも映画ファンに好評、でもその一個前「パンとバスと二度目のハツコイ」から私は好きだったぞ、と声を大にしていいたい系ブロガーの私としても見逃すわけにはいかない今泉力哉監督最新作「アイネクライネナハトムジーク」の感想です。
WATCHA4.0点
Filmarks4.1点
(以下ネタバレあり)
1.交差する伊坂作品感と薄目な伊坂台詞
さて、原作未読で挑んだ今回。原作が幻冬舎っぽかったので、そりゃ最近本棚に立ち寄らないからなあ…(ヒッキーヒッキーシェイクを調べよう)というのはさておいても。伊坂幸太郎さんは、ミステリ界でも十分な大物でデビュー作の「オーデュボンの祈り」から、「重力ピエロ」「アヒルと鴨のコインロッカー」「終末のフール」「死神の精度」「グラスホッパー」などなど我が家の本棚にもかなりの数が陳列されております。そして実写化作品も沢山。その一方で、「あるキング」や「SOSの猿」あたりから新刊を読まなくなっていたのも事実。
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2007/06/23
- メディア: 文庫
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そんな伊坂作品の特徴と言えば、やはり仙台を舞台にした伊坂ユニバース的なところ。元々、群像劇的なものが一点に集約していったり、びっくりの叙述トリックだったりと、読ませるところでの驚きを提供していく連作短編の名手だな、と思っていて。それどころか、世界観が共通するなら別作品のキャラクターが登場することがある始末。そしてもう1点が非常に気障なせりふ回し。「オーデュボンの祈り」のカカシもそうですけど、実際に人間が言うには無理のあるレベルでかっこつけるのが上手いんですよね。
そんな点に注目してみると、今回の映画はこの伊坂成分が上手い塩梅で調整されていたと思います。
メインとなる三浦春馬さん演じる佐藤と多部未華子さん演じる紗季さんの恋愛を軸に、ウィンストン小野、織田家、藤間さん、いろんな形の恋愛が同時並行的に進みながら、10年の間にちょっとずつウィンストン小野のサインとかのキーアイテムで交差していく。そこに語り部的にいるのが仙台駅前のミュージシャン。彼がそこに立っていることで、佐藤&紗季のカップルと美緒&久留米の2人が重なって見えたりする、彼自身は何も語られないけどとっても大事なキャラクターだったな、と思います。そこが凄く伊坂さんの小説っぽい。
一方で、台詞回し。気障で時に何を言っているのかわからないぐらい迂遠なこともある台詞は、基本的に一真と美緒の織田家のDNAに集約されていて。全員がカッコつける「グラスホッパー」みたいな小説ならいいんでしょうけど、そうじゃないので。濃度をここでは薄くしたことで映画が非常にリアルで、現実の仙台と地続きのいいものになったのではないでしょうか。
2.多部ちゃん史上最高級の多部ちゃん
えー私ですね、何を隠そう多部未華子さんの大ファンでして。好きな芸能人・可愛いと思う芸能人は?と問われれば1位吉岡聖恵(いきものがかり)2位多部未華子、3位川口春奈というのが不動でした。それだけに多部ちゃんへの言われなき中傷にも耐えてきたわけですよ!(誰目線)
ところが、どうですか今回の多部ちゃんは!基本可愛い!最高!生まれてきてくれてありがとう!困惑する表情も佐藤を可愛く思っている表情も最高です!!この映画の感想に、決して美人でない多部さんがやるのが大事とか見つけたら殴りにいくよ!!(そんなに過激派なのに多部未華子さんの映画は「夜のピクニック」しか見ていないのは秘密)
なーんて、言ってたら映画見た日に即多部ちゃん結婚のご報告が!!おめでとうございます!!
という贔屓目はおいておいても、こういう多部ちゃんの可愛さを引き出したのは間違いなく主演の三浦春馬さんだと思います。幼少期の美緒にも佐藤、と呼び捨てにされてもヘラヘラしているいい感じの舐められ具合のちょっと抜けてる、でも普通の人を演じきっているからこそ、それを受ける多部ちゃんの演技も輝いて見える。もちろん、三浦さんの受け身が良いから、矢本悠馬さんのなんだったら少しイラっとするかもしれないキャラクターも受け入れられる訳ですよ。矢本さんも完全に名脇役としての地位を確立しているのではないでしょうか。
そして成長した美緒役の恒松祐里さんですよ。「散歩する侵略者」の宇宙人に「凪待ち」の娘役に引き続いて、今回も素晴らしい演技。気の強めで少しヤンキー気質の入った女学生役は彼女に任せておくだけで安心感が倍増といっていいのではないでしょうか。今後も目が離せません。
3.今泉監督の愛の振り幅と通底するもの
監督の前作「愛がなんだ」では、「愛」を通して”I”=私とは何か、結局愛とは執着かもしれない、でもそれでもいい、なんていうまあグサッとくる描き方をしていましてね。それに比べると今回の映画の「愛」の捉え方がまあ優しい。
10年前パートでは佐藤と紗季、藤間さん、ウィンストン小野と美奈子の出会いを描いて、10年後パートではその答え合わせと織田家のメンバーの出会いを描く。出会ったシチュエーションではなく、誰に会ったかが大切で、その時であったのがその人で良かったと思えるのが幸せ。それが2人でいる理由。なんて大きくて、優しくて、博愛的な愛の描き方でしょうか。結局作品通して不幸になる人が全くいない訳で、多幸感に包まれて劇場を後にする。こんなの「愛がなんだ」ではありえないですよ。
ただ、「愛がなんだ」、なんだったらその前「パンバス」とも共通する部分、っていうか下手したら恋愛ものの真理に近いかもしれないこともしっかり描いていて。上記のことって、結局自分で完結してるじゃないですか。やっぱり恋愛を考えると必然的に自分を考えることになる。自分と向き合わないと他者と向き合う、ましてベリーベリーストロングな関係になることなんてないわけですよね。
まあ「愛がなんだ」の感想でも思いましたけどね、何年も恋愛から遠ざかっていると恋愛の良さもそこまで欲しないというか、映画とスポーツと本があれば生きていくよ、って感じですけどね、やっぱ恋愛している人たちは美しいなぁ、なんて思いますよねぇ。うん、バランスとるためになんか恋愛で復讐でぼろぼろな韓国映画を見よう…