抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

「記憶にございません!」の記憶を探してます

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は見る気のそんなになかった映画、三谷幸喜監督最新作の「記憶にございません!」。友人に誘われての鑑賞となりました。古畑任三郎シリーズは大好きですけど、「清須会議」とか好きじゃないんですよねえ…

記憶にございません!

WATCHA3.0点

Filmarks3.2点

(以下ネタバレ有り)

1.総理!よくそのコメントで済ませましたね!

 まず単純に見て思ったのが安倍さんの反応。

www.toho.co.jp

 安倍首相はこの映画を見て、消費税を上げるのが極悪首相とか言われてるのがちょっとムッとした、なんて感想をお持ちのようですけど、よくそれで済ませたね!!と思う程度には安倍首相、というか現在の政治体制への風刺は盛り込まれまくってました。先の参院選で多くの野党が掲げた法人税を上げて消費税増税反対、とか、過労死家族と面会しなかったことを想起させる現場の声を聴いていない、なんて国民の声。っていうか、これは偶然だと思いますけどヤジ排除の問題が首相に石をぶつける、という今回のトリガーとの親和性も高いですね。

 まあ、宣伝の為にしても頑張った首相と監督の対談に関する愚痴はさておいて。

 今作、正直言って残っているものが何もない「無」だったな、という印象です。

 総理が投石のショックで記憶喪失になってて大変、というギャップで届けていくコメディなんですけど、その場を乗り切るのがゴールなのでどうしても全体を通してのストーリーが足りない。振り返ってみれば一応テーマはあるんですけど、それが届き切ってない印象です。

 特に疑問が残るのは草刈正雄さん演じる官房長官鶴丸の扱い。彼を官房長官からどかせば、万事政治改革が上手くいく、というありえない絵空事なのはさておいても、彼を倒す、とメインストーリーが踏み固まったところでアメリカ大統領来日のイベントが入ってまたそれをやり過ごす、というネタが挟まってしまう。鶴丸を倒すのも、しょーもないギャグで倒すことになり、永田町の論理に染まったことを自分の口で語った鶴丸に対して政治論理で勝つんじゃなくて、裏工作で勝つ、って全然正道じゃないですよね?しかもそこへの反撃がスナイパーを雇え、でパチンコ投石の襲撃を計画。大物で怖いキャラでいることで作品が政治を扱っていることの重さを感じさせていた唯一の人物がこの軽さに変わってしまっては、作品自体の印象も一気に軽くなってしまいます。

 どうしても比較対象として免れないのが2008年の月9ドラマで木村拓哉主演のCHANGE。ここでは本当に無垢な小学校教師が総理大臣になって、政界の色々と戦う話で、ここでも強敵は寺尾聰演じる官房長官。こっちの官房長官は勝手に更迭されたと言い出して、キムタク内閣の支持率を下げにかかる、なんて荒業まで使っていました。

 そういうことを考えると、うーん、鶴丸を敵に回すと周りは敵だらけですよ!とかいう割にそんな描写は見られないし、さっさと総理大臣権限で更迭すればいいじゃん、と思ってしまいます。

 振り返ってみればあったテーマっていうのはやり直し、ですよね。父親として、夫として、政治家として、のやり直し。記憶喪失になったからと、それまでの行動が無かったことにはならないし、それでもその後の振る舞いで評価を改めていく、これ自体はとても大事なことだと思います。

 でも、この作品じゃこのメッセージが貫徹できていません。夫としての回復の為に、同期で愛人の吉田羊に党首討論での水を向けさせて愛の告白をする。公私混同がすぎて、政治家としての回復が達成されているとはとてもじゃないけど言えません。これで万事オッケー万々歳というのはあまりにもお花畑がすぎるかと。

CHANGE DVD-BOX

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2.観客はどこまで共犯者たるべきなのか

 結局、ここまで述べてきたことにも共通するんですけど、今回の映画って、実際の安倍政権やヒラリー・クリントンとかTPPとかいろんな現実の要素をもらっているのに、コメディだから、三谷幸喜作品だから、と自分に言い聞かせることでオーバーアクトやしつこいギャグ、ありえない人物の動きを見て笑うしかないわけですよね。

 三谷さんの設定したコメディラインに乗れないと、この作品は全部置いてかれてしまう。こうやって観客が共犯関係になってフィクションを成立させていく、というのは映画というジャンルにおいては当然よくあることです。「ライオン・キング」になんで動物が喋るんだ!と突っ込むのは野暮だし、そういうレベルなら共犯関係を受け入れられます。

 ただ、本作、というか「清須会議」でもそうだったので、あえて大きく近年の三谷作品、という言い方をしますが、近年の三谷作品はこうした共犯関係になるために受け入れなくてはならない前提条件が多すぎるような気がします。リアルから拝借してるものが多すぎるのにファンタジーが多すぎるというか。「ラヂオの時間」とか「12人の優しい日本人」は見てるんですが、その時にはまだちょっと飛躍しているレベルだった各々のキャラクターが現実から浮きすぎなんですよね。官房機密費で番組を首相夫人がしている、はわかりますけど、そこで秘書官が踊る、とか、飯尾さんの外務大臣っぷりとか、ね。

 まあ単純に今回三谷さんの設定したラインに乗り切れなかった、それだけだと思います。次の作品も見に行くかは微妙です。